Serenita

感情の消化。

【世界一周】#28 大好きな人たちに会いに行く旅 〜再びパナマ編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

いよいよブログも終盤。

 

誕生日会

8日ぶりにパナマの家に帰ってきて、1番最初にすることは、バスルームで水が出るかの確認だった。今回4日間断水が続いたらしい。信じられない。

 

さて、この日はママさんが一緒に暮らしているカローラおばさんの70歳の誕生日だった。カローラおばさんはママさんのいとこにあたり、ママさんは人生のほとんどを、このいとこの姉妹2人と一緒に暮らしている。日本にいるとこれも珍しい感覚だが、ラテンアメリカでは「家族」の単位は大きいし、両親、その子ども以外の人と一緒に住むこともよくある。(たとえばドーナおばさんも、妹夫婦の家に住んでいる。)これは血が繋がっていなくても、信頼できる相手であればよくある普通のこと。

 

そしてラテンアメリカでは、何歳になろうと誕生日パーティーは盛大に行う。日本でおばあちゃんくらいの年齢で、毎年ケーキのろうそくを吹き消し、歌を歌い、友達を呼ぶ人はなかなかいないのではないか。まあ、パーティー好きという国民性もあるかもしれない。(汗)

 

私たちが到着して2時間後にはたくさんの来客があった。ハッピーバースデーの歌を歌い、お願い事をし、ケーキのろうそくを吹き消し、ケーキをみんなで食べて談笑する。ラテンアメリカってあったかいな、と改めて感じる時間だった。…うん、あたたかいどころではない。エアコンがない上に人の密度が高すぎて、部屋の温度がリアルに暑かった。

 

バースデーソング

ところでパナマでは、誕生日ソングに色々なバージョンがある。

 

まずあの、日本でもお馴染みの「ハッピバースデートゥーユー」の曲。あれをスペイン語で歌うが、その歌詞が2節目あたりから全員バラッバラな件。まともに全員揃った歌詞で、最後まで歌い切っているところに出くわしたことがない。

 

揃うのは一番最初の「Cumpleaños Feliz(誕生日おめでとう。)」の部分のみ。※全員陽キャだから最後まで自分の歌詞で歌い切る。(強すぎる。)一応リンクをつけたが、このバージョンの歌詞を私は聞いたことがない(笑)

www.youtube.com

その後にスペイン語の誕生日ソングが入る。これは歌詞は統一しており、よく知らないが神が登場するのでキリスト教徒の歌だと思う(テキトー)。結構ノリノリでわりと好き。この動画は4番くらいまであるのだが、基本1番だけを歌う。

www.youtube.com

そんで最後に最初のハッピーバースデーの曲の英語バージョンを歌う。毎回1人は変調する奴がいたり、リズムを変えたりする陽キャ中の陽キャがいるため、アレンジのきいた曲となり、楽しいし盛り上がるし。

 

とにかくそんな感じがパナマの誕生日ソング。歌の後に手を繋いでお祈りをする時もあるし、ろうそくを吹き消して大盛り上がりの時もあるし。

本当にこの空間が幸せだった。

近所の子

その時、ちょうど近所の例の子とその妹が家に遊びに来た。ママさんからすれば「招かざる客」であるが、ママさんは他人に嫌なことをすることは絶対にない。ケーキを切り分け、ジュースをあげていた。

 

私たちはしばらく暑苦しい会場にいたのだが、暑すぎるので彼女たちの家に行くことにした。そっと鉄格子の扉を開け、脱走。「あーあとでママさんに殺されるかも。」と思いながら(汗)

 

彼女の家には両親がいた。留学中この両親は私にすごく良くしてくれたので、久しぶりに会えてすっごく嬉しかった。彼女のお母さんは「誕生日会、大人たちの話でつまんないでしょ。」と私が思っていたことを言葉にしてくれた。そう。留学中も思った。ママさんの家は基本50代〜の大人が出入りするため、私と同じくらいの年代の人と関わることができない。それが嫌だったのは事実かもしれない。

 

