そんなわけで始まった私の留学生活。
※長くて読みにくい気がしたので目次をつけます。
オリエンテーション
到着後2日間は、世界各国から留学してきた仲間と共に、ホステル内外でオリエンテーションを受けながら、ビザなどの事務的な手続きを行う。数日とはいえ、ホステルでの生活は愉快で、孤独な「留学生」という繋がりだけが、絆を深めてゆく。
3日目にそれぞれホストファミリーの家に散った。私の場合、ホストファミリーがホステルに迎えにきてくれることになっていたのだが、待てど待てど来ない。この時私は、この国の人々の、時間感覚の狂い度をまだ知らなかった。予定の時間を2時間、3時間過ぎても来る気配はなかった。
ホストファミリー
私のホストファミリーは当時40代のママと、彼女の年上の従姉妹2人。私はホストマザーのことを「ママさん」と呼んでいたので、このブログ内でもそのように表記する。(あ、あとでかくてうるさい、わりと苦手だった犬、Sparky[スパーキー])
ママさんたちは生まれも育ちもパナマだが、両親がジャマイカ出身の移民のため、英語が第一言語である。家の中では英語を使い、外で純粋のパナマ人(…という言い方はおかしいが)と会話するときにはスペイン語を用いる、英語とスペイン語のバイリンガル。(羨ましい)
ただ、ママさんのように英語圏にルーツを持たないパナマ人は英語が苦手。ママパパ世代になるとほとんど会話ができない。意外だった。世界中で英語ができないのは日本人くらいだと思っていたから驚いた。そして「英語ができればどこでも生きていけるっしょ!」と、楽観的な考えでいた私を苦しめた。
ついでにカリブ海の旧イギリス領の英語は独特で訛っているから、ほとんど何を言っているのか分からないこともあった。色んな訛りや色んな人の英語を聞いたことで、今ではアクセントの強い英語でもわりとすんなり会話ができるようになった気はする。
パナマについて
今さらだけど知らない人も多いと思うので、パナマ共和国の基本情報。
面積:北海道よりもやや小さい
人口:422万人(北海道よりも少ない;北海道538万人)
民族構成:メスティーソ65%、先住民12.3%、黒人9.2%、ムラート6.8%、白人6.7%
パナマを含めラテンアメリカには様々な人種の人々が暮らしている。場所にもよるが、特に白人は都市部に多く、ママさんを含め、大西洋沿岸には黒人が多い。また中華系を中心とするアジア系も多くおり、沿岸部にはアラブ系やインド系の人々もいる。そしてカリブ海に浮かぶ島々に暮らす先住民の人々を見かけることも稀ではない。先住民の人々は私たちと同じ東アジア系の顔立ちをしていて、伝統衣装を着ていることが多い。スマホを持って首都のモールなんかで買い物をしている先住民の姿を見かけると、最初の頃はカオスな感じがした。
でも、このラテンアメリカの多様性は、私をラテンアメリカの虜にした理由の1つだ。そして生きやすさの理由でもあった。
キラキラな留学生活?!
私が住むことになったのはColón[コロン]というカリブ海に面する県。パナマシティからは車で1時間くらいで着く、パナマ第二の都市である。(下の図、小さくて分かりにくくなってしまったけど、「住んでいたあたり」と書いてあるところ)
※ちなみに3年前、島に行ってきた話を書いたと思うけど、その島は一番左のコスタリカとの国境のところ!ボーカスデルトロ!こんなところにあるんです。一応リンク。
#11 パナマ旅行記3日目 ボーカスデルトロ - La vida de Serenita
出発前、ホストファミリーが決まってすぐにコロン県についてGoogleで検索してみた。大して情報は出てこなかったので画像検索。
青い空に青い海。
しかしそんな美しい背景の手前に写る建物や街は信じられないほど荒廃していた。検索ワードを変えて調べると、「中米一危険な街」とか「帰ってこれたら奇跡」という文字も見たし、街に銃を持った軍隊が立っている写真もあった。当時外務省の危険度レベルは、パナマシティーがレベル1の「十分注意してください」の中、コロンはレベル2、「不要不急の渡航はやめてください」。
!?
