Serenita

感情の消化。

アメリカ人シスターとの思い出〜ホストファミリーになって〜

旅行前に書いておきたいエピソードがある。これを書いておかないと旅行記の途中にこの話をぶっこまないといけなくなるから。(笑)

 

1つ前のブログで予告した通り、春休みの2ヶ月は、海外に行こうと決めたわけだけど、どこに行こうかと考えたとき、どうしても自分の頭から引き剥がせなかった選択肢は、やっぱり他のどこでもなくパナマだった(軽めの溜息)。

 

ただ日本からパナマ行きの便は最安値でも往復20万超え。あの国に行くのに20万も払うのはなんか勿体ない。(だってお湯は出ないしエアコンはないし、危険で外は歩けないし、家の中は蚊だのハエだの、ゴキ…だのヤモリだのたくさんいて、うるさい番犬が朝から吠えてその音で起床する、あの国。)(ため息②)

 

そこで、色々な国を回りながらパナマにも寄って帰ってくるというルートを考えた。パナマ以外の国にも行くならお金を出しても良い気がした。じゃあどの国に行こうかと考えるも、結局知り合いがいる国に偏る。「ここに行きたいからこの国に行く」というより、「この人に会いたいからこの国に行く」。題して「好きぴな人たちに会いに行く旅」。(我ながら良き良き)

 

ヨーロッパ滞在後にパナマに渡った後、アメリカに寄って帰ってくることにした。パナマからはアメリカ各地へフライトがある。アメリカには(元カレを含めて)たくさん知り合いがいるが(苦笑)、誰に会おうか…。

 

ああ、私には会いたい人がいた。テキサス州。そこに9年間会っていないアメリカ人シスターがいる。彼女は私の家で受け入れていたホストシスター。

 

中学2年生の頃、異常なほど外国にハマった、というか、かぶれた。だからある時、ホームステイ先を募集しているという話を聞いて、絶対にホストファミリーになる!!と燃えた私。こんなど田舎にいても、英語に浸れる日が来るなんて夢のようで。

 

母や妹に話すと呆気なく反対されたし、特に妹は最後まで頑なに違う人と暮らすなんて嫌だとわめいていたが、数ヶ月かけてなんとか説得に成功。ついに中3の夏、1ヶ月弱の間アメリカから来る留学生のホームステイを受け入れることになった。

 

初めてのアメリカ人との生活。家をデコレーションし、土日の予定も考えた。当時私はカイワレ大根か何かの栽培にアホみたいにはまっていて(笑)その種蒔きもしようとか、今考えると意味不明すぎるプランをホストシスターに押し付けた(笑)

 

その年に受け入れたのは「超」が10個くらいつくほど真面目な黒人の女の子だった。同い年だったと思うので14歳か15歳。

 

でもそもそもうちには客室のようなエキストラルームもなかったし、両親は共働きだし、近くに遊びに行けるような施設はゼロだし、思っていた以上にホストファミリーは大変。何より相手は全く日本語が話せない。意思疎通が上手くいかず、思っていることを伝えられなかったり、どこに行くにも電子辞書が必要だった。

 

私は中学生の頃まで乗り物酔いもひどく、スーパーに行くだけで吐き気がすることもあった。だけど「車酔い」?そんな単語、中3で知るわけない。いくら説明してもなぜか伝わらないし、吐きそうだから会話すらしたくないのに、私以外誰も英語ができないから、死んだ目で電子辞書を打っている地獄絵図が今でも思い出される(笑)

 

でもその子が超(×10)良い子だったおかげで、数週間の共同生活は最高の日々だった。彼女を自分の中学校に連れて行き、一緒に授業を受け、土日は他の留学生たちとも出かけた。見渡す限りの田園風景は日常以外の何ものでもなかったはずなのに、なぜか「Rice field」になるだけで素敵に感じた。

 

私は生きた英語をたっぷり吸収し、言語の壁があった私の家族とも彼女は打ち解け、最終日は新幹線ホームで家族全員大号泣。

 

ということで、1年後、ホストファミリーの募集がかかったときは満場一致で即応募。ところが前年のような真面目な子が来るとはもちろん限らないわけで。実際来た子はかなりの問題児だった。(笑)

 

まず事前にもらっていたプロフィール写真が詐欺レベルに盛られていて(笑)、初めて会った時も自分の殻に閉じこもっていた彼女は、何を聞いても「Yes/No」以外の回答はなく、出かける時間ギリッギリまでメイクをして、金髪の髪の毛は地毛ではなかった(笑)

 

