Serenita

感情の消化。

人生の伏線を回収する

昨年のことだったか、とある本で見つけた言葉。

 

「人生の伏線を回収する」

 

確かに。よくよく考えてみると人生は伏線と伏線の回収だらけな気がした。何気ない出来事が、後々の人生の核となっていることがあったり、その時には解消できなかった感情が、何年後かに解消されていることがある。

 

たとえば私のちょっと珍しい名前。

 

実家の棚の上で埃をかぶって寝かせられているアルバムたちの中に、背表紙に母の丁寧な字で、「19xx.x〜(私の生年月日)」と書かれているものがある。開くと、その最初のページに生まれた時の私の写真が貼られていて(全然可愛くない)、その下に両親から手書きのメッセージが書き綴られている。

 

『〇〇(私の名前)には、スペイン語で「穏やかな、平和な」という意味があるそうです。』

 

父の辛うじて読める汚い字でこう書かれている。

 

中学生の時だったと思う。初めてこのアルバムを見つけ、父の言葉を読んだ時、へー。と思った。名前を(珍しいから)男子にいじられた時、思春期の私は少し気にして、普通の日本人の名前の妹を少しだけ羨ましがった。外国に行くと100%通じる名前だから、高校生の頃からはほとんど気にしなくなったけど。

 

そんな高校生の時、中南米の知らない国に留学をした。私の第一希望ではなかったその国はスペイン語圏。それまで何の縁もなかった、1ミリも知らないスペイン語という言語を0から勉強することとなった。

 

留学中、

 

『本当に可愛い名前!その名前、スペイン語で「穏やかな、平和な」って意味があるんだよ』

 

出会う人出会う人、みんなに言われた。

 

うん、そう。知ってるよ。

 

 

でもあのアルバムに写る小さな私は知らない。自分の名前の意味も、将来スペイン語を勉強するようになることも。

 

私は、偶然スペイン語の名前を付けられ、スペイン語圏に留学することになった。ちゃんと名付けられた意味を探すように、スペイン語を勉強することとなった。スペイン語で見える世界が大好きになった。

 

偶然だけど偶然じゃないのかもしれない。15年かけて伏線は回収された。「運命」とも言うのかな。

 

 

話は変わるが、「看護の資格を取ることにした」と人に言うと、間髪入れずに理由を聞かれる。それはまた、いつかの機会にじっくりと書くけれど、ここからは少し今につながる話。

 

二十歳の夏に、大好きな中南米を旅行しようと、成田空港からメキシコを経由するフライトに乗っていたときのこと。14時間もかかるその便は、搭乗客ほとんどがメキシコ人だった。確か太平洋上空を飛んでいる時だったと思う。アナウンスが流れた。

 

「機内で体調が急変したお客様がおります。お客様の中に医療従事者がいらっしゃいましたら客室前方までお越しください。」

 

多分こんな感じ。今まで数えきれないほど飛行機に乗ったことはあるけれど、こんな経験は初めてだった。ざわつく機内。前の席に座っていたガタイの良さそうなおじさんが席を立った。一緒に来ていた家族が何か声をかけている。その後も2〜3人が細い通路を歩き、機内前方へと向かった。

 

私はその様子をじっと眺めていた。私の席は後ろの方で、どこで処置が行われているのかさえ分からなかった。ただ、もしここに、看護師である私の母がいたらどうしただろうかと考えた。もしかしたら急病のお客さんを助けようと名乗り出たかもしれない。

 

だが、母は英語すら話すことができない。

 

さっきのアナウンスは、スペイン語、英語、日本語の順に読まれていた。それは機内の乗客がほとんどメキシコ人だったからだと思う。私は程度に差はあれど3ヶ国語で全てを理解していた。でも理解していても、何かしたくても、医療知識がないから何もできない。スペイン語、英語、日本語、3回同じ情報が頭の中に流れた私は、何度も必死に呼びかけられている感覚だった。

 

母には看護の技術があるが、日本語しかできないから、あの場にいても何もできなかったかもしれない。それは言語を理解していても何もできない私と結果的には同じだ。残りの10時間弱のフライト中、隣で元カレが爆睡していても、私はずっと考えていた。私にできて母にできないこと。母にできて私にできないこと。言語ができて、それにプラスのスキルがあったら最強だな、とぼんやりと思ったのは、高校生の時に読んだ本の「自分を最大化させる」という言葉が頭をよぎったからかもしれない。(たまに言語だけできても…という議論になるが、私は言語ができることはそれだけで十分なスキルだと思っているので、そういうことが言いたいのではない。)

 

数年経った今でもあの時の気持ちが蘇る。別にこれがきっかけで「看護師になりたい!」と思ったわけでは全くないけれど、この時感じた無力感が今のためにあるのだとしたら、私はしっかりと伏線を回収している。いつかどこかで自分にも救える命があると信じて、あの夏のメキシコシティ行きのフライトを思い出す。

 

 

ちなみにその便は途中で引き返したり、行き先を変更することなく、ちゃんと目的地に着いたので、私は中南米旅を満喫することができた。

 

こんなことをふと思い出すのは基本、テストと実習で多忙を極めている時。眠い目をこすって起きているのに、開くのはノートではなくパソコンだ。文章化したい欲求を抑えきれずに書いてしまっているのです。