Serenita

感情の消化。

西日本18きっぷ女一人旅 〜兵庫・城崎編〜

 

前回の続き。

 

この日の午後の目的地は城崎温泉

 

播但線

城崎温泉までは姫路から播但(ばんたん)線に乗り、山陰本線を乗り継いで計2時間40分の道のり。兵庫って意外と大きい。

 

姫路駅で播但線のホームを探すとだいぶ端っこの方にあった。あ、これは久しぶりの田舎の線かも。と思いながら車内に入ると、白骨化(?)した大きめの虫の死骸が見える範囲だけでも2体転がっていた。ついでに2両編成。ああ、これは確信。ここまでの旅はそこそこ人が乗っている電車旅だった上に、前日神戸にいた私はローカル線でちょっと嬉しい。

 

それにしても「播但線」って、KPOPファンが黙ってなさそうな名前。名前の由来が旧国名なのは言うまでもなく、昔兵庫県の瀬戸内海側は「播磨(はりま)の国」、日本海側は「但馬(たじま)の国」だった。

まあ大体こんな感じ?

まずは寺前まで50分ほど。私は本を読むことに夢中になりすぎてほぼ記憶がない。

 

寺前で和田山行きに乗り換える。播但線は姫路から寺前間は電化されているのだが、寺前から先は非電化区間のためディーゼル車に乗り換える必要がある。姫路から乗って来た人たちがほとんどごそっと和田山行きに乗り換えた。あれ、行き先もしかして同じ?

 

この寺前から和田山間。停車駅はわずか6駅!にも関わらず乗車時間は50分。Yahooの乗り換えアプリを何度も見たけど、やっぱり6駅。ただ出発してすぐにその理由が判明した。速度が信じられないくらい遅い!!ディーゼル車は今までにも乗ったことあるけどこんなに遅いことはなかった。

 

軽く調べてみると、寺前から和田山間は赤字区間のため速度を落とすことで線路への負担を軽減し、保守経費削減をしている説(公式の話ではないのであくまでも推測)。なるほどねえ〜。

 

時速20kmくらいに感じるほど遅いところもあり、秋が訪れつつあるのどかな田園風景と山を見ながらぼんやり「ザ・鈍行の旅」。真夏とも思える暑さの日差しが照らす黄金色の風景が綺麗で、斜め前に座っていた外国人が写真を撮っていた。

 

和田山に着く。乗っていた人がこぞって山陰本線に乗り換えた。やっぱりみんな行き先は一緒だ。この旅初の山陰本線。ついに山陰地方に足を踏み入れる。これまた7駅で40分の旅だった。

 

城崎温泉駅の2つ前に豊岡というまあまあの大きさの駅がある。そこでいつからか乗って来ていた地元の人や小学生のスポーツチームらしき集団がまとまって降りたため、斜め前に座っていた外国人がそわそわしていた。恐らく城崎温泉に行きたいが、ここが城崎温泉かどうか分からない様子。集団の1番後ろにいた男の子を捕まえて、一言二言話していたが埒があかなかったらしい。車掌室のところまで行って話していた。

 

まあこんなとき私が一言、「城崎温泉は2駅先です!」と英語で言ってあげれば良いのだけど、そんな勇気はないので静かに見守っていることしかできないのです。

色がなかなかかわいい



兵庫・城崎

城崎温泉についたのは14時半だった。私は知る人ぞ知る観光地だと思っていたのだが、かなり人気の場所だったらしく意外にも大学生や若いカップルなどで溢れていた。18きっぷで1人で来たと思われる30〜50代の男性は何人か見たが、女子1人旅はいなそう。ちょっと心細くなる。

雰囲気が本当に好き

本当は泊まりたい気持ちもあったが、お金がないので滞在はしない。17時2分発の電車に乗らなければいけないので、滞在時間は2時間半しかない。早速外湯巡り開始。

 

私が入ったのは駅から近い地蔵湯。暑かったので早く建物の中に入りたかった…。

 

外湯は1ヶ所700円/800円。何ヶ所でも回り放題の券は1300円なので、2ヶ所以上で元が取れてしまう。にも関わらず私は地蔵湯の受付で「他も回るか」と聞かれ、いいえと答えた。な、ぜ、か。自分でも衝撃です。ついでに姫路のカフェで電車見送ってでも何か食べればよかったなあと後悔するくらいお腹がペコペコでした。鈍行の旅ってお腹が空く旅でもある…。

 

タオルも持っていなかったので150円のハンドタオルを買う羽目になりながら脱衣所に入る。誰もいない。脱衣中、浴衣姿の女の子2人が入ってきた。「浴衣で女子旅いいなあ」と思って横目で見ていると、せっかく着付けした浴衣を脱ぎ始める。帰る時どうするんだろう…と思いながら私はお風呂に。

 

浴室も私1人。最高じゃん…。城崎温泉のお湯は飲めるらしいが、コロナの関係で飲むのは中止してた。

 

さてさて、体も洗ったしお湯に浸かろう♪と思って足を入れる。ところがこれがまじで大げさじゃなく「ひいいっ」となるほど熱かった。もう一度足を入れるけどとても浸かれる温度じゃない。

 

もちろん城崎温泉も知識ゼロで行ったけれど、今調べてみると「(地蔵湯の)お湯の温度はかなり高めになっています」と書いてあった…。がちで熱かった…。「せっかく来たんだから!!」と必死に数分間足だけを浸けて慣らしてから全身なんとか浸かることができた。熱くて1ミリも体を動かせなかったけれど。

 

そこにあの浴衣を着ていた女の子たちも入ってきた。彼女たちも全く同じ反応。熱くて入れない事件。「あの人熱くないのかな?」とヒソヒソ声が聞こえてきたが、とっても熱かったのを耐えて入ってました。彼女たちは結局足だけつけて浴槽の淵に座っていた。

 

5分と浸かってられないので、出ては入ってを繰り返し温泉終わり。

 

熱かった…。

 

脱衣所でメイクなどを直していると、浴衣の女の子たちも上がってきた。浴衣はどうするんだろう…と思っていたら2人とも慣れた手つきで浴衣を着て髪を直していた…。すご。浴衣の着付けくらいできるようになりたいかもなあ…

地蔵湯と自分で浴衣を着れる彼女たち

外に出るとまだまだ暑い。せっかく汗を流したのに…。2時間半の滞在だったので、スーツケースを引きずって歩くことにした私。しかもこのスーツケース、旅に出る直前に壊れてしまい、真っ直ぐ進んでくれない、だいぶ厄介なやつ。有楽町のスーツケース屋でお財布と数十分対談したが、新メンバーを迎えることはなかった。

 

続いて城崎文芸館に行くことに。この城崎文芸館に行くために城崎温泉に来たと言っても過言ではない。この旅1のテンションで文芸館に行ったのに、ひっそりとしてた。

 

ん???

んんん?????????

 

。。。水曜定休でした。

ジャパニーズポエムポストボックスの中身気になった

もはやショックを通り越して笑えてきた。厳島神社大原美術館。そしてここ。この旅、行けないところ多すぎ!

 

この城崎文芸館は城崎温泉ゆかりの作家に関する展示をしている場所で、常設展と企画展がある。次行くときまでのお楽しみにしておきたいので、あえて今詳しく調べることはしたくないが、オリジナルの本やグッズがあったり、入口横には足湯があったり、とりあえず私の好きそう空間だった。

 

私がそもそも城崎温泉に行きたいと思ったのは高校1年の時。

 

留学話の方にも書いたけど、あの頃の私は学校が嫌いで嫌いで何のために勉強しているのか分からず、そもそも「高校に進学したくない」とすら思っていたから、勉強へのモチベーションはかけらもなかった。今でもこの頃の話、ガチで書くと涙が出てくる…。

 

そんなゴミすぎる高校生活を送っていた中で、唯一ネガティブな記憶でないもの。それが現代文の小説の時間。『羅生門』、『富嶽百景』、『檸檬』、『舞姫』…最初は明治〜昭和初期に書かれた文体が苦手で親しみを持てなかったけど、先生の解説のおかげか単純な私は単元が終わる頃には「全然主人公の気持ち分からんけど世界観おもしろ。」となっていた。

 

その中の一つに志賀直哉の『城の崎にて』があった。その冒頭の一文は意味分からんくらい衝撃的だった。

山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。

 

「え、山手線に跳ね飛ばされた話、こんなさらっと書けちゃう人いる?」ってのが最初の印象。それでいてこのメンタルやばそう主人公(=作者)が生きる希望を見つける話かと思いきや、最後にはイモリを殺すという話…意味わかんない。

