Serenita

感情の消化。

【世界一周】#34 大好きな人たちに会いに行く旅 〜パナマ→アメリカ編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

パナマからヒューストンに向かっている途中から。

 

ストームの中着陸

この飛行機に乗る前、私はアメリカのステイ先の家族と連絡をとっていた。その時に「今日は天気が悪かったけど、良くなってきているわ。」と言われた。車社会なんだから、天気なんて関係ないよな〜と思ったくらいだったが、関係大有りだった。

 

この日、テキサスやルイジアナにはストーム(なんと訳すのだろう)が襲来していた。特に夕方以降竜巻や突風が観測され、雨もすごかったらしい。この影響で国内線は400便以上が欠航、州内の学校は午後から臨時休校となり、広い範囲で停電が発生した。…もちろん、これらは全て、後日知った話である。

edition.cnn.com

↑ニュースにもなっていた

 

メキシコ湾通過中すでに揺れが多い印象ではあったが、着陸前のアナウンスで、ヒューストン近郊が悪天候であること、着陸時に強い揺れが予測されるため、シートベルトをきつく締め、席を立たないことが呼びかけられた。私はここで初めてストームのことを知ったが、それでもピンときていなかった。しかしわりとすぐに現実的になる。暴風のため、着陸許可がおりず30分ほど旋回を繰り返した。その最中もわりと揺れる。そしていよいよ着陸という瞬間はもうもうもう(🐄)、風に煽られ左側に大きく傾きながらなんとか生還。

 

ディビディビ言うてる場合ちゃうわと思ったくらい、死ぬかと思った。

 

アメリカに入国

ここから国内線でダラス・フォートワース(以下DFW)へ行く。乗り換えの時間は2時間弱あったのだが、この着陸待ちのせいで遅延し、残りは1時間ちょっとになっていた。この後もユナイテッドエアを利用するのに、なぜか荷物のピックアップもしなければならないらしい。事前にダウンロードしておいたユナイテッドエアのアプリが乗り継ぎ時間をカウントダウンしてくれていた。

 

1番タイムロスだったのは入国審査。開いている窓口が少なかったのと、同じ飛行機に乗っていた外国人がほとんどラテンアメリカだったため、移民問題を抱えるアメリカでは審査が厳しい。あっちこっち色んな列をたらい回しにされ、ようやく私の番。久しぶりに英語圏のため、言語能力的に上に立つことができないもどかしさを感じながら、数個の質問をクリアし、荷物へダッシュ

 

再び荷物を預けるところは意外とすぐに見つかった。急いで荷物検査を受け、確かターミナルも移動したと思うが…詳しい記憶が残っていない。とにかくヒューストンの空港は巨大で近代的だった。日本料理を含めた様々な国のレストランがあり、1席に1台iPadが置かれている。ああ〜アメリカだな〜と思った。トイレに行くと、トイレットペーパーを捨てる用の巨大なゴミ箱がなくなり、ああ〜もう流せる世界か〜と思う。(ラテンアメリカは流せないので、ゴミ箱に捨てるのが普通。)

 

ゲートにたどり着くと同時に搭乗が始まった。間に合った〜〜〜(安心)。すぐに搭乗。機内は狭く、3列シートが2列のタイプだった。この日DFWへ向かう最終便だったが、ストームで欠航になった便の乗客も乗せていたため満席だった。私は通路側で、隣は南アジア系の男性だった。

地理関係はこんな感じ



恐ろしいフライト

着席後もなかなか動かないし、窓には雨が打ち付ける状況で、薄々勘付いてはいたが、この時ストームの影響で飛行機は離陸許可待ちの状態だった。機内はとても静かだったが、私の席の後ろに座っていた10代〜20代の女の子2人の会話から、不安なのが伝わってきた。みんな声に出さないだけで、かなり不安だったと思う。

 

そこに機長から早速アナウンスが入った。先に書いておくと、このアナウンスが非常におもしろく、とってもアメリカンだったことを私は一生忘れないと思う。

 

「みなさん、本日は悪天候による欠航や遅延、それに伴う空港の混乱にご理解いただきありがとうございます。さて、当便はストームを避けて飛行するため、航路を変更します。我々はまず北へ飛び、その後西へ行き、そして東へ飛んで、南に行きます。

 

ここで機内大爆笑。

 

「また、空港の混雑と航路の変更に伴い、通常より30分長いフライト時間を予定しております。客室乗務員の安全確保のため、いかなるサービスも行いません。離着陸時はひどい揺れが想定されます。特に着陸時はbumpyですから、みなさん楽しんでください!!

