今回の記事の大枠(大文字部分)
羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセル→アムステルダム→ブリュッセル→ロンドン→バルセロナ→マドリード→パナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田
前回の続き。パナマ最終日編です。
パナマの薬局
私は東京で暮らしているので、普段車に乗らない生活だからか、今回の旅では乗り物酔いがひどい。酔い止めは持ってきているが、ここまでひどいとは思わず、足りなくなってしまった。これから車社会の国(アメリカ)に行くのに、薬なしではしんどいかもと思い、酔い止めを買いたいことを友人に伝えた。「酔い止め」というスペイン語が分からないので、「車に乗ると気分が悪くなるんだけど…その薬ってある?」と友人に尋ねると「Mareoの薬?」と言う。スペイン語で「乗り物酔い」は「Mareo(マレオ)」と言うらしい。車に酔いやすい私にとって、この単語は頻出重要単語すぎる。ありがとう親友ちゃん。
モールに入っている薬局の薬剤師が出してきたのは、ラテンアメリカ全体で売られている酔い止め「VIAJESAN」。スペイン語が分かる人はピンとくるかもしれないが、「Viaje」とはスペイン語で「旅行」を指す。上手く文字った商品名をつけるのは万国共通なのか(?)ちなみに私が買ったやつは「Hecho en Costa Rica」、つまりメイドイン・コスタリカだった。
パナマでは薬を1錠から販売してくれる。箱売りにしてしまうと、まとまったお金が必要になるが、1錠から売ることで、貧困層も必要なときに必要な分を買うことができる。1錠0.12$なので、日本円で15円くらいだろうか。非常に安い。何錠いるか聞かれたが、こういう買い方をしたことがないので迷う。とりあえず10錠買い、たった1.20$。錠剤をそのまま渡されるので、飲み方などの説明書がついてこないのは少し不安かもしれない。(まあ、付いてきたところでスペイン語なので読まないだろう。)
安すぎたので本当に効くのか半信半疑だったが、普通によく効いた。次にパナマに行ったらこの薬を爆買いする予定だ。値段だけでなく、飲みやすさもよかった。私はいつも酔い止めに「トラベルミン」を飲んでいるのだが、粒が大きすぎて飲むだけで吐きそうになる(誰か共感して)。それに比べてこのパナマの薬は本当に小さくて(直径5mmくらい)、飲みやすい。パナマ3回目にして1番役立つ発見。
パナマのスーパー探索
続いてスーパーに行った。何度か行く機会はあったが、毎回ママさんかママさんのいとこと一緒で、お目当の物を買ったらすぐに出てしまうので、考えてみるとあまり詳しくスーパーを巡ったことがない。ただ各国のスーパーを見るのは海外で楽しいことの1つ。ここからは写真とキャプションでどうぞ。
このスーパーで私はサンコチョの素を買った。素が売られていることを知らなかったが、これで日本でもサンコチョを作れる。ちょうど夏ですから。
それから配るお土産に調理用バナナチップスも買った。エクアドル産なのでパナマのものではないのだが、パナマでもよく食べるので…。パナマは国の規模が小さく、自国で生産しているものはほとんどないと思う。
あっという間の別れ
こうしてあっという間に1日が過ぎてしまった。そういえば最後に、留学していた高校の時の同級生2人(男子と女子)と偶然ばったり会い、パナマはなんて狭いのだろうと思った。特に男子の方は、私たちがわりと仲良くしていた子だったので、驚きと嬉しさとでハグして写真を撮った。
そういえば2年ほど前、ひょんなことからこの男子と私は数ヶ月に渡ってメッセージをやりとりしていた。てっきり好かれているのかと思っていたけど、しばらくして会話は自然消滅した。この女子との関係は(???)(この女子は同じクラスではなかったので、私は話したことがない。)とりあえずデート(??)の邪魔はしないでおこう。(苦笑)
