Serenita

感情の消化。

【世界一周】#33 大好きな人たちに会いに行く旅 〜パナマ→アメリカ〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

今回はパナマからアメリカへ行く日の記録ですが、色々ありすぎてアメリカにはたどり着かない…あと泣きすぎてほとんど写真を撮っていない…

 

久しぶりの日本人!

朝起きて、いつも通り電気ケトルで熱湯を沸かす。バケツにくんだ冷水に慎重に注ぎ、適温のお湯を作ってシャワー…というか、桶ですくいながらお湯を浴びる。この原始的な習慣ももう最後。これが最後。この不便さがなんだか名残惜しい。

 

と、リビングの方から騒がしい声がする。あ、もしかして。

 

ママさんは私の後に留学生を2人受け入れており、私のすぐ次の年にタイ人の女の子、そしてその次の年に日本人の女の子が、この家で暮らしていた。そのうち日本人の子が、同じように春休みを使ってパナマに遊びに来ているらしく、ママさんに会いに来ると言っていた。

 

私は慌ててお湯浴び(?)を終わらせ、テキトーに服を着て髪を乾かし、リビングに行くと、なぜか初日から会っているママさんのお友達のティルシアおばさんがいた。予想外の来客でおお〜と思っていると、その隣に日本人の子がいた!!その子について勝手に書くのはあれなので、Mちゃんとする。(匿名化がいかにも看護学生^ ^)

 

Mちゃんは私よりも数個年下で、ママさんから話を聞いたり、インスタで繋がってはいるものの、話したことはほぼない。実際に会ったことすらないので、このときが初対面。

 

けれども考えてみれば私は、2週間前にスペインでベスフレとばいばいして以降、日本語を発していない。日本語でインスタやヤフーニュースを読むし、日本語のYouTubeを見るし、日本語で日記を書き、もちろん日本語で考える。ただ、人を目の前にして日本語を話していない。すると2週間とはいえ、日本語でのコミュニケーション能力が衰え、Mちゃんを前に「はじめまして」という言葉が出てこない。

 

私:初対面〜!!!って時の言葉ってなんて言うんでしたっけ〜〜(汗汗汗)

 

という感じの第一声で、正直逆の立場なら「なんだこいつ」案件。

 

人見知りの私とは違い、Mちゃんはとても社交的で明るい子だった。ママさんと英語でしか話さない私とは違い、スペイン語でばんばん話しちゃうところもすごかった。ティルシアおばさんを前に2人で話が尽きず、おばさんの理解しない日本語で話続けることに罪悪感すら覚えた。

 

ママさんがダウンタウンに用事を済ませに行くと言って出て行ったので、私たちはエアコンが効いている部屋に移動し語り尽くす。最初は日本語での会話がぎこちなく、日本語で話していることが変な感じだった。

 

よく、日本語を忘れたり混ざったりしないのか聞かれるけど、忘れたり、混ざったりということ以上に、日本語で話していることに違和感を感じる。

 

Mちゃんはパワフルで、この日家まで、パナマ2日目あたりに紹介したあの治安の悪いバスに1人で乗ってきたらしい。しかも腕にApple Watchを付けたまま!!私には絶対できない(し、絶対真似しないほうが良い笑)。彼女は今友達の家にステイしているらしく、かなり長期でパナマに滞在すると言う。

 

私たちが1番盛り上がったのは、ぶっ飛び最強ママさんの話(笑)だが、それだけに限らず、経験した私たちにしか分からない気持ちってやっぱりあって、留学中も留学後も色々な話を人にしてきたが、いまいち上手く伝えることができなかった。それなのに、Mちゃんが言うこと全てを理解できて、私が言うこと全てに共感してもらえて、こんなに私の話を理解してくれる人がこの世界にいたのかと、本当に本当に嬉しかった。

 

あまりパーソナルな話はここには書かないが、例えば水道水について(笑)前にも書いた通り、パナマの水道水は飲めるのだが、泥の臭いがひどくて私は飲めない。ただ、それは私のわがままだと思っていた。しかしMちゃんが、「水道水臭すぎて飲めないですよね。パナマ人はみんな飲めるって言うけど、絶対飲めないからペットボトル買ってます。」と言うから本当に安心してしまった(笑)もう本当に、初めての理解者だった。

 

ママさんが用事を済ませて帰ってくると、私たちにお土産としてエンパナダス(餃子10倍のやつ)を買ってきてくれた。これに関しては前に書いた通り、中身が少なすぎて別にそこまで好きではない。するとMちゃんも全く同じことを言っていてもう…嬉しすぎた。

 

彼女もパナマでは私と同じ高校に通っていたので、初対面なのに次々と出てくる共通の話題で私たちは一瞬で仲良くなった。彼女以上に私の留学生活を理解してくれる人は誰もいないだろう。

両端がママさんの従姉妹、真ん中がママさん、左隣がMちゃんで右隣が私。パナマの家族。

そんなこんなで12時に私たちは家を出て、パナマシティの空港に向かった。Mちゃんも空港まで来てくれるらしい。空港への道中、彼女は私の肩で大爆睡だった。確かこの日、理由は忘れてしまったが、彼女はほぼ寝ていないと言っていた。とはいえ、初対面の年上の人の肩で爆睡できる彼女、めちゃくちゃぶっ飛んでいて、理解者云々の前に、似た者同士な気がした(笑)(ちなみにぶっ飛びエピソードを書いておくと、彼女は留学中パナマで虫歯になったり、カミソリでざっくり切って出血が止まらない手を、上に挙げて寝るという原始的な方法で止血したらしい笑)

 

追加ネタだが、パナマシティまでは高速道路を使った。パナマにも日本のETCのようなシステムがあり、その名も「panapass」と言う。しかしそいつが全然反応しないので、料金所近くの事務所に寄ることに。そんで判明したのは、パナパスは車に取り付ける側の機械が特別な電池式という不便さで(多分日本のは車から電源を取れる)、バッテリー切れだったらしい。交換25$也。ETCと同じようなシステムだと思ってたけど、後先考えずに導入しがちなのがパナマ…。

 

空港で

今回私はアメリカ・テキサス州ダラス・フォートワース(以下DFW)までユナイテッドエアを利用する。パナマからDFWまでの直行便はないので、同じくテキサス州のヒューストンで国内線に乗り換える予定。

 

ユナイテッドエアのカウンターでチェックインをし、滞在先の住所など詳しく聞かれた。あまりにも質問が多いのでママさんが、「アメリカはあなたの入国を