ちょっっとヤバいやつじゃね。と思っていたら年齢詐称も発覚した。同い年だと思って接していたら2歳も上だった。すぐにプログラムスタッフに報告。(スタッフもスタッフでパスポートの年齢と違うことになぜ気付かない笑)

 

どう考えてもやばいこの子。なのにどこか自分に似ている気もした。

 

当時高1の私は高校に行きたくない毎日を過ごしていた(このくだり何度目)。外国かぶれ最高潮の時期で、誰にも理解してもらえないと思っていた。どうしたら普通に生きられるのか分からなかったそんな時、彼女がいてくれた気がする。

 

結局このやばい彼女と私は本当の姉妹のようになった。「同じような魂を持つ、孤独な人」。彼女は私にとってそんな1人だったのだと思う。

 

彼女が帰国して数ヶ月後に私は、同じようなプログラムで彼女の住むテキサスに行く権利を獲得した。しかしそのプログラムはホームステイメインではなかったため、彼女に会えたのは2日だけ。

 

再会を果たしたのは文化紹介だったかの発表会で、わざわざ見に来てくれた彼女に浴衣姿の私は早速愚痴の報告。

 

「私あのメキシコ人男子超嫌いなの。私のこといじめてくる。」

 

すると、

 

「あんなブサイク(ugly)な男なのに。」と。

 

ああやっぱりこの人が好きだ。(笑)

 

彼女と私は分かり合えている、と思った瞬間だった。(ちなみに人生何があるか分からない。このあとブサイクなメキシカンボーイと私は大親友になる。)

 

その数ヶ月後、私がパナマに留学し、彼女は通い始めた短大を辞めた(笑)パナマにいるときも頻繁にSkypeで「スペイン語わかるようになった?」と心配してくれた。彼女のお母さんが電話越しに「じゃがいもの皮剥いてよ!」と叫んでいるのが聞こえ、「papa(じゃがいも)」と「papá(パパ)」に混乱した私の様子が彼女には見えていたのだと思う。

 

あ、書き忘れていたが彼女の両親はメキシコ人で、彼女はスペイン語と英語の完璧バイリンガルだった。

 

パナマから帰国して私が大学受験のストレスにやられていると、アメリカの大学に来なよ。うちに住んでいいよ。」と言っていた。

 

でも確かそれが最後の連絡。以来この8年間ずっと連絡をとっていなかった。理由は分からないけど、自分の手が届く距離にいる人の方がずっと大切な時もある。きっと彼女もそうだったのだと思う。

 

それでも会いたいと思った瞬間私はフェイスブックを開いていた。彼女には子どもができた。可愛い。写真詐欺してるかもしれないけど。

 

メッセンジャー「私のこと忘れた?テキサスに行くからよかったら会わない?」と連絡した。返事来ないな、と思っていたら数日後、「好きなだけうちにいなよ。」と。

 

あの頃から変わっていないけど、こういう心の広さがメキシコ人ぽいなあって思う。そこも好きなポイント。

 

こうして9年ぶりに問題児シスターに会いに行くことになった。一番最初に出会った時、彼女とうちの家族がマッチングされた理由は、うちの母が看護師で、彼女もまた将来の夢は「看護師」とプロフィールに書いていたからだったらしい。年齢詐称していたあのプロフィールを一生信じていなかったが、本当に彼女は今看護学生をしている。

 

不思議と私たちは同じ道に進んだらしい。

 

会ったら何から話したらいいか分からない。とてつもなく会うことが楽しみ。そして数週間もの間、メキシコのスペイン語と文化に浸れること、アメリカの看護学生の話が聞けること、彼女の赤ちゃんと生活ができること、本当に嬉しい!!!(彼女にもこの気持ち届いて欲しい!!)

 

ちなみに留学は資金も必要だし、海外で暮らすことへの不安も大きいと思う。でも逆に自分が受け入れる側になるホストファミリーは留学と同じくらい学びが多く、色々あるけどこうしていつまでも続く関係性を築くことができるからオススメです。楽しかった、本当に。私の家族全員にとって間違いなく宝物の日々だった❤︎

彼女からお別れの時にもらった手紙。「P.S. You won't get rid of me! 」ってところに好きが溢れてて、彼女がいなくなった部屋で泣いた。

 

今回の旅行は1ヶ月以上に渡る。1日1記事よりも項目や行き先ごとに分けて書きたいけど、多分書くのに倍以上の時間がかかる。就活生のくせに帰国後の残りの春休みを旅行記に費やすのはきっとやばい。どうしたら良いものか…悩み中。(旅行記は何よりも自分のために書き残したい。)