 

ここで機内再び大爆笑。

 

このアメリカ人の大らかさというか、ユーモア溢れる国民性というか、粋なところというか。本当に本当に素敵だなあと思った。特に今不安を抱いている乗客に対して、ものすごく安心させてくれるような、人間味のある声を臨機応変にかけてくれるところは、本当にアメリカ人の良さだと思う。きっと日本なら、業務的な放送があるのみで、声のトーンも真面目な感じだろう。ついでにラテンアメリカなら…乗客がわーきゃー騒ぐパターンだ。機長のアナウンスなんか聞こえない。()

 

とにかく、このアナウンスのおかげで、私はこの機長を信頼しようと思った。この人になら任せられる。

 

こうやって信頼は獲得されるんだな〜。

 

いざ、離陸。

結局90分も飛行機の中で待機させられ、離陸の順番が回ってきたのは23時すぎだったと思う。恐怖もあったが、睡魔もやばい。そんな中離陸した。離陸の揺れは凄まじく、右に揺れ左に揺れ、飛んだ後は機内後方で何かが落ちる音がしたり、カオスだった。隣の南アジア系の男性と目を合わせて怯えたほど。

 

同じ州内とはいえ、ヒューストンからDFWまでは1時間ほどかかる。日本で言ったら東京から大阪の距離感だ。ストーム迂回でプラス30分の飛行時間、睡魔と恐怖との戦いだった。

 

迂回したおかげか、安定しているところもあったのだが、安心したのはつかの間、着陸体勢に入った。機長は再びアナウンスで、着陸の揺れに気をつけるよう促す。もう私は手に汗を握っていたが、この機長なら信頼できた。ついでにヒューストンへの着陸で死にかけたので、この着陸はマシだったと思う。着陸した瞬間、後ろの女の子たちも安心したのか、笑い声が聞こえてきた。

 

私はすぐにママさんと、アメリカでステイする友達に連絡した。すでに日付を超えた24時半ごろだったと思うが、ママさんは私が連絡するまで起きていたらしい。「ラジオでストームが来てるって聞いたから心配してたよ!!」と言う。不安でカチコチだった心がやんわり溶けた。

 

すでに入国済みのため、DFWでは荷物をピックアップしてすぐにステイ先の友人と再会することができた。

 

ついにアメリカ編!!

ここからいよいよアメリカ編である。もう着いて早々にアメリカをたくさん感じた。

 

アメリカ本土に来るのは9年ぶり。この友人との再会も9年ぶり。その9年前に来たのがこのDFW。ちなみにDFWのDはダラス、FWはフォートワースであることはお分かりだろうが、この2つの都市の間にある空港なのでDFWと名付けられている。私がステイするのはFWの方。

 

テキサス州の最大都市はヒューストンで人口は230万人。日本で言ったら名古屋市くらいである。次いでサン・アントニオ。そして3番目に大きいのがダラス、4番目がオースティン、5番目がフォートワース(FW)となっている。後日会ったFW出身の友達によれば、テキサスではオースティンが若者が住むには1番楽しい街なんだとか。「ダラスも良いけど〜オースティンしか勝たん」的な言い方だった。FW在住者/出身者は皆口を揃えて、「FWは何もないからつまんない。」と言う。^ ^

 

そもそもテキサスなんもないじゃん〜という話だが、アメリカのGDPの内訳でいくと、カルフォルニアに次いで2番目の貢献をしているテキサス。まあ、カルフォルニアについでアメリカで人口が2番目に多い州ということでもある。約3000万人弱いるので、州の規模が半端ない。無論面積もぶっ飛んでいる。69万5000㎢というのは、日本の1.8倍。どんな数字を比べてもアメリカだなあと思う。

このサイズ。

 

ここからの方針

ここから先をどんな感じで書いていくかまだ悩み中なのだが、毎日の記録というよりかは、印象に残っている出来事をいくつかに分けて書いていこうと思っている。というのも、私はアメリカで特に何もしていない(笑)究極に暇だった。いや、良い意味で。旅の疲れを取り、日本で生きていくために良いリハビリ期間となった。

 

私は言語に興味があるから、私の気付きは言語に関することが多いと思うが、看護学部の授業に潜入した話や、テキサスで移民として暮らす家族の人生などおもしろいと思ったことをピックアップしようと思っている。

 

引き続きボチボチと書いていこうと思いますのでよろしくお願いします。(ぺこ)

 

 

 

【参考文献】

www.texas-demographics.com

www.mylifeelsewhere.com

www.tourtexas.com