 

先生はこの冒頭の1文について触れなかった。でも私の中でこの話のハイライトは冒頭の1文だった。

 

但馬の国を知らなかった私は『城の崎にて』を読んでいる時間だけ現実逃避できた。紀行文ではないけど、それに近いものを感じていたからだと思う。同じような理由で太宰治の『富嶽百景』も好きだった。あと、昔の作家が静養のために温泉宿に引きこもるというのがなぜかかっこ良かった…。

 

それ以来、兵庫に行ったら城崎温泉に行く。そう決めていた。

 

志賀直哉の散歩コースなんかも実際にあるのだが、私はスーツケースを引いていたので諦めた。他にも城崎ゆかりの作家は多い。イモリには遭遇しなかった。

 

残念すぎたところで、とりあえず何か食べようと思った。駅近くのカフェに入る。足湯の席があって、店員さんもめちゃくちゃ優しかった…。

芋好きなので幸せ❤︎

こうして2時間半の滞在が終わった。この日は京都まで戻る、長い長い旅路。

 

城崎温泉は小説で憧れていた空気そのままだった。あの作品が書かれてからもう100年以上たつのに、疲れた心の静養地にはちょうど良い。意外と人気の観光地だったけど、女1人で壊れかけの真っ直ぐに進まないスーツケースを引いてでもまた行きたい。

来てもまだ夢の場所みたいな感じがする。なんだろう、この空気感。

この旅で遣ったお金

 

地蔵湯 700円

ハンドタオル 150円

お芋アイス 850円

 

計1700円。

 

とりあえず城崎温泉を出るまでのお金。

また来ます絶対

 

西日本18きっぷ女一人旅 〜兵庫・姫路編〜

 

兵庫・姫路

 

次の日の朝、9時オープンの姫路城に9時7分に入城。台風一過ということもありこの日も暑かったため、チケット売り場ではこまめな水分摂取が呼びかけられるほど。文化財保護的に飲食禁止なイメージがあったけど、意外と積極的に飲んで良いらしい。

 

入場料1000円。去年の春?に東北18きっぷの旅をしたときも、世界遺産の入場料高い…って思った気がするけど、デジャブかな…。でも姫路城は単独なので、他の建物を回るごとに入場料が必要なわけではないから良き…!

 

高い入場料のおかげで整備が行き届いている。姫路城までの道路は綺麗で、お城が見えているからなかなか迷うこともないのに看板が設置されている。中の説明は誰が見ても分かりやすいし、草木の手入れも完璧。チケット売り場に人がポツンじゃなくて、敷地内のあちこちにスタッフさんがいてくれる。見た目からして姫路城愛に溢れているガイドさんもたくさんいて、中に入ると声をかけられる。(おそらく有料なのだが適度にしつこくなくて良い。)

姫路城手前の標識。イングリッシュオンリーなのすごい。

 

数年前に中学の同級生と熱海に行った時、そいつが「俺明後日から兵庫あたり旅行してくるわ」と言い出した。その時私は西日本未上陸で何のイメージも湧かなかったのだけど、「姫路城見たくなった」とかなんとか言ってたのを覚えている。姫路城は他のお城とは違うらしい。へー。

 

確かに、1993年に法隆寺と共に日本で初めて世界文化遺産に登録されたのが姫路城。

 

去年の18きっぷ旅の時と同様、短期記憶で勝負した世界遺産検定の知識はほぼゼロだけど、兵庫に行ったら絶対行こうと思っていた。いざ入城。

もうすごい…

わりと歴史的なやつって周る順序が決まっていることが多い気がするけど、姫路城は入ってすぐに分かれ道。うーん。知識ないから何を見るべきなのか分からない(苦笑)。ということでちらっと見えた百間廊下に入ることに。

 

百間廊下は文字通り長さおよそ300mの廊下。靴を脱いでから中に入る。

 

照明は多分なかったけど意外と明るいなあ、と思っていたら(もちろん)窓という窓が全開。虫とか入ってこないのかな…とどうでもいいことが心配になった…。

 

姫路城は普段なら入場制限がかかるほど混むこともあるらしい。私が行ったのは9月の平日、しかも朝9時だったからか、チラホラ人がいるくらいでほぼ1人で廊下を歩いてました…。=虫が出たら大問題…

 

にしても廊下は現代でも旅館とかにありそうな造りで、本当に江戸時代にこの技術があったということがすごい…!前々から言っているけど、もしタイムスリップできたら私は絶対江戸時代に行きます。

 

廊下の右側にはいくつもお部屋があって、その中に姫路城の歴史に関するパネルが置かれている。左側からは時々景色が見えるが、昔はここが防御の弱点だと言われていたらしく、石を落としたり、銃を構える穴がいくつも空いていて面白い。

 

あといつも通り何の予備知識も持ち合わせずに来たけど、姫路城といえば千姫で有名らしく…私は日本史の知識が中学生で止まっているので(…留学してたから高校で日本史やる機会なかった…)千姫と聞いても「…だれ???」なのですが…知らなくても説明のパネルが物語調に書かれていて分かりやすく、これがけっこうおもしろかった!!

 

〜(超)ダイジェストでお届けする千姫物語〜

千姫徳川家康の孫娘(つまり徳川家康がおじいちゃん!2代将軍秀忠の娘であり3代将軍家光の姉でもある!)、京都出身。

 

7歳の時に豊臣家に嫁いだけれど、徳川家vs豊臣家の争いによって夫の秀頼が自害…この時千姫19歳。豊臣家は滅亡し、千姫は燃えさかる大阪城から救出され…江戸に戻る途中で運命の相手、本多忠刻と出会い再婚。(この本多さん何者?と思うかもしれませんがとりあえずイケメンだったらしい。)

 

彼のお父さんが姫路城の城主となったため、姫路城で暮らすことになる。一男一女に恵まれ、姫路城での生活は千姫にとって生涯で一番幸せな時間だったらしい。でも幸せな時間は続かなかった。(泣き泣き)

 

長男は3歳の時に亡くなり、その5年後夫の忠刻が31歳で亡くなってしまう…夫が亡くなる3年前、千姫は化粧櫓から見える男山に天満宮を建設して魔除けの羽子板を奉納。毎日この百間廊下の格子から祈っていたらしい…(泣き泣き泣き)

 

その後千姫は江戸に戻り1666年、70歳で亡くなったそうです。

〜以上千姫物語〜

 

ちゃんと今も格子の隙間から男山の天満宮(現在は男山千姫天満宮と呼ばれている)が見える。ちょっとだけ、千姫の生涯に想いを馳せてしまいます。百間廊下には羽子板も沢山展示されている。

千姫が拝んでいた男山

学校で習う歴史の裏にこんなロマンチックなストーリーがあったなんて…!まず徳川家康がおじいちゃん、家光が弟というのが不思議な感覚。江戸幕府を開いて鎖国をして、参勤交代をさせた人って前に、家族がいてそれぞれの人生があったということ…。歴史は教科書の太字を覚えることじゃないって何十回目かの気付き。

 

そしてそして長かった百間廊下を抜けてついに天守閣内部へ。百間廊下を1人で歩いている時は、私だけタイムスリップしてたりして…って気分になっていたけど、天守閣に来たら一気に人が増えた。みんなここにいたのね…。

その前にこの写真。この色々な形に開けられた穴から攻撃ができるようになっていたらしい。唯一世界遺産検定で勉強したことを覚えている知識で実際に見ることができて感動。

天守閣は6階建でその建築技術だとかデザインが素晴らしいらしい。2015年くらいまで修理をしてたらしく、ちょうど良い時に来れてよかった。(なんてったって、数日前に厳島神社に行ったところ、かの有名な鳥居が修繕工事中だったのです…)

 

内部は上に行けば行くほど階段も急で狭くなり、格子の隙間から見える景色はどんどん綺麗になっていく。みなさん2階あたりで窓の外の写真をとっているのだけど、この先毎階景色は見れるので、4階くらいからは窓際も空いてくる(笑)そして最上階の6階でこの日1番人間を見た。こんなにいたん!!ってほど(笑)窓から見える景色はやっぱり綺麗。「姫路駅まで伸びるまっすぐな大きい道路はやっぱり岡山っぽいな、」と心の中で再確認した。

ここからだとだいぶ小さく見えるけど…。

姫路城は何百年もの間、ここで姫路の街が変わりゆくのを見てきたし、これからも見ていくんだろうなあ…。

 

