旅に行ってきた。中学の時の同級生と女2人旅。観光のモデルコースを行くわけでもなく、温泉付きのちょっと豪華なホテルでゆっくりするわけでもなく、ただただ偶然巡り合う美味しいものを食べて、気になった場所を訪れ、電車に揺られる旅。そして改めて気が付いた。
やっぱり旅っていいなあ。
ど定番の観光地を巡りたい派、知る人ぞ知る辺鄙な場所を攻めたい派など、人によって旅の好みは別れるのだが、私は好きな旅に拘りはない (と最近気づいた)。
そんな私の旅好き遺伝子は、両親から受け継がれたもの。
幼い頃から夏休みに決まって4日〜1週間、外国に連れて行ってくれた両親。優雅な海外旅行を毎年できるほどお金持ちではないので、いつも貧乏旅だったけれど。
私も私の両親も、生まれ育ったのは新潟県長岡市。前にも書いた気がするけれど、長岡は他県が遠い街だと思う。
新潟県のちょうど真ん中に位置する長岡から出る電車は、上越線の水上行き以外全て新潟県内の市町村に向かう電車だ。だから高校を卒業するまで水上は新潟県内の地名だと思っていたし(水上は本当は群馬県)、線路が県外に繋がっていると思っていなかった。新潟県は縦に長いから、ちょっと北に位置する新潟市まで電車で1時間半もかかるし、南の糸魚川の方は電車1本ではたどり着けない。細い分東西の移動は楽なのでは?と思いきや、西は日本海。東は越後山脈に阻まれ、路線自体ない。行き先を阻まれた虫みたいに、やっぱり他県が遠い。
だからだろうか。知らない場所への憧れが強い。いろいろな県を旅していると、他県とを結ぶ電車が存在することに驚いてしまう。関東や大阪近辺は、通勤通学ですら県境を超えることが普通のこと。その普通は私にとって普通ではなかった。
旅の移動手段の中でも私が好きなのは鈍行電車。時間はかかるけど、それ以外のデメリットが思い浮かばないのだ。飛行機はワクワクする度1位だけど、お金はかかるし郊外の空港まで行くのに時間がかかったりする。高速バスでも良いけれど、小さい頃車酔いがひどく、今でも車での移動に嫌悪感を持っている。新幹線は速いけれど高い。
だからやっぱり鈍行電車だ。ただ旅の出発地と目的地の点と点を結ぶんじゃない。間に読めないような漢字の駅を通るのが良い。地球のつながりを感じる。知っていたり初耳だったりする地名が、1本の線になって、頭の中の地図を繋いでゆく。
こうやって鈍行列車で旅をしていると、日本は小さい島国だと思っていた考えがみるみるうちに消えていく。この世界は果てしなく大きい。人生をかけて旅をし続けても、地球のあらゆる場所の隅々まで行くことは多分、できない。
その事実を確かめに行きたいのかもしれない。
田んぼに囲まれた小さな町に生まれ育って、もっと広い世界を見たいと思って留学した。この小さな町から抜け出したいと思って生きてきた。地域全体が家族みたいにつながっている町に生きることは、たまに息苦しい。
だからやっぱり、世界は広い、って思いたいのかもしれない。それだけで呼吸が楽になる気がするから。
と旅への愛を書き連ねる私だけど、パナマに留学するまで1人で海外に行ったこともなければ、1人で旅行をしたこともない。趣味を聞かれて「旅」という単語が思い浮かぶこともなかった。
いつから私の趣味は「旅」になったんだろう。
高校を卒業した時に、卒業旅行と題して友達2人と台湾を旅行した。「旅行しよう?」という一言から始まり、「じゃあ近場の海外行こうよ」と言ったのは私だったかもしれない。初めての台湾に3泊4日。どこに行こうかとガイドブックを眺めて、どうしても行ってみたいと思ったのはなぜか、普通台湾初心者は行かない湖だったりした。(多分台湾に行ったことがある人でも、湖??となるだろう)
やっぱりもう小さい頃から、旅好き遺伝子は刷り込まれていたのかなあ。
初めて1人で海外に行ったのは(留学を除けば)浪人生活が終わった3月のカナダ旅だ。でもほとんど観光地に行った記憶はないし、一人旅と言いつつも、現地に着けば移住したコロンビア人の友人がずっと一緒だったので、「ひとり」ではないかもしれない。まあ、スーツケースが来なかった上に、大幅遅延で終電まで逃し、空港泊を強いられるというトラブルが最後にわんさかと降りかかったが。
トラブルといえば、私史上最大の旅事件は日本に帰国できなくなった2つの旅;パキスタン旅行とイベリア半島旅行。
それまで何事もなかったパキスタンとインドが、私の旅行に合わせたかのようにタイミングよく突然武力衝突を始めた。東向きに飛ばない飛行機。使えない保険。回ってこない順番。偶然出会った新潟に住むパキスタン人のおじさん。1日早くパキスタンを去り、タイで1泊したおかげで再会できたタイ人の友人たち。