彼女のお部屋に案内され、チェキで写真を撮ったり、「約束のネバーランド」のコレクションを見せてもらったりした後、彼女の大好きな大好きな板垣李光人くんにお手紙を書くことに。彼女がスペイン語で書くので、私はその翻訳をした。「何書いたら良いかな?」と聞いてくる彼女はティーンな女子だった。この子と出会った時、まだ6歳だった彼女がもう13歳になったというのも納得すぎる。その後、彼に送る手紙に入れるプレゼントとして、パナマのビーチで拾った貝殻を選んだ。ピュアできらきらなその心を、一生大切にして欲しいと思った。

必死に手紙を書く彼女

ちなみにこの手紙、帰国後すぐに郵送したが、返事は今のところない…。パナマ人のファンって珍しいから目立つと思ったんだけど…やっぱりその辺は他のファンと同じ扱いなのね。でも読んでくれたら嬉しい。

妹が邪魔してきて大変だった(笑)

彼女は私が留学したのと同じ、16歳になったら日本に留学したいらしい。それって本当にすごいことだと思う。6歳の時の彼女は、ローラースケートが大好きで、家の外で自転車に乗る練習をいつもしていて、私にいっつも「なんでスペイン語が分からないの?」と聞いていた。彼女の世界はラテンアメリカだけだったから。なのにすっかり大人になった彼女は今、海外に興味を持っている。日本語を勉強したいと言い、インスタの名前にカタカナを取り入れたり。

 

私の留学プログラムはもともと世界が平和になることを願って始められた。世界のことを全く知らなかった彼女が、日本に興味を持ってくれたなら、私がパナマに留学したことに意味があったのではないかと思う。というより、そう思いたい。

日本語英語スペイン語約束のネバーランドと、私があげた板垣李光人くんのアルバム

当時、彼女の小学校と私の高校は同じ敷地内にあったので、私を見かけるといっつも「SERENIIIIIIIITAAAAAAA!!!」と叫んで飛びついてくれた。彼女もその家族も、私の留学生活をかけがえのないものにしてくれた。彼女のお母さんが、「うちの子が日本に行きたいって言ったら、面倒見てくれる?」と聞いてくるのだが、もちろん以外の答えが見つからない。私にとって彼女は大切な大切な妹。

 

これはよく分からない話だが、コロナ渦で彼女のお母さんは石鹸作りにハマり、新たなビジネスを始めたらしい。それで商品の石鹸をたくさんお土産に持たせてくれた。まあ、確かに私はこのお母さんのために、日本から重い急須と湯のみを運んで来たので、多少お礼があっても良いかな、と受け取る。ただのラップに包まれた石鹸は、見た目こそ手作り感満載だったが、使ってみると意外とすごく良かった。(笑)

 

時刻は21時を過ぎており、そろっと帰らないとママさんがガチギレかも。と思い、最後に家族全員でハグをした。それが本当に本当に寂しくて寂しくて、私は号泣してしまった。ようやく会えたという気持ちと、また離れ離れになるという気持ちで心が苦しかった。またいつ会えるか分からない日々を過ごさなければならない。それを想像するだけで辛かった。パナマにいたい…。

 

家に帰ると門が閉まっていたので、慌ててドアを開けて欲しいと叫ぶ。留学中は大声で呼んで開けてもらっていたが、声を出すのも恥ずかしくなっている自分がいた。ママさんに電話をするが全く出ない。これガチギレしてる???かーなーり不安になった。

 

しばらくしていとこが開けてくれたので、ママさんとシェアしている部屋に行く。彼女はシャワー中だった。ふう。怖すぎる。

 

ところで明日はビーチに行くらしい。今日アルバから帰ってきたばかりなのに?と思いつつ、寒すぎる真冬の日本から来た私にとって、真夏を楽しむことは得をしている気分。嬉しい。

 

とは言え、もうパナマで私に残された時間はわずか。悲しくて涙が溢れた。ママさんがシャワーから上がってきても、ベッドの上でひとり、寝ているフリをしながらずっと泣いていた。涙が止まらなかった。どうしてだろう。大切な人はどうして私のすぐそばにいないんだろう。

大切な大切な家族

いつかラテンアメリカに住みたいと確信した。パナマは暑すぎるので、コロンビアあたりが狙い…結局コロンビアンボーイを見つけるしか…(笑)