私的に印象に残ったパネルは、第二次世界大戦中の話。姫路空襲で姫路の街は焼け野原になってしまったらしい。でも姫路城だけは奇跡的に生き残った。その実際の写真がパネルに展示されているのだが、本当に姫路城だけがぽつんと、でも荘厳と残っている姿がすごく印象的で。空襲に備えて布がかけられていたらしいが、そうだとしても姫路城だけが綺麗に残っている写真を見ると偶然とは思えない。調べてみたが真相は不明で、やはり「偶然」ということになっていた。

 

だから私は、敵国だとしても守らなければならないほど価値があるものだと思われたんじゃないかって必然説を推してみる。

 

この考えの延長線上に、この歴史を築いてきた人々のことも大切にしたいって考えがあってもよかったんじゃないかなあ。太平洋戦争はそもそも日本が悪いのだけど。

 

何かを美しいと思えること、何かを尊いと思えることは、誰かを大切にすることとニアリーイコールなのかもなあ…と思った。(ちなみにこの日撮った写真やら動画やらをアメリカ人に送ったらとても感動してた。)姫路の街は焼けてしまったけど、そこから復興する過程も全部、姫路城はあの場所から見守ってきた。江戸時代云々の話が多かったせいか、世界大戦あたりの話は身近に感じてパネルをだいぶ詳しく読んだ気がする。

 

天守閣を出ると猛烈な暑さだったので、そろっと駅に戻ることに。ところで姫路城入場の券と同時に好古園入場券を付けることもでき、50円しか違わないので、私は1050円の両方に入れるチケットを購入していた。しかしまあ何も調べてないので好古園ってなんぞやという状況でこの暑さ。数日前の岡山の後楽園が思い出され、庭系はもう見たからいっか。と帰りました。はい。

 

今現在ブログを書きながら好古園ってなんだったのだろうと調べてみるとめちゃくちゃ綺麗…。でもやはり夏に行く場所じゃないかもしれないとあの日の自分を正当化。

 

駅に戻る途中にあるカフェで可愛い可愛いメロンクリームソーダを飲んだ話を書いて終わりにします。とてもかわいくて、何より涼しくて生き返った。このカフェはごはん系も人気そうだったのだが、電車の時間が迫っていたので爆速で飲み干し駅に向かった。姫路に来たらこのカフェもまた来たい。

伝票にうさぎさんを描いてくれるあたり…❤︎

さて、このあとお昼12時前の電車で瀬戸内側から一気に日本海側へと移動した。その話は次に書く…。この記事書くのに時間かかった…。学校の課題もえぐかったし、日本史の知識がなさすぎて調べてたら時間が…(アセアセ)

 

最後に、姫路城は結局誰が建てたの?という疑問も出てくるかもしれないが、姫路城は豊臣秀吉を含め色々な人がちょこちょこと作っていったものなので、明確にこの人!とは言えない。

 

そして姫路城は本当に他のお城とは違うの?という疑問だが…私はそもそもお城といったら会津鶴ヶ城くらいしか見たことがないので、姫路城の特別さが分かったような、分からなかったような…(笑)でもまあ、これからの人生で色んなお城を見たらきっと、姫路城の印象も変わっていく気がする。

 

 

この旅で遣ったお金

 

朝ごはんカフェ 680円

姫路城+好古園入場料 1050円

カフェのメロンクリームソーダ 671円

お水 110円

 

2511円也。

 

これはこの日の午前中分。旅も終盤でお金がなくなってきているので、姫路はお土産もパスした(笑)

 

西日本18きっぷ女一人旅 〜神戸・姫路編〜

 

 

兵庫・神戸

 

友達に会った神戸は一人旅ではないので、サクサクと書きます〜

 

と書き始めましたが結局長々と書きました。

 

神戸は今年の1月に1人で来て以来。友達から神戸愛を聞かされ続けていたので、西日本に来たら行かずにはいられない。その友達は大学卒業後、神戸に住むことになった。「住むことになった」というよりは住むことを「決めた」。だから今回は彼女のお家に泊めさせてもらい、次の日に神戸観光をする予定だった。

 

しかしタイミングよくやって来た台風。怖がりなので、正直1人で旅をしているときより彼女と一緒の日でよかった。

 

お互い朝活が好きで、大学時代吉祥寺あたりのカフェに朝食を食べによく行った。だから久しぶりにこの日は神戸で朝活。

めちゃくちゃ美味しかった…!!

神戸の街は勾配が大きく、路面電車も走っていたらリスボンのような雰囲気だと勝手に思った。そういえば、私の地元は永遠に田んぼが広がっている越後平野のど真ん中で、山じゃない坂道とは程遠い人生。坂道の街なんて安定しなさそうだし窮屈だし生活は不便だし。でも考えてみると、リスボンに渋谷に神戸、「坂道の都会」は意外とよくある。彼女が私の地元にいつか遊びに来てくれたら海は見えないけど、空がすっごく広い、地面に寝転んだら、360度ほぼほぼ空、みたいな景色を見せてあげたい(❤︎)。

 

意外と台風の被害もなく、神戸市内を歩いて観光できる程度ではあったが、行きたかったロープウェイは動いてなかった。でもロープウェイ乗り場までの道のりで見た景色も十分綺麗だった。…香港!に似ていた…とても。香港には何回も行ったことがあるから間違いない。

香港…あれ、改めて写真で見ると違う気もする(笑)

坂を下り、廃校の小学校にある工房でキャンドル作りをした。雨が止んだ後に神戸港にも行った。夜ごはんにお約束のフォーを食べ、三ノ宮の駅でお別れをした。あっという間だった。色んな話を聞いてもらった。

めちゃくちゃおしゃれなキャンドル。時間かけて作ったから、というよりそこそこの値段したから、絶対気をつけて持って帰ると誓った。

 

絶賛人生に悩み中の私。その話を聞いて友達は励ますでもなく、寄り添うでもなく、率直に意見をビシバシ飛ばしてくる。そんな彼女が好きだった。

 

どれだけ仲が良くても、いつかはたまにしか会えなくなる関係になる。だからこそ今近くにいる人を心から大切にしたいと思ったし、それと同じように今目の前にあること1つ1つにまっすぐに向き合っていけば、きっとその先の何かが見えてくるのかなあって思ったり。

 

三ノ宮の改札を通り、エスカレーターに乗る前にもう一度振り返ると、彼女はちゃんと手を振っててくれた。

 

ちょっとだけ寂しいけど、また来よう。まだまだ神戸の良さ、感じきれてないから。

 

どこでも良いけど、自分の出身地とは別に住みたいと思えるほど好きになった街があるって素敵だ。「この街に恋したッ!」って思える場所、私も見つけたいなあ。

恒例のフォー。私は後味のスパイスが苦手。

ホームに上がると来たときと同じ、帰宅ラッシュに巻き込まれる。ホームドア代わりの(変な)ロープを見て、「この話、彼女にするの忘れちゃった」と思った。わざわざLINEすることじゃないけど、次会う時にはこんなどうでも良いこと確実に忘れている。くだらないことを共有できる人がいないと思った時、一人旅の孤独さを思い出した。

 

神戸から山陽本線で姫路まで戻る。電車の中から見た夕焼けが綺麗で、窓際に立ってたら写真撮りたかったなあ〜と思っていたら、彼女からLINEが来た。「空めっちゃ綺麗だよ!」って写真付きのLINE。よく「離れてても同じ空の下」って言うけれど、色も雲の感じも全く同じ空の下にいれるのは、せいぜい半径何キロの人なんだろう。少なくともこの日は彼女と同じ空の下にいた。

 

兵庫・姫路

姫路に着く頃にはすっかり日も落ちていた。「しめじ」と同じイントネーションの、慣れない「ひめじ」を聞きながらホームに降り立つ。友達に、「姫路なんてなんで行くん?お城以外なんもないやん!」と言われていたのだが、そのお城に行きたいから行くんです(笑)

 

駅を出るとびっくり。…というか、その友達が「なんもない」なんて言うからかなりの田舎を想像していたのに、駅は大きくて綺麗だし、駅前にも大きい商業施設が。駅の再開発が終わったのは2015年頃らしい。彼女が来たのは再開発前だったのかなあ。

 

駅を出るとまっすぐの大きな道路。その先にライトアップされた姫路城が見える。すごい…。そこを行き交う帰宅途中の高校生、会社員。お城が日常生活の一部ってよく分からないけど多分すごい…。小学校の遠足も、中学校の校外学習も、行き先は姫路城一択だったりして。そうだとしたら「#お城がある生活」も大変そう…。人生は1度しかないから、私はどれだけ頑張ってもお城の町に生まれた人の人生を経験してみることはできない…。だから勝手に想像するしかないのだ…

…!!