イベリア半島旅行中にコロナウイルスの流行が始まった。なぜか熱っぽくてだるくて、呼吸が苦しくならないか不安に怯えた。閉まる国境、営業しないお店。買い溜めが起き、商品棚は空っぽだった。ヨーグルトとドーナツだけで生きていたあの時。何度予約しても乗る予定の便は欠航になった。
そんなことが起きてもちゃんと日本に帰国でき、今こうしてブログを書いている。「人生はなんとかなる」ということを旅は教えてくれる。いつかは分からないけど、ふとした時に、旅の経験は活きると信じている。息苦しくて逃げ出したくなった時、避難先の候補が私には沢山ある。
そして旅先で出会う、自分とは違う人生を歩んできた人たち。印象的だったのはパナマ再訪中のボートで出会ったスーツ姿のおじさん。島に行くのになんでスーツなんだろうと思ったら、島の先生だった話 (前にも書いたが)。毎朝、まだ辺りが暗い中、ボートに乗って島の学校に出勤する。ボートの上から見る朝日が綺麗だった。
日本で上手く生きていけない気がする時、こうじゃない人生だってあるんだから大丈夫と、自分を肯定できるのは、そんな人々に出会ったからだ。
食に関して私は特に拘りがない。その土地ならではの名物を食べる時もあるけど、全国チェーンのお店でもコンビニご飯でも良い。今回の東北旅では、福島駅に目ぼしいお店がなかった。見つけたサイゼリアに希望を持って駆け込んだが、コロナ対策で22時閉店。ちょっとがっかりしてセブンイレブンに行き、全国どこでも売られているドリアとペンネを買ってホテルで食べた。がっかりだったはずなのに、温かくて味が濃くて、ちょっと体に悪そうな添加物とかが入ってそうで、美味しいのだ。一瞬「ニキビができそうだなあ」とか思うけど、まあいっか、と思えるほど旅は気楽だ。翌朝はマクドナルドで朝マックをテイクアウトした。電車の中で数百円しかしなかったパンケーキとソーセージマフィンを食べながら、「こんな安くて良いんかね?」と話す2人は海外気分に浸っている。
別に旅に出なくてもできること。福島でなくても食べれるもの。それでも私は美味しければ満足だ。きっといろいろなことに縛られたり、追われている日々の中で何かを食べてる時って、数分の1しか味がしていないんだろうな。それに旅先での小さな幸せは、日常のそれよりもなぜだか数倍大きい。
見たことのない景色、自分のとは異なる時間感覚、人生観、ライフスタイル、やっと注文できたのに期待ほど美味しくない料理、音としてしか認識できない言語、通じ合えたときの気持ち、肌や目、髪の色も含めてマイノリティである孤独感、何の前触れもなく降りかかる、自分の力では回避できないトラブル。そういうもの全てが私にとって刺激的だ。「違う」は「面白い」。海外に行くのが好きなのは、その「違う」の度合いが桁違いだからだろうか。
まあ何が書きたかったかって、ど定番の観光地を巡り、あぁ本当にあるんだ、本当に美しい、って気持ちを周りにいる大勢の観光客と感じるのも良いし、辺鄙なところに行き自分(たち)だけのステキな場所を見つけるのも良い。
あと一歩の勇気が出ない自分と向き合う1人旅も好きだし、大勢でわちゃわちゃと、学校でもできる話をしながら旅するのも良い。
本場の〇〇を食べるのも良いし、どこででも食べれるものを食べて、普段以上の満足感を味わうのも好き。
地球の裏側まで行ってぶっ飛ぶような常識を目の当たりにしても良いし、電車で数時間の場所で小さな違いに敏感になるのも良い。
どんな旅も私は好きなんだって思った。
大好きな作家さんの言葉。
この世界は旅するに値する。
何度噛み締めたか分からないこの言葉を、この夏も思い出す。
ああ〜旅っていいなあ〜。
◎旅した記録
【旅という旅をしたことがある都道府県(市町村)】
兵庫県(神戸市)
岩手県(平泉)
神奈川県(箱根町)
私は国内旅行歴が圧倒的に少ない…。コロナ禍でようやく増えてきたところ!
【旅したことがある国(都市)】
アメリカ(グアム、ハワイ、LA、ラスベガス、テキサス)
インドネシア(バリ島)
マレーシア
中国(北京、上海)
香港
フランス(パリ)
イギリス(ロンドン)
スペイン(バルセロナ、マドリード、セビージャ、マラガetc...)
台湾
イタリア(ローマ、ヴェネツィア)
カナダ(バンクーバー)
インド(デリー、アムリットサルetc...)
パキスタン(ラホール、カラチ)
コロンビア(ボゴタ)
国外は2回以上訪れている都市もあったりする。そろっと記憶力の限界なので、実はメモに書いている…