今回の記事の大枠(大文字部分)
羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセル→アムステルダム→ブリュッセル→ロンドン→バルセロナ→マドリード→パナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田
この日は計算外の日だった。本当に。
パナマの社会問題①
朝起きるとママさんに、ビーチ行くから早く支度しなさい〜!と言われ、まだ8時なのに急かされる。ねむねむモードでシャワーを浴びると、水が冷たすぎて流石に目が覚めた。水着を着て朝ごはんにクラッカーを食べ、ビニール袋にバスタオルとスマホの防水ケースを入れる。のんびり準備していたら、もう行くよ!と言われ、とりあえず日焼け止めを塗りながら車に乗り込む。
ママさんは知り合いを迎えに行くと言い、3年前にできたばかりのコミュニティ「Altos de Los Lagos(アルトス・デ・ロス・ラゴス)」に車を走らせた。このコミュニティについて再度説明をすると長くなるが、私の住んでいるコロン県は治安が悪く、特にコロンシティやダウンタウンと呼ばれる街の中心部一帯は、歩くのも危険なスラム街だった。しかし3年ほど前に行政が再開発を行うため、そこに住む数百世帯が強制退去となった。彼らの移動先として建設された新しいコミュニティが「Altos de Los Lagos」なのである。日本でいう市営住宅に似ていて、同じような見た目の集合住宅が何棟も並んでいる。
これについて3年前に行った時のブログに、以下のように書いている。
この日図らずも、このコミュニティのその後を見ることができたのだが、私の3年前の懸念は当たってしまっていた。
当時スラム街には多くのギャング(反社会組織)が住んでいたのだが、行政は移住時に、このギャンググループを無視して適当に住宅を割り振った。そのため、異なるグループ同士がごちゃ混ぜの状態で住むことになり、グループ間の縄張り争いが絶えない。毎日のように銃殺事件が起き、道路はゴミで溢れ、結局スラム街がそっくりそのままここに移ったとしか思えない。
コミュニティに入る前に警察の検問に引っかかる。コロン県に限らず、パナマは検問がそこら中であり、珍しいことではない。ママさんに「黒人がアジア人連れてると誘拐とか怪しまれるから、笑顔でいてよ。」と言われた。これは最強ママさんなりのジョークだったのか…?
パナマを訪れるということは、このような現実と向き合わなければならないということでもある。
姉妹との出会い
検問を抜け、その知り合いが住む建物の前で車を止める。
ママさんだけでなく、パナマの人(というか、多分ラテンアメリカの人)は、人の家に着いても、車を降りてピンポンを押すなんてことはしない。車のクラクションを連打し、中にいる人を呼び出す。究極のめんどくさがり屋というか…(苦笑)ここは集合住宅なので、近所迷惑もいいところだが、そんな概念がないのがラテンアメリカ☆
しばらくして車に近づいてきたのは、子どもの黒人姉妹だった。寝ぼけててふにゃ〜っとしていた私は、この時初めてこの子たちとビーチに行くと知った。
お姉ちゃんの方はジュリアーニといい、15歳で、妹はシャイリエリスといい、10歳だったかそのくらいだったと記憶している。ちなみに「ジュリアーニ(Yuliani)」はよくある名前だが、「シャイリエリス」はとても珍しい名前だと思う。私も覚えるのに苦労したが、ママさんも彼女の名前を発音できないので、中南米のスペイン語で「女の子」を表す「Nena(ネーナ)」と呼んでいた。彼女たちは6人兄弟で、上は20代後半で1番下は2歳になる赤ちゃんがいるらしい。
彼女たちはママさんと同じ教会に通っている。私が留学していた時にも何度か会ったことがあるが、記憶が曖昧な上に、8年もたてばかなり成長しており、面影もなくなる。ただ彼女たちについて1つ確実に言えるのは、3年前に強制移住させられるまで、スラム街に住んでおり、今も貧しい生活をしているということ。留学中、何度かママさんと教会の子どもたちを家まで送ったことがあったのだが、家とも呼べないボロボロで窓や屋根がない建物に住んでいた姉妹がいた。それがこの子たち…?まあ、教会には貧しい子がたくさんいたので、確信は持てないが…。
パナマの社会問題②
車の中でジュリアーニは、近所に住む13歳の子が妊娠した話をママさんにしていた。ママさんはおこだったが、ラテンアメリカでは結構聞く話だと思う。
パナマでは、生まれてくる赤ちゃんの6人に1人の母親はティーンであり、全妊娠件数の26.3%が10代だという。この数値は中南米の平均値を上回り、状況はかなり深刻。実際に街を歩いていても、子どもが子どもを連れていたり、高校生くらいの子が大きいお腹を抱えている様子はよく見かける。
パナマの中でも特に10代の妊娠件数が多いのはノベ・ブグレ自治区と呼ばれる先住民族の住むエリアであり、実に全妊娠件数の40%以上が10代だというから驚きである。が、自治権のあるエリアかつ、先住民族であることから文化的な価値観の違いもあり、介入するのは難しいのかもしれない。
また、パナマの場合は単なる性教育の欠如だけでなく、家庭内暴力や虐待、犯罪による妊娠も多いと言われており、その根本的な原因は貧困であるから単純な話ではない。