そんなことよりもこの、駅を出たらまっすぐの大きい道路、その先にお城って構図がどこかと似ている…。

 

あ、岡山だ。

 

城下町時代の街の作りをそのままに開発して来たのか、駅前の建物も駅の見た目も全く違うけど、大きな道路がまっすぐお城まで続く感じが、私にはすごくそっくりに見えた。そして岡山と姫路は電車で1時間半の距離にある。なんとも言えない発見。でも書いておきたかった発見。

 

この日はカプセルホテルに泊まった。安いホテルに泊まるよりももっぱらカプセルホテル派になりつつある今日この頃。値段も清潔感もおしゃれな感じも全部良い。

 

先にお風呂系を済ませてからコインランドリーで洗濯をセットし、ラウンジで予定を練り練り&遣ったお金の計算。ラウンジは階が違うので、階段で降りてルームキーをかざしてドアを開ける。なぜか女性が1人もいなくて、しかも入った瞬間すでにいた40代〜のおじさんたちに一瞥され、「もしやラウンジも男女別だった…?」と心配になったので一度出て表示を確認してもう一度入り直す不思議な行動をした(苦笑)。

 

そういう時、ちょっと女子1人旅は不安になる。周りからどんな目で見られているか。どんな人だと思われているか。20代女子が1人で旅してたら変かなって…。そんな時こそ堂々としてやるんだけど、頭の中は不安でいっぱい。

 

今回泊まったカプセルホテルのラウンジはドリンク飲み放題でカフェみたいな雰囲気だった。グループで座れる場所もあり、カプセルホテルは大人数に向かないイメージがあるけどこれなら何人で来ても楽しめそう。大抵のカプセルホテルはカプセル内での飲食が禁止なので、ラウンジがないカプセルホテルはちょっと大変…。このホテルはラウンジに加えて、カプセル内に鍵のかかる小さな収納もあり、おまけにおしゃれなライト付きのメイク室もありすごく良かった。(それでいて2250円って…!)

 

次の日の予定を練って、銀行の通帳アプリを開いたら貯金が底を尽きそうだったので、あぁ帰らないとって現実を見た(汗)23時ごろカプセル帰還。洗濯も完了させ、次の日ギリギリのプランをこなす準備万端。

 

この次の日はこの旅イチ、密の予定だったので次の記事に書きます…。毎回長々書いてしまって(汗汗)

 

この旅で遣ったお金

三ノ宮駅ロッカー代 600円

朝食カフェ 1375円

お水、ヨーグルト 248円

キャンドル制作費 3300円

白桃ソフト 330円

夜ごはんのフォー 900円

コインランドリー 600円

 

三ノ宮→姫路 990円

+友達のお家から三ノ宮駅までの交通費

カプセルホテル 2250円

 

=約11,000円也

 

ひぃ💸

 

 

西日本18きっぷ女一人旅 〜倉敷・岡山編〜

今回長め😥

 

 

岡山・倉敷

 

岡山の倉敷で朝を迎えた。初めての岡山県。JRが「岡山デスティネーションキャンペーン」というものをしていて、そのPRが作家の原田マハさんでテンション爆上がりだった。前日尾道駅でポスターを見かけて初めて知った。マハさんが書き下ろした短編の小説の通りに観光をすると何かがもらえるらしく、事前に知ってたらその通りに巡ったヨ…。

 

ホテルのテレビで岡山県の天気予報を見ていたら、なんと一緒に映り込む香川県の天気。確かに新潟でも長野や富山、福島など隣接県の天気は一緒にやるけど…陸続きでない県の天気もやるなんて、やっぱり瀬戸内の連帯感。

明らかに県内天気なのに香川県の取り分すご…

さて。朝ご飯を探しがてら観光しようと、朝から張り切ってホテルを出た。倉敷駅からあの有名な倉敷美観地区までは1キロくらいある。その途中で阿智神社という神社があるので、そこを見てから行こう。

 

何事もなく阿智神社に着いたは良いのだが、これが軽く登山。この日も気温32度で朝から蒸し暑かった。神社に着いた時にはすでにヘトヘトで、虫も多いので日陰を辿りながら早足で下山。一瞬のことすぎて、ところで結局阿智神社ってなんだったんですか。

 

ってことで少し調べてみたのだが、それはそれはまた、日本書紀まで登場しちゃうくらい壮大な話だったので割愛(=よく分からなかった)。一つだけ理解したのは、主祭神(神社に祭られるもっとも中心の神)が宗像三女神ということで、女性の神ということ。あと、彼女たちは航海の安全を見守る神様らしい。さすが瀬戸内海沿岸。…と思ったら昔倉敷は遠浅の海だったそう。倉敷川を利用した水上交易の中心地だったらしい。(へえー)

阿智神社

暑かったけど綺麗…

続いて朝ごはん探し。神社を出るとすでに美観地区の中だった。私は正直倉敷に来るまで、あの景観は一部だけだと思っていた。イメージとしては川越…(笑)ところが行って驚き。白壁の歴史的な建物のエリアはかなりの大きさになる。思ってた以上の広さに感動してしまった。そして平日の朝早くからうろうろしていたおかげか、自転車に乗った高校生や会社員が急いで美観地区の中を通り抜けて行くのを見た…。あれが通学路/通勤路ってどういう人生…!

 

朝ごはんは美観地区内のカフェにした。2軒先にパン屋があって、そこのパンを食べれるカフェ。すっごくおしゃれで1人じゃなかったら写真撮ってた…(1人だと勇気ない)。店員さんも優しくてお客さんも数人。居心地が良すぎてそこでしばらく今後の予定を立てたりした。

 

お店を出ると猛暑。とにかく暑い。それでも必死に歩いて倉敷川を見たり、デニムまんを見たり(見ただけ)、倉敷を満喫した。

「青色は食欲激減色」という自虐ネタ…

アイビースクエアにあるお土産屋さんでお土産を見ていると、観光客のおばあちゃん2人がこんな会話をしているのが聞こえてきた。

「倉敷ってマスキングテープの発祥地らしいよ。」

え?マスキングテープってあのマステ??東京の文房具メーカーが作ったんじゃないの…???俄には信じ難い。

 

アイビースクエアを後にし、お土産を手にしてもう帰ろうかな〜と、目的も持たずにふらふらと歩いていたら、そこでなんとマステ専門店を発見してしまった。マステなんて全国どこでも買えるので、多分さっきの会話を聞いていなかったら特に興味を持つこともなかったと思う。ありがとうさっきのおばあちゃん。

 

店内にはマステがLoft以上にずら〜っと並んでいた。マステの中でも王道の、あの「mt」というロゴ。あれ実は、倉敷にある会社が作ったものらしい。マステが大好きで、何個持ってるか分からないレベルの私にとったら天国。かわいいで溢れていた…!!せっかく来たのだから、というのと、倉敷限定(?)の柄があって買わないわけがない。無事、マステコレクションに2つも追加し、お店のお姉さんから「ティラノサウルス」と書かれたシールまでもらった🦖

なんか勝手に前日の尾道を引きずっていてネコに過剰反応(笑)かわいすぎん。

何も調べてない旅は驚きの連続で楽しい。でも何も調べてないおかげで行きたかった大原美術館は休館日だった…

 

大原美術館にはエル・グレコゴーギャン、モネなどの絵が収められている。かなり豪華な顔ぶれ。特にエル・グレコといえば、スペインのトレドを愛した画家ということで、以前スペイン旅の旅行記に書いた記憶がある。あの時お金がなかった私は、エル・グレコが描いた景色の本物は見たけれど、結局彼の絵は1枚も見てない。はあ、見たかったなあ…。

倉敷、また来よう。

そんなこんなで、12時には倉敷観光を終えてしまった。こうなったら予定を変え、急遽岡山にも寄ろう。

 

 

岡山・岡山

 

倉敷から岡山は電車で20分弱で着いてしまう。岡山ってなんとなく地味なイメージだったのだけど(笑)、岡山駅がとんでもなく大きくて、綺麗で、すご!!!ってなった…ワラ

驚くほど発展している岡山

岡山では後楽園に行こうと思い、バスに並んだ。後楽園まではバスで10分ちょっと。歩いても行ける。ひぃ暑い。

 

