⚠︎今更だけど…
以前書いていたブログを振り返ってみたのだが、意外と色々な話を書いていることに気がついたので、ここにリンクをまとめて貼っておくことにし、このブログ内ではまだ書いていないことを中心に話していこう…
と思ったのだが、前の方のブログで書いた記事のURLを貼るのが意外と面倒な作業だったので、それはいつかにしよう…。(消したわけではないので誰でも見れます。)
今回の内容は語学について。意外と大好きな語学について触れてこなかったので…
留学前の語学力
私はパナマに留学する前、ほとんどスペイン語を話すことができなかった。何しろ前にも書いた通り、英語さえできれば生きていけると思っていたから。
しかしその英語力も、留学から帰国してすぐに受けた(=高2の冬)TOEICは560点。となると留学前はそれよりも低かったと思われる。英検は2級を持っていた。
スペイン語はとりあえず読み方を覚え(ほぼローマ字読みw)、ラジオでスペイン語を2〜3ヶ月聞き(流し)、やった気になって出発の日を迎えた。結果、かろうじて自己紹介ができる程度。
自己紹介すらできない
ホストファミリーが英語を第一言語とすることを聞いて胸を撫で下ろした私。パナマの学校は3月始まりのため、2月に到着した私には1ヶ月ほど時間があった。その間にスペイン語を習得できればいっか〜と気楽な私に降りかかった最初の試練;自己紹介すらできない問題。
あれ、自己紹介がかろうじてできるレベル??と書いた矢先ですが、自己紹介ができなかったのです。なぜなら、「あなた名前は何というの?」「自己紹介してよ」というスペイン語を知らなかったので、自分の名前を聞かれていることに気づけなかったから。
ママさん(ホストマザー)は、近所の人や教会の人に私のことを紹介して回ってくれたけれど、毎回意味不明の言語の会話ののちに、沈黙があり、2人が私を見つめる時間がある。すると彼女が「あなたの名前、教えてあげなさい」と英語で言ってくれるのだ。それを聞くまで会話の内容がチンプンカンプンな私。まだその頃はスペイン語が言語ではなく、単なる音としてしか認識できていないため、絶望的だった。そしてママさんに英語で促されると、自己紹介の一文だけスペイン語で言うのは変だよネ、ということで、英語で自己紹介した。本当は自信がないことへのただの言い訳だって気付いていたけれど。「あ、えっと、I'm 〇〇. Nice to meet you!(苦笑)」と言っている自分が情けなかった。
そのうち近所に住む、ママさんの姪っ子さんとその子どもたちと出会った。この姪っ子さん家族はのちに私のパナマ生活において大切な存在となる。ジョアナという彼女には2人の娘がいた。当時5歳のジョアニー(通称アビ)と当時3歳のジェネル。ある時公園でローラースケートの練習をしていたアビとジョアナが私を外に呼んだ。
ジョアナは簡単な英語なら話せたので、たどたどしい会話をしながら、2人と住んでいるコミュニティを歩き回った。英語がほとんど話せないアビは、母親のジョアナにスペイン語でひっきりなしに何かを聞いていた。その1文には私の名前が出てくる。
「%△#? 私の名前 ♭#▲◎&@□??」
私にはこんな風に聞こえていた。ジョアナはその疑問に毎回同じような1文で返していた。
スペイン語が話せないのに、アビがジョアナにひたすら、「なぜ〇〇(筆者)はスペイン語を話さないの?」と聞いているのだと分かるのに時間はかからなかった。ジョアナの返答に「Japonesa (日本人)」という単語が出てきていたからかもしれない。5歳のアビにとって私は、初めて会う「外国人」だった。今までこの世界の人は全員スペイン語を話す、と思っていたのだろう。なんとも幼くて可愛らしい考えなんだ、と今でこそ微笑ましく思えるが、当時の私にとって、あの一言は刃物よりも鋭かった。
「¿Por qué 〇〇(私の名前)no habla español?(なんで〇〇はスペイン語を話さないの?)」
( (…えっ) )
「¿Por qué?(なんで?)」
( (ぐさ) )
「¿Por quéeeeeeeeeee?(なんでえええええ)」
( (ぐさぐさぐさ) )
留学先の学校
私が通うことになったのは、日本では「ラサール」と呼ばれる私立の高校だった。私が住んでいたコロン県は前にも書いたが、治安が良くないため、現地の公立校に通わせることは難しいと判断されたからだ。その私立高校の生徒たちはパナマでは"トップレベル"の教育を受けてきている。