友人との別れはしんどい。涙がお互いに止まらなかった。3年間も会えなかったのに、せっかくこれだけの距離を移動してきても会えたのは1日だけ。次パナマにはいつ来れるだろうか。また会えない期間を思うと、どうしても彼女のそばを離れたくなかった。20分くらいグダグダし、ママさんが待つ車へと向かった。ジュリアーニ姉妹が「泣かないで」と言って励ましてくれた。
そしてコロン県に帰ると、ジュリアーニたちとも別れた。夜遅かったこともあり、彼女たちの住むエリアは昼間に増して治安が悪く、車の外に出ることも少し怖かったが、外でハグをして別れた。ジュリアーニ姉妹がうちに転がりこんできたことに若干疲れていた私だけど、2日間一緒に遊べてよかったと思う。
今までずっと私は、パナマには留学時代の友人や家族に会いに行くものだと思っていた。パナマを訪れるたびに、私の「パナマ留学」という物語の続きを上書きしていくような、そんな感じ。でもジュリアーニたちに出会って気づいた。過去を訪ねる旅でなくても良い。新しい人と出会い、新しい関係を築いたり、新しいものを見て新しいパナマの良さを発見する。物語の続きを書くのではなく、物語自体を新しくする。そんな旅でも良いんだと。あの時から止まっていた時計が、動き出した気がする。パナマはまだまだ私にとって未知の国。それを少しずつ知っていきたい、そんな風に思った。
ラテンアメリカは…
家に帰ると21時を過ぎていたが、近所の中学生が最後に話したいと言うので、彼女を家に呼んだ。ママさんはまた嫌そうな顔をしていたけど、最後に彼女に会えるのならなんでも良い。
彼女はまだ中学1年生なのだが、本当に大人で頭が良くて、話していてびっくりする。8年前に出会ったときからずっとそう、彼女はとっても大人。
この時もまた、日本に留学したいという話になり、「日本に黒人はあんまりいないでしょう?黒人でも差別されないかな?」と心配そうに聞いてきた。まだ13歳の子がそんなことを心配しなければならない世界って…。
そして彼女は私に、ラテンアメリカのどこが好きなのか聞いてくる代わりに、こんなことを言っていた。
「日本では全てが整っていると思うし、困ることもないでしょ。でもラテンアメリカは人がみんなCrazyだからね、意味もなく叫んだりするじゃん。家にいれば水が止まるし、電気もなくなったりするし…とにかくCrazy。だけど、毎日楽しいよね。あり得ないようなことが毎日起きて、何もない日はないの、毎日何かおかしいことが起きる。だからつまんない日はない。」
ああ。その通りだ。今度聞かれたらこれをそのまま答えよう。
やっぱりラテンアメリカはマジックリアリズムの世界なのかもしれない。ラテンアメリカ文学は異常な長さのイメージなのだが、帰国したら今年こそは読みたいなと思った。
この次の日(3月2日)からパナマでは新学期がスタートする。ラテンアメリカの学校は朝が早いので、「もう寝なきゃ!」と言って彼女が帰る。最後に写真を撮りまくり、ハグをして別れた。
近所に住むとはいえ、1人は危険なので猛ダッシュで帰る彼女が家に入るのを確認し、部屋に戻る。ママさんがシャワーを浴びている間、私は大号泣していた。こんなにあたたかい国にいつまでもいたい。帰る場所がある、この国には私の居場所がある。そう思えることは日本で就活やら進路やらに悩む私にとって、何よりも必要なことだったと思う。ああ…辛い。そして明日ママさんと別れるのは1番想像したくない。
涙は溢れるばかりなのだが、この日私は前日の日焼けがひどすぎて、頰と肩が大火傷状態だった。手で顔を拭きたくても頰が痛い、長袖のスウェットを着て寝ようにも、肌に衣類が触れるだけで痛いので着られない。かなり重症。でもこの日焼けと痛みが、常夏の国にいるという夢のような現実を繋ぎ止めている気がした。
明日、午後4時の便でアメリカに渡る。荷物は…明日まとめればいっか。()