日本三名園の1つ、岡山後楽園。1700年ごろに完成したらしい。こういう…日本庭園?に行ったことがなかったので、中に入ると手入れが行き届いていて、「清潔そう」…っていうのが第一印象。うん。綺麗?というか、美しいっていう感じ。

この真夏っぷり。

でもそんなことよりも暑くて暑くて。ちょうど台風も来ていたので湿度も高い。ふらふらしてくるしこんな中で観光してられないわ…と思い1時間ほどで退散。もう9月よ…?夏の後楽園は見所の植物があるわけでもないので、他の季節にくるのが正解かな…と思ったり。それでも若干紅葉していたので、見た目だけは秋を感じたり。

一応秋は来ている

バスを待つのも面倒だったので、岡山駅まで歩いて街を見ることにした。実は行きのバスの中で色々おもしろい建物を通っていたので、自分の足で歩いてみたかったのもある。うん。

 

バスで10分の距離は徒歩で30分弱。何度も書いて申し訳ないけど、とーにーかーく、暑かった(泣)岡山駅前の大きな通りに出てからはひたすらまっすぐなのだが、かなりの距離がある。そしてこの、駅から伸びる一直線の大通りが本当に大きい。その道の延長線上には岡山城がある。路面電車も走っていて、歴史と現代が合わさった街の雰囲気がすごくよかった。岡山いいなあ。

 

ちなみに岡山城も行こうかと思ったけど、今工事中なので諦め。

 

偶然見つけたカフェが可愛かったので入ってみた。ちょっと遅めのお昼ごはん。普通の飲み物を頼んだ後に岡山県産の白桃ジュースもあったことに気づいた( ;  ; )でもエアコンで涼めたし、美味しかったし、朝から歩き続けて足が疲れていたから大満足!!

 

駅中の本屋さんを漁って、お土産を見て、桃太郎のきびだんごを買おうか悩みまくって結局買わず、山陽本線に乗って神戸に向かった。大体2時間くらい。神戸で前の大学のお友達に会う約束がある。

 

岡山の田舎に入ると、永遠と続く田んぼ道を鮮やかな黄色の自転車で爆走している女性高校生が見えた。「あぁ〜あの子もきっと、こんな田舎抜け出したいって思って生きてるんだろうな〜」と勝手に思い、勝手に7年前の自分と重ねる。まあ私はチャリ通だったこと、人生で一度もないんだけどね。ずっと電車通。あ、JRの岡山デスティネーションキャンペーン、キャッチコピーは「こころ晴ればれ おかやまの旅」だったっけ。

 

岡山県は降水量1ミリ未満の日が日本一多いらしい。確かに(?)。台風来てたけど、ずっと晴れてた(?)。いいな、1年中この田んぼ道チャリで爆走できるじゃん。新潟県民には考えられないヨ。晴れの国、岡山。ばいばい。

 

兵庫・神戸

相生駅で一度電車を乗り換えて、姫路を通って神戸の三ノ宮へ。車内放送で、「次は姫路、姫路です。」って言ってたのだけど、姫路のイントネーションが「ひ↑めじ↓」じゃなくて、「ひ→め→じ」で、最初「しめじ」って言ってるのかと思った…!何度聞いても慣れない…。でも標準語も「姫路駅」とか「姫路城」って言うときは「ひ→め→じ」なのに、単体で言う時だけなんで「ひ↑めじ↓」なんだろう(汗)とにかく、現地発音は「しめじ」と同じ、「ひ→め→じ」です。

 

三ノ宮。初めて来たけど大都会。平日の18時半頃だったので、帰宅ラッシュ直撃。人混み人混み!!久しぶりに都会だ。

 

三ノ宮の改札を出ようとSuicaをピッとやると、「係員のいる改札へ」みたいなことを言われ通れなかった。「県跨いだからかな?」と思って「すみません、通れなかったんですけど…」と窓口へ行くと、ちゃんと関西弁で「お姉さんどこから乗ったんですか?」と言われる。絶賛旅人なので「あれ、待って、最後に改札通ったの何駅だっけ?」と思い「えっと…」と考えていると若干強めの口調で「分からないんですか?」と言われさらに焦る。しかも結局「あ、お姉さん残高不足ですよ?」と言われた。

 

…関東圏ではチャージ不足の時に改札を通ると「チャージが不足しています」ってちゃんと教えてくれるから、「係員のいる改札へ」って言われたらチャージ不足だとは思わないわ…!(笑)ちなみに関西圏の駅では、電車に乗るときにチャージ額が最低運賃に達してなくても改札を通れるらしい。関東圏では「残高が不足しています。チャージしてください。」みたいなことを言われて改札を通れない。総じて関東圏の改札の音声のバリエーションは豊富…!(なんも嬉しくないけど。)

 

改札を抜けて人混みをかき分けて、友達が来るまでコインランドリーで洗濯をすることにした。なんか疲れた。久しぶりの人混み。冷ための駅員さん。関西人の口調はちょっと強く感じるって話はほんとかも。それにこの日、ひたすら炎天下の中歩いてるからなぁ…。

 

その後数ヶ月ぶりに友達と再会し、居酒屋へ。三ノ宮駅での一連の出来事を友達に話したら、「東京の方が冷たいよ?」と真顔。うーーん(?)。そこはなんとも言い難い。(笑)でも新潟の人が優しいかと言えば、新潟の人は大人しいから愛想ないと思われそう。

 

そして話は焼きそばに鰹節をかけるかかけないか論争に。西は焼きそばにかつお節をかけるらしい。かつお節と中華麺の組み合わせってなんか食感合わなそう、って一瞬思った。彼女には言わないけど(笑)

 

あ、人生初の「焼きうどん」とやらはとても美味しかった。それと、出されたものが注文したものとちょっと違くて、友達は店員さんを呼びつけて聞き慣れないイントネーションでその旨を伝えていた。現地に染まっている彼女を見ていると言語も通じない外国に来た気分(笑)彼女は神戸出身ではないので、関西弁ではない方言を話すんだけど…彼女の話す言葉と関西弁の違いが新潟県民にはよく分からない(笑)

 

その後も「お会計お願いします」って店員さんを呼びつける友達。イントネーションは「お→会↑計↓」。日本ってこんなに多様だったっけ。思ってるよりも日本はおもしろい。

 

この旅で遣ったお金

 

朝カフェ 1220円

マステ(2個) 625円

倉敷のお土産 1139円

後楽園入園料 410円

お昼カフェ 1500円

岡山駅ロッカー代 600円

コインランドリー 800円

マックシェイク 130円

夜ご飯の居酒屋 2169円

 

岡山駅→後楽園 140円

倉敷→岡山 330円

岡山→三ノ宮 2640円

※この日は18きっぷは使っていないので交通費もかかっている

 

=11703円也💸

 

 

 

西日本18きっぷ女一人旅 〜広島・尾道編〜

西日本18きっぷの1人旅をしてきたので、その記録をしておこうと思う。今回とて書きたいことが盛り沢山なので少しずつ投稿していくことに…。ちなみに目指すは益田ミリさんみたいな紀行文なので、最後に旅費を載せています。(笑)

 

 

 

広島・尾道

 

尾道までは宮島口から山陽本線を使ってきた。高校時代の親友と、山口&広島弾丸旅をした帰りである。社会人の彼女は日曜の16時の飛行機で羽田へ飛んで帰ってしまった…。ああ、私も本当は夏休みなんてない生活をしてるはずだったのか、と考えると震えが止まらない。でも彼女には羽田まで飛ぶお金がある。学生の私はせいぜい18きっぷで貧乏旅である。

 

山陽本線から見える瀬戸内海はキラキラに輝いている、地中海みたいだった。中国地方を走る山陽本線山陰本線。前者は瀬戸内海側を通り、後者は日本海側を通る。面白いのは、(少なくとも新潟県民的には、)海は田舎のイメージなのにここでは海岸線に沿って街が発展していること。真ん中に中国山地があるからか。

 

そんなことを考えていると尾道に到着する。ちなみに尾道について、「細い階段道、猫、瀬戸内海」の3点セット以外の知識はゼロ。そして数年使っているiPhoneの充電が異常な速度でなくなるため、カメラ以外の用途でスマホを使わないのが私の旅。

 

尾道駅の出口から少し行ったところで「千光寺登山口」という看板を見つけた。事前調べをしていないので、「登山?」と一瞬思いながらも、ほぼほぼ疑うことなく、「ザ・尾道」の細い細い道を進んで行った。険しい坂道と階段を、気温32度の中、ただひたすら上を目指した。

 