秘境のビーチ
さて、私たちは1時間ほど熱帯雨林の中を走り、船着場の隣にようやく車を停める。ビーチに行くと聞かされていたが、こんなに遠いとは思わない。(調べたら、家の辺りから60kmもあった。そりゃ遠いわけだ…。)私は車酔いによる吐き気で死んでいた。しかし目指すビーチは、さらにボートに乗って行くらしい。想像しただけで吐く。ボートで行くが島ではない。この先は道が整備されていないため、陸路ではたどり着けないのだ。
ただこのボートの旅はわりと楽しかった。ボートを所有しているリナさんという女性は、ママさんの知り合いだとか。リナさんは普段欧米の観光客をボートで案内することを仕事としている。普通に頼めば高額なツアー代だと思うが、ママさんが友達のおかげで全員で60$くらいだった。ママさんが払ってくれたのであまり覚えていない。
ボートはスピードを出すので、それこそジェットコースターみたいな感覚で、波に乗ったり落ちたりするのが楽しい。空気も新鮮で開放感があり、ジュリアーニ姉妹と叫んだりして、気分はむしろ良くなった。
1つ目のビーチは船着場からボートで20分くらいのところにある。水は透き通る水色で、正直アルバになんか行かなくてもここで十分。水は相変わらず冷たかったが。先客の先住民の子どもたち以外に誰もいない。電波はあったかもしれないが、道がないので車では来ることができない、まさに秘境のビーチ。
大きな木があり、そこから飛び降りたり鬼ごっこをして遊んだ。ママさんは以前このビーチで1泊のキャンプをしたらしい。この何もない地で1泊するには勇気がいりそう…。
そのビーチからさらに20分ほど行くと、「Venas Azules(ヴェナス・アスーレス)」と呼ばれるエリアがある。「Venas」は「静脈」、「Azules」は「青」を意味し、文字通りマングローブが静脈のように道を作っており、その間をボートで行く。ここは隠れた人気スポットで、欧米の観光客が乗ったボート何隻かとすれ違った。
↑このサムネの景色
小さな砂浜にボートを停め、ジュリアーニと私はマングローブのそばまで泳いだ。足がつかないくらい深く、穏やかとはいえ流れもあるため細心の注意を払って。ディビディビから生還したにも関わらず、こんなところで死ぬわけにはいかない^ ^
マングローブを手に触れる近さで見たことがなかったので、すごーいと感動しながらも、虫が多くてすぐに撤退。
✔️マングローブ:熱帯地域で満潮になると潮が満ちてくる場所に生える植物
私とジュリアーニは、流されないようにお互いの足を引っ掛け合い、ただただ透明な海で仰向けに浮かんだ。水の中では自分の心臓の音しか聞こえない、目を開けると青空に太陽が眩しいくらいに照っているだけ。平和すぎて永遠に浮かんでいられた。ジュリアーニと足で繋がっているので、1人じゃない安心感もよかった。30分以上浮遊した。やっぱりパナマに来ると心の傷が癒える。
あと日本にいると、海で泳ぐことってあんまりない気がする。年齢を重ねるとなおさら。大自然の中で両手両足を思いっきり動かすだけで解放感を感じられて、生きてることを実感する。あの感覚は久しぶりで、最高に気持ち良い。
ボートに腰をかけてお昼ごはんのクラッカーを食べた。水の外からでも浅瀬に魚がたくさん泳いでいるのが見える。今日会ったばかりなのに、ジュリアーニ姉妹と私はもうすでに仲良しになっていた。
時刻はすっかり14時をすぎ、ボートで船着場まで戻る。この帰りの30分のボートライドが、この先1週間の悲劇をもたらした。ちょうど日が1日の中で最も強い時間帯で、ボートには日を避けるものが何もない。生粋の文系なので原理を知る気はないが、地球上では低緯度の地域(赤道に近い)ほど日差しは強くなるので、北緯8度に位置するパナマの日光は、日本のとは比べものにならない。肩がジリジリと焦げている気がした。ボートに乗せておいた私のiPhoneは、高音すぎて使えなくなっていた。
水が冷たくて気持ち良いので、ジュリアーニ姉妹と一緒に、透明な水に手を入れ、ボートのしぶきを感じた。
世界遺産
船着場につきリナさんとお別れ。このすぐ近くに、ポルトベーロ(Portobelo)と呼ばれる要塞の遺跡があり、そこに寄ってから帰った。ここに来るのはもう3回目とか?だと思う。大砲に触ったり登ったりやりたい放題できる要塞は、何の管理もされていないし、入場料もかからない。だがこれが一応、世界遺産。
ポルトベーロは「美しい港」という意味で、コロンブスによって命名された。大航海時代にはスペインが銀を本国に運び出す港として栄え、海賊の襲撃から守る要塞が建設された。現在の平和すぎるカリブ海を眺めていると、なんか不釣り合いな光景だなと思う。
ところでこの前日、このポルトベーロ近くで男性が銃殺されたため、この付近にはこの日多くの警察官がいた。パナマではテレビのニュースよりも先に、知り合いから事件や事故の情報を聞くことが多い。ワッツアップでママさんに送られてきた話には遺体の写真もついていた。「あなたは看護師になるんだから、こういうの見れるよね。」とママさんに見せられる。やっぱりコロン県は恐ろしい。1人では絶対に出歩けないと思うので精一杯だった。
…!またっ。4000字超え…っ。この日はこの後も色々あったが、長くなってしまったのでとりあえずここまでにしよう…!
【参考文献】