外国人の留学生が来たと聞いて、みんなこぞって私に英語で話しかけてきた。なんなら英語の練習♪という感覚だ。日本でも同じかもしれないが、英語ができることは、パナマでステータスのようなものだった。おかげで全くスペイン語を話さなくても生きていけた。
でも英語も大してできない私は、学校の英語の授業についていくのが大変だった。(その話はまた今度書くことにする。)英語の授業でぼーっとしていたら、英語の先生に「君はスペイン語の方が英語よりも分かるのかい。」と皮肉を言われたこともあった。スペイン語でも英語でも、自分を表現できるレベルの語学力がない。その事実はなによりも私を無力で孤独な存在に感じさせた。
そんな時留学プログラムが主催する1ヶ月オリエンテーションがあり、他の留学生たちと久しぶりに再会した。色々な国からの留学生がいるが、母語がヨーロッパ系の言語の留学生はやはりスペイン語の上達も早い。アジア系の留学生の中でも、スペイン語力の差が少しずつ見え始めていた。
オリエンが全てスペイン語で行われるようになったのもこの時で、さすがにやばい、と思い始めた私はこの日をきっかけにスペイン語を勉強することに決めた。
スペイン語の勉強法
私の場合、家でスペイン語を使うことは不可能に近かったため、学校など家の外でスペイン語を練習しなければならなかった。そこで、たまたま日本から持参していた小さいノートを常に持ち歩き、そこに聞いた単語や知らない単語をメモすることにした(まるで看護実習)。(他にも、気づきや驚きをメモするために使った。)
最初の頃は「郵便局」や「顔」、「〇〇してくれますか?」といった基本的な単語や文をメモした。しばらくするとスペイン語版「Happy Birthday To You」の歌詞や、教会で歌う歌の歌詞を学校の友達が書いてくれた。ネットでも調べられるが、特にスペイン語は地域によって違いが大きく、パナマのような小さな国の"方言"は、あまりメジャーではないため見つけるのが難しい。そのため現地で使われている言葉や歌詞を、現地の人に聞いて書く方法は効率がよかった。
小さなメモ帳にメモしているのを知った友達は、積極的にスペイン語を"書いて"教えてくれたし、何よりも言語が拙い私にとにかく優しかった。
間違えることもあるけれど
徐々にスペイン語が理解できるようになると、様々な間違いに気づくようになる。例えば、「¿Cómo estás? (調子はどう?)」と聞かれ「Bien, ¿y tú ?(元気、あなたは?)」と返すと彼らは大抵、「Bien bien. Gracias a dios.(元気、元気。神のおかげで。)」と言う。
この最後の「a dios.(神に)」。発音は「ア ディオス」。しかしこれが繋がって「アディオス」と聞こえる。つまり「Adiós(さようなら)」と同じ発音。だから私は勝手に「元気元気。ありがとう、さようなら」と言われているのかと思い、「ええ、まだ挨拶しただけなのに、一方的に解散???」となっていた。(笑)
見える世界が変わること
私は結局、1年間の留学を通してスペイン語がペラペラになったとは言えない。それでもスペイン語のおかげで見える世界が広がったということだけは伝えたい。言語学者でもあったウィトゲンシュタインの言葉に、"The limits of my language mean the limits of my world."という一文があるが、この言葉の通り、他の言語が話せるということ、理解できるということ、それは自分の見える世界を2倍、3倍にしてくれた。人生を2倍、3倍楽しめる方法を知った気がする。単純なところで言えば、スペイン語の映画や音楽、スペイン語圏の文学、美術に触れるようになった。スペイン語に出会わなければ開かれなかった地域への扉、出会えなかった人たちが沢山いる。だからスペイン語に出会えて心から良かったと思っている。
そして今でもスペイン語を勉強しているのは、このパンデミックが収束したときに、パナマが戻りたい場所であり続けているからだ。
準備量は収穫量を決める!って後悔。
一応後悔していることを書くならば、言語は最初の土台が重要であるということ。私の友達の中には、日本である程度スペイン語を勉強してから留学に行った子もいて、その子の言語の伸びは比にならなかった…基礎ができていれば、最初からどんどんスペイン語を使って、間違い、直してもらい、新たな単語を覚えるというサイクルが早くにできる。もちろんその人の性格や、置かれた環境にも寄ると思うが、留学前にどれだけ準備できたかで留学後の伸びも変わってくる、ということは身に染みるほど実感したので、今後の教訓として残しておこう…
ちなみに帰国後も勉強し続けたおかげで、今は帰国直後の10倍くらい話せるはず…