しかししばらくしても観光客とすれ違うことなく、虫も多いし、何なら尾道と言えばの3点セットの「猫」が、1匹もいない。このままでは尾道3点セットが、「登山、虫、虫」として私の脳に上書き保存される。

 

「本当にここ?」と思い、不安になりながらも20分〜30分くらい歩いたのだが、遭遇するのはやはり虫ばかり。無造作に生い茂る木が光を遮っていて、「この先絶対虫が出ます」と言っているような道が数メートル先まで続くのを見た瞬間、Uターンを決めた。だって絶対、なんかおかしい。仕方がなくiPhoneGoogleマップを開くと、当然、間違っていた。まあ、正確にはその道からも行けたけど、みんなが通る道ではない。

「この先絶対虫が出ます」って道。

下山して駅前の通りを歩いていると、「古寺巡り」の看板を見つけた。(まだ歩きこりない。) 尾道は古いお寺がいくつも残っていて、古寺巡りができることでも有名である。行ってみるか、ということでさらに20分〜30分歩き、5つくらいお寺を回ったところでロープウェイの乗り場を発見した。ここは迷うことなく乗車。少し前までは片道320円、往復500円だったらしいが、値上げラッシュのこのご時世。片道500円、往復700円になっていた。値上げ幅がでかい。「700円は高くないか?」と思ったので片道チケットを購入。

 

ちなみに巡ったお寺の写真は1枚もない(笑)それだけ必死に歩いていたor充電がなかったらしい(笑)

「次の寺」の瓦が素敵。一度「古寺巡り」を始めると看板がいくつもあって迷うことはないのだが、なぜ駅から設置してくれないのか…。

ロープウェイの中はカップルと、友達と旅行中の女の子たちで溢れていたが、居心地は悪くなかった。説明のお姉さんの声がまるで録音かのような安定さで、なんだかロボットのような気もしたけれど。全長は365m。熱海のロープウェイが全長273mで日本一短いことを謳い文句にしていたから、まあまあいい勝負(?)

 

ロープウェイ到着の駅は標高180mのところにある。そこの展望台に登ると瀬戸内海が見渡せる。ポツポツと島がたくさん浮いていて、傾きかけた夏の終わりの太陽に照らされて若干霞んでいた。

夏も終わりが近い。

標高180mは決して高くないが、1つ1つの島は小さめでそこからでも島の後ろ、そのまた後ろに島があるのが確認できる。その島との間を行き来する船。島にかかるとてつもなく大きな橋。そこを通る車。

 

ああこうやってずっと昔から、人々は繋がってきたんだなあ、と思うと、瀬戸内海沿岸に住む人々の歴史と、生活の一部を垣間見た気がした。

沿岸部の発展具合が一目瞭然。

ちなみに16時に尾道に着いた私に許された日没までの時間は2時間半くらい。頂上ではっさくジュースを飲み、歩いて下山した。千光寺は参拝時間の17時を過ぎていたため、素通りすることに。

 

途中に「文学のこみち」を通った。ここに来るまで知らなかったが、尾道は作家・詩人ゆかりの地でもあるらしい。最も有名なのは、林芙美子さんの『放浪記』だろうか…。ほぼ読めないけど、小説の一部分が岩に刻まれている。

 

「海が見えた。海が見える。」

 

尾道に来た誰もが言ってしまうこのフレーズ。ちょっと表現を変えただけなのに、2回言いたくなる気持ちもすごくよく分かる。そのあと「五年振りに見る尾道の海はなつかしい。」と続く『放浪記』。これをきっかけに読んでみたくなった。

 

他にも志賀直哉松尾芭蕉正岡子規、十辺舎一九など…。聞いたことのある名前が続いている。志賀直哉はわりと読んだことがあるけれど、ここの岩には未読の『暗夜行路』の一節が刻まれている。まあ読んだことがあろうがなかろうが、贅沢な「こみち」である。

 

商店街まで下って、駅を目指す途中にあったレモンのお店に立ち寄った。レモンフラペチーノで喉を潤す。9月初旬、瀬戸内はまだまだ暑い。

 

あ、帰り道にはちゃんと猫がいた。海が見える階段道も続いていた。

この写真に尾道が詰まっている。

「細い階段道、猫、瀬戸内海」。

 

尾道の3点セット。イメージ通り、ちゃんと揃っていた。

 

そこに「古寺巡り、ロープウェイ、文学のこみち、島暮らし、サイクリング、柑橘類、、、」沢山のイメージを追加して、上書き保存。

 

道に迷ってちょっとだけ時間を無駄にした気もするんだけど、それはそれで良いか。旅に正解はないのだし。

 

この日はこの後山陽本線岡山県倉敷まで向かった。着いたのは20時近かったと思う。駅に直結のショッピングモールで旅に足りないアイテムを爆買いしてしまった…。

 

今回の旅で遣ったお金

 

尾道駅ロッカー代 600円

ロープウェイ(片道) 500円

はっさくジュース 300円

レモンフラペチーノ 490円

お土産 749円

 

夜ごはん(セブン) 602円

化粧品など 2552円(😱)

無印良品 250円

 

6043円也。。。

 

18きっぷを使っているため交通費は省略です。

 

 

【高校留学】#3 スペイン語が分からなくて。

⚠︎今更だけど…

以前書いていたブログを振り返ってみたのだが、意外と色々な話を書いていることに気がついたので、ここにリンクをまとめて貼っておくことにし、このブログ内ではまだ書いていないことを中心に話していこう…

 

と思ったのだが、前の方のブログで書いた記事のURLを貼るのが意外と面倒な作業だったので、それはいつかにしよう…。(消したわけではないので誰でも見れます。)

 

今回の内容は語学について。意外と大好きな語学について触れてこなかったので…

 

 

留学前の語学力

私はパナマに留学する前、ほとんどスペイン語を話すことができなかった。何しろ前にも書いた通り、英語さえできれば生きていけると思っていたから。

 

しかしその英語力も、留学から帰国してすぐに受けた(=高2の冬)TOEICは560点。となると留学前はそれよりも低かったと思われる。英検は2級を持っていた。

 

スペイン語はとりあえず読み方を覚え(ほぼローマ字読みw)、ラジオでスペイン語を2〜3ヶ月聞き(流し)、やった気になって出発の日を迎えた。結果、かろうじて自己紹介ができる程度。

 

自己紹介すらできない

ホストファミリーが英語を第一言語とすることを聞いて胸を撫で下ろした私。パナマの学校は3月始まりのため、2月に到着した私には1ヶ月ほど時間があった。その間にスペイン語を習得できればいっか〜と気楽な私に降りかかった最初の試練;自己紹介すらできない問題。

 

あれ、自己紹介がかろうじてできるレベル??と書いた矢先ですが、自己紹介ができなかったのです。なぜなら、「あなた名前は何というの?」「自己紹介してよ」というスペイン語を知らなかったので、自分の名前を聞かれていることに気づけなかったから。

 

ママさん(ホストマザー)は、近所の人や教会の人に私のことを紹介して回ってくれたけれど、毎回意味不明の言語の会話ののちに、沈黙があり、2人が私を見つめる時間がある。すると彼女が「あなたの名前、教えてあげなさい」と英語で言ってくれるのだ。それを聞くまで会話の内容がチンプンカンプンな私。まだその頃はスペイン語が言語ではなく、単なる音としてしか認識できていないため、絶望的だった。そしてママさんに英語で促されると、自己紹介の一文だけスペイン語で言うのは変だよネ、ということで、英語で自己紹介した。本当は自信がないことへのただの言い訳だって気付いていたけれど。「あ、えっと、I'm 〇〇. Nice to meet you!(苦笑)」と言っている自分が情けなかった。

笑って乗り切る。

そのうち近所に住む、ママさんの姪っ子さんとその子どもたちと出会った。この姪っ子さん家族はのちに私のパナマ生活において大切な存在となる。ジョアナという彼女には2人の娘がいた。当時5歳のジョアニー(通称アビ)と当時3歳のジェネル。ある時公園でローラースケートの練習をしていたアビとジョアナが私を外に呼んだ。

 

ジョアナは簡単な英語なら話せたので、たどたどしい会話をしながら、2人と住んでいるコミュニティを歩き回った。英語がほとんど話せないアビは、母親のジョアナにスペイン語でひっきりなしに何かを聞いていた。その1文には私の名前が出てくる。

「%△#?  私の名前 ♭#▲◎&@□??」

私にはこんな風に聞こえていた。ジョアナはその疑問に毎回同じような1文で返していた。

 

スペイン語が話せないのに、アビがジョアナにひたすら、「なぜ〇〇(筆者)はスペイン語を話さないの?」と聞いているのだと分かるのに時間はかからなかった。ジョアナの返答に「Japonesa (日本人)」という単語が出てきていたからかもしれない。5歳のアビにとって私は、初めて会う「外国人」だった。今までこの世界の人は全員スペイン語を話す、と思っていたのだろう。なんとも幼くて可愛らしい考えなんだ、と今でこそ微笑ましく思えるが、当時の私にとって、あの一言は刃物よりも鋭かった。

¿Por qué 〇〇(私の名前)no habla español?(なんで〇〇はスペイン語を話さないの?)」

( (…えっ) )

「¿Por qué?(なんで?)」

( (ぐさ) )

「¿Por quéeeeeeeeeee?(なんでえええええ)」

( (ぐさぐさぐさ) )

プライバシーの侵害とかパナマに存在しないから絶対載せても良いけど一応目隠し^^

特に仲良しだったアビたん。私から離れない。「アビ」ってあだ名は「アビゲイル」というミドルネームから来てる!