いやいやいや、留学生活は、アメリカのスクールドラマで見るような、キラキラなはず!海が近いから毎日サーフィンに行ったり、ビーチで夕焼けを見たり、常夏ライフを楽しむの!
と、憧れだけが膨らむばかりで、上記のような情報があるとはいえ「行ってみないと分かんない!」ということで、検索することをやめた。
若さって恐ろしい。
ホストファミリーの住所をGoogleのストリートビューの機能で検索してみることもできた。しかし当時(今もかな?)コロン県はストリートビューのサービス対象外。それになにより、パナマの家には一軒一軒に住所がないため、検索しようにもできない。
お家は平家で、入れ子の構造になっていた。一番外側は高いコンクリート塀で囲まれている。玄関は普通のドアと、その外側に鉄格子のドアが付いていて、さらにその外側(入れ子の一番外側)に鉄格子のドアがある3重構造。これはパナマの一軒家に共通する構造だった。
周到な家の構造を見て、一瞬「不要不急の渡航はやめてください」の文字が頭をよぎったが、それよりも私が絶望したのは、エアコンがないことだ。熱帯雨林気候のため、年中気温も湿度も高い。暑がりの私にとったら大事件。
しかしそんなこともまた朝飯前、みたいな壁にぶち当たった。
シャワー問題
家に着いたのは夜だったので、早速シャワーを浴びようとしたとき。
バスルームに入り、赤いマークのついた蛇口を捻ってみる。水だ。時間がかかるのかも、と思ったが、何分待っても水しか出てこない。あれ、青いマークの方かな、と逆の蛇口も捻ったが水しか出てこない。仕方がないので、一旦バスタオルを巻き、ママさんに聞くことに。
「ねえねえ、お湯ってどうやって出すの?」
するとママさんは、一言、
「お湯?電子レンジ使う?」
電子レンジ???????
なぜ??????????
状況が理解できなかった私。そう。パナマでは都市ガスが普及していないため、給湯器が付いている家は非常に稀だったのだ。
この日から私の冷水シャワー生活が始まったのである。夜や雨の日はそれなりに気温が下がるため、「常夏なんだから丁度いいじゃん」って話ではない。
シャワーだけではない。フライパンやお皿を洗うのも水。
幼い頃から、「汚れはお湯で落とす」と言い聞かされて育った他称「潔癖症」の私にとって、冷水で流したフライパンの油は取れてない気がしたし、髪の毛もいつもよりパサパサな気がした。最初の頃は違いを受け入れようと必死で、自分の気持ちを押し殺していた。だから本当に辛さを実感したのは1週間、2週間した後だったと思う。冷たいシャワーを浴びながら、ふと思い出す、日本では当たり前の「お湯の」お風呂の時間。(お風呂と言ったらお湯なわけで、むしろ冷水の時に「水風呂」と形容するほど、お湯なのは当たり前なのだ。)
「海外ではお風呂に浸かる習慣がないから、シャワーだけの生活はしんどいよね〜。」
よく聞く話。でもそんなんじゃない。お風呂どころかお湯が出ないんだから。
聞いてない聞いてない。
でもモールに行けば日本でもお馴染みのLUSHがあり、何種類ものバスボムが売られている。ちなみにこれは常夏のパナマのZARAでマフラーが売られていたのと並ぶ、パナマ2大不思議。
パナマ人は朝出かける前と夜の1日2回、シャワーを浴びる習慣がある。私が「日本人は朝はシャワーを浴びないよ」と言うと不潔そうな目をされ、「学校に行く前に浴びなさい!」と言われた。いつか書くが、パナマの学校は始まるのが異常に早い。そのためシャワーを浴びるのは朝5時。気温は23度前後である。そんな中冷水のシャワーを浴びたら目覚ましどころか、6月の寒い日に入らされたプール授業の時のように、歯のガタガタが止まらない。ということで最初の数日を除き、朝のシャワーは浴びたフリをすることにした。それを学校の友達に言ったら、やっぱり不潔そうな目で見られたけど。
続く。
【参考文献】
国本伊代編著、パナマを知るための70章 第二版、2018年、明石書店
(使われているデータは2010年の国勢調査に基づく)