留学先の学校

私が通うことになったのは、日本では「ラサール」と呼ばれる私立の高校だった。私が住んでいたコロン県は前にも書いたが、治安が良くないため、現地の公立校に通わせることは難しいと判断されたからだ。その私立高校の生徒たちはパナマでは"トップレベル"の教育を受けてきている。

 

外国人の留学生が来たと聞いて、みんなこぞって私に英語で話しかけてきた。なんなら英語の練習♪という感覚だ。日本でも同じかもしれないが、英語ができることは、パナマでステータスのようなものだった。おかげで全くスペイン語を話さなくても生きていけた。

 

でも英語も大してできない私は、学校の英語の授業についていくのが大変だった。(その話はまた今度書くことにする。)英語の授業でぼーっとしていたら、英語の先生に「君はスペイン語の方が英語よりも分かるのかい。」と皮肉を言われたこともあった。スペイン語でも英語でも、自分を表現できるレベルの語学力がない。その事実はなによりも私を無力で孤独な存在に感じさせた。

 

そんな時留学プログラムが主催する1ヶ月オリエンテーションがあり、他の留学生たちと久しぶりに再会した。色々な国からの留学生がいるが、母語がヨーロッパ系の言語の留学生はやはりスペイン語の上達も早い。アジア系の留学生の中でも、スペイン語力の差が少しずつ見え始めていた。

 

オリエンが全てスペイン語で行われるようになったのもこの時で、さすがにやばい、と思い始めた私はこの日をきっかけにスペイン語を勉強することに決めた。

 

スペイン語の勉強法

 

私の場合、家でスペイン語を使うことは不可能に近かったため、学校など家の外でスペイン語を練習しなければならなかった。そこで、たまたま日本から持参していた小さいノートを常に持ち歩き、そこに聞いた単語や知らない単語をメモすることにした(まるで看護実習)。(他にも、気づきや驚きをメモするために使った。)

 

最初の頃は「郵便局」や「顔」、「〇〇してくれますか?」といった基本的な単語や文をメモした。しばらくするとスペイン語版「Happy Birthday To You」の歌詞や、教会で歌う歌の歌詞を学校の友達が書いてくれた。ネットでも調べられるが、特にスペイン語は地域によって違いが大きく、パナマのような小さな国の"方言"は、あまりメジャーではないため見つけるのが難しい。そのため現地で使われている言葉や歌詞を、現地の人に聞いて書く方法は効率がよかった。

 

パナマでは誕生日の曲の歌詞が何通りもあって、最初の一節が終わると歌詞がバラバラなのでぐだる。ちなみにノートは使いすぎて(?)何度か水没もしているのでパリパリ。

 

小さなメモ帳にメモしているのを知った友達は、積極的にスペイン語を"書いて"教えてくれたし、何よりも言語が拙い私にとにかく優しかった。

 

間違えることもあるけれど

徐々にスペイン語が理解できるようになると、様々な間違いに気づくようになる。例えば、「¿Cómo estás? (調子はどう?)」と聞かれ「Bien, ¿y tú ?(元気、あなたは?)」と返すと彼らは大抵、「Bien bien. Gracias a dios.(元気、元気。神のおかげで。)」と言う。

 

この最後の「a dios.(神に)」。発音は「ア ディオス」。しかしこれが繋がって「アディオス」と聞こえる。つまり「Adiós(さようなら)」と同じ発音。だから私は勝手に「元気元気。ありがとう、さようなら」と言われているのかと思い、「ええ、まだ挨拶しただけなのに、一方的に解散???」となっていた。(笑)

 

見える世界が変わること

私は結局、1年間の留学を通してスペイン語がペラペラになったとは言えない。それでもスペイン語のおかげで見える世界が広がったということだけは伝えたい。言語学者でもあったウィトゲンシュタインの言葉に、"The limits of my language mean the limits of my world."という一文があるが、この言葉の通り、他の言語が話せるということ、理解できるということ、それは自分の見える世界を2倍、3倍にしてくれた。人生を2倍、3倍楽しめる方法を知った気がする。単純なところで言えば、スペイン語の映画や音楽、スペイン語圏の文学、美術に触れるようになった。スペイン語に出会わなければ開かれなかった地域への扉、出会えなかった人たちが沢山いる。だからスペイン語に出会えて心から良かったと思っている。

 

そして今でもスペイン語を勉強しているのは、このパンデミックが収束したときに、パナマが戻りたい場所であり続けているからだ。

 

準備量は収穫量を決める!って後悔。

一応後悔していることを書くならば、言語は最初の土台が重要であるということ。私の友達の中には、日本である程度スペイン語を勉強してから留学に行った子もいて、その子の言語の伸びは比にならなかった…基礎ができていれば、最初からどんどんスペイン語を使って、間違い、直してもらい、新たな単語を覚えるというサイクルが早くにできる。もちろんその人の性格や、置かれた環境にも寄ると思うが、留学前にどれだけ準備できたかで留学後の伸びも変わってくる、ということは身に染みるほど実感したので、今後の教訓として残しておこう…

この差よ。きっと言語に限らず何事も準備量が収穫量を決めている…

ちなみに帰国後も勉強し続けたおかげで、今は帰国直後の10倍くらい話せるはず…

 

やっぱり旅っていいなあ。

旅に行ってきた。中学の時の同級生と女2人旅。観光のモデルコースを行くわけでもなく、温泉付きのちょっと豪華なホテルでゆっくりするわけでもなく、ただただ偶然巡り合う美味しいものを食べて、気になった場所を訪れ、電車に揺られる旅。そして改めて気が付いた。

 

やっぱり旅っていいなあ。

 

ど定番の観光地を巡りたい派、知る人ぞ知る辺鄙な場所を攻めたい派など、人によって旅の好みは別れるのだが、私は好きな旅に拘りはない (と最近気づいた)。

 

そんな私の旅好き遺伝子は、両親から受け継がれたもの。

 

幼い頃から夏休みに決まって4日〜1週間、外国に連れて行ってくれた両親。優雅な海外旅行を毎年できるほどお金持ちではないので、いつも貧乏旅だったけれど。

 

私も私の両親も、生まれ育ったのは新潟県長岡市。前にも書いた気がするけれど、長岡は他県が遠い街だと思う。

 

新潟県のちょうど真ん中に位置する長岡から出る電車は、上越線の水上行き以外全て新潟県内の市町村に向かう電車だ。だから高校を卒業するまで水上は新潟県内の地名だと思っていたし(水上は本当は群馬県)、線路が県外に繋がっていると思っていなかった。新潟県は縦に長いから、ちょっと北に位置する新潟市まで電車で1時間半もかかるし、南の糸魚川の方は電車1本ではたどり着けない。細い分東西の移動は楽なのでは?と思いきや、西は日本海。東は越後山脈に阻まれ、路線自体ない。行き先を阻まれた虫みたいに、やっぱり他県が遠い。

 

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だからだろうか。知らない場所への憧れが強い。いろいろな県を旅していると、他県とを結ぶ電車が存在することに驚いてしまう。関東や大阪近辺は、通勤通学ですら県境を超えることが普通のこと。その普通は私にとって普通ではなかった。

 

旅の移動手段の中でも私が好きなのは鈍行電車。時間はかかるけど、それ以外のデメリットが思い浮かばないのだ。飛行機はワクワクする度1位だけど、お金はかかるし郊外の空港まで行くのに時間がかかったりする。高速バスでも良いけれど、小さい頃車酔いがひどく、今でも車での移動に嫌悪感を持っている。新幹線は速いけれど高い。

 

だからやっぱり鈍行電車だ。ただ旅の出発地と目的地の点と点を結ぶんじゃない。間に読めないような漢字の駅を通るのが良い。地球のつながりを感じる。知っていたり初耳だったりする地名が、1本の線になって、頭の中の地図を繋いでゆく。

 

こうやって鈍行列車で旅をしていると、日本は小さい島国だと思っていた考えがみるみるうちに消えていく。この世界は果てしなく大きい。人生をかけて旅をし続けても、地球のあらゆる場所の隅々まで行くことは多分、できない。

 

その事実を確かめに行きたいのかもしれない。

 

田んぼに囲まれた小さな町に生まれ育って、もっと広い世界を見たいと思って留学した。この小さな町から抜け出したいと思って生きてきた。地域全体が家族みたいにつながっている町に生きることは、たまに息苦しい。

 

だからやっぱり、世界は広い、って思いたいのかもしれない。それだけで呼吸が楽になる気がするから。

 

と旅への愛を書き連ねる私だけど、パナマに留学するまで1人で海外に行ったこともなければ、1人で旅行をしたこともない。趣味を聞かれて「旅」という単語が思い浮かぶこともなかった。

 

いつから私の趣味は「旅」になったんだろう。

 

高校を卒業した時に、卒業旅行と題して友達2人と台湾を旅行した。「旅行しよう?」という一言から始まり、「じゃあ近場の海外行こうよ」と言ったのは私だったかもしれない。初めての台湾に3泊4日。どこに行こうかとガイドブックを眺めて、どうしても行ってみたいと思ったのはなぜか、普通台湾初心者は行かない湖だったりした。(多分台湾に行ったことがある人でも、湖??となるだろう)

 

やっぱりもう小さい頃から、旅好き遺伝子は刷り込まれていたのかなあ。

 

初めて1人で海外に行ったのは(留学を除けば)浪人生活が終わった3月のカナダ旅だ。でもほとんど観光地に行った記憶はないし、一人旅と言いつつも、現地に着けば移住したコロンビア人の友人がずっと一緒だったので、「ひとり」ではないかもしれない。まあ、スーツケースが来なかった上に、大幅遅延で終電まで逃し、空港泊を強いられるというトラブルが最後にわんさかと降りかかったが。

 

トラブルといえば、私史上最大の旅事件は日本に帰国できなくなった2つの旅;パキスタン旅行とイベリア半島旅行。

 

それまで何事もなかったパキスタンとインドが、私の旅行に合わせたかのようにタイミングよく突然武力衝突を始めた。東向きに飛ばない飛行機。使えない保険。回ってこない順番。偶然出会った新潟に住むパキスタン人のおじさん。1日早くパキスタンを去り、タイで1泊したおかげで再会できたタイ人の友人たち。

 

イベリア半島旅行中にコロナウイルスの流行が始まった。なぜか熱っぽくてだるくて、呼吸が苦しくならないか不安に怯えた。閉まる国境、営業しないお店。買い溜めが起き、商品棚は空っぽだった。ヨーグルトとドーナツだけで生きていたあの時。何度予約しても乗る予定の便は欠航になった。

 

そんなことが起きてもちゃんと日本に帰国でき、今こうしてブログを書いている。「人生はなんとかなる」ということを旅は教えてくれる。いつかは分からないけど、ふとした時に、旅の経験は活きると信じている。息苦しくて逃げ出したくなった時、避難先の候補が私には沢山ある。

 

そして旅先で出会う、自分とは違う人生を歩んできた人たち。印象的だったのはパナマ再訪中のボートで出会ったスーツ姿のおじさん。島に行くのになんでスーツなんだろうと思ったら、島の先生だった話 (前にも書いたが)。毎朝、まだ辺りが暗い中、ボートに乗って島の学校に出勤する。ボートの上から見る朝日が綺麗だった。

 

日本で上手く生きていけない気がする時、こうじゃない人生だってあるんだから大丈夫と、自分を肯定できるのは、そんな人々に出会ったからだ。

 

食に関して私は特に拘りがない。その土地ならではの名物を食べる時もあるけど、全国チェーンのお店でもコンビニご飯でも良い。今回の東北旅では、福島駅に目ぼしいお店がなかった。見つけたサイゼリアに希望を持って駆け込んだが、コロナ対策で22時閉店。ちょっとがっかりしてセブンイレブンに行き、全国どこでも売られているドリアとペンネを買ってホテルで食べた。がっかりだったはずなのに、温かくて味が濃くて、ちょっと体に悪そうな添加物とかが入ってそうで、美味しいのだ。一瞬「ニキビができそうだなあ」とか思うけど、まあいっか、と思えるほど旅は気楽だ。翌朝はマクドナルドで朝マックをテイクアウトした。電車の中で数百円しかしなかったパンケーキとソーセージマフィンを食べながら、「こんな安くて良いんかね?」と話す2人は海外気分に浸っている。

 

別に旅に出なくてもできること。福島でなくても食べれるもの。それでも私は美味しければ満足だ。きっといろいろなことに縛られたり、追われている日々の中で何かを食べてる時って、数分の1しか味がしていないんだろうな。それに旅先での小さな幸せは、日常のそれよりもなぜだか数倍大きい。

 

見たことのない景色、自分のとは異なる時間感覚、人生観、ライフスタイル、やっと注文できたのに期待ほど美味しくない料理、音としてしか認識できない言語、通じ合えたときの気持ち、肌や目、髪の色も含めてマイノリティである孤独感、何の前触れもなく降りかかる、自分の力では回避できないトラブル。そういうもの全てが私にとって刺激的だ。「違う」は「面白い」。海外に行くのが好きなのは、その「違う」の度合いが桁違いだからだろうか。

 

まあ何が書きたかったかって、ど定番の観光地を巡り、あぁ本当にあるんだ、本当に美しい、って気持ちを周りにいる大勢の観光客と感じるのも良いし、辺鄙なところに行き自分(たち)だけのステキな場所を見つけるのも良い。

 

あと一歩の勇気が出ない自分と向き合う1人旅も好きだし、大勢でわちゃわちゃと、学校でもできる話をしながら旅するのも良い。

 

本場の〇〇を食べるのも良いし、どこででも食べれるものを食べて、普段以上の満足感を味わうのも好き。

 

地球の裏側まで行ってぶっ飛ぶような常識を目の当たりにしても良いし、電車で数時間の場所で小さな違いに敏感になるのも良い。

 

どんな旅も私は好きなんだって思った。

 

大好きな作家さんの言葉。

この世界は旅するに値する。

原田マハ「ハグとナガラ」, 文藝春秋, 2020年

 

何度噛み締めたか分からないこの言葉を、この夏も思い出す。

 

ああ〜旅っていいなあ〜。

 

📍西の果て、ポルトガルの夕焼け

📍パナマのボートから見た朝焼け

📍コロナ禍のポルトガルの電車内に貼られていたやつ

📍パキスタンで本を売る(気があるのか分からない)おじさん

📍インドはカラフル

📍ユーラシア大陸最西端のロカ岬で大西洋に背を向けた図

📍ポルトガル南部の港町にある線路(1日数回しか電車は通らない)

 

◎旅した記録

【旅という旅をしたことがある都道府県(市町村)】

富山県富山市

京都府

大阪府

兵庫県(神戸市)

沖縄県

群馬県高崎市

福島県会津若松

宮城県仙台市

岩手県(平泉)

新潟県佐渡市

静岡県熱海市

神奈川県(箱根町

 

私は国内旅行歴が圧倒的に少ない…。コロナ禍でようやく増えてきたところ!

 

【旅したことがある国(都市)】

アメリカ(グアム、ハワイ、LA、ラスベガス、テキサス)

インドネシア(バリ島)

マレーシア

中国(北京、上海)

香港

シンガポール

フランス(パリ)

イギリス(ロンドン)

タイ(バンコクプーケット島)

パナマ

スペイン(バルセロナマドリード、セビージャ、マラガetc...)

台湾

イタリア(ローマ、ヴェネツィア

バチカン市国

カナダ(バンクーバー

インド(デリー、アムリットサルetc...)

パキスタン(ラホール、カラチ)

コロンビア(ボゴタ

ポルトガルリスボン、ファーロ)

 

国外は2回以上訪れている都市もあったりする。そろっと記憶力の限界なので、実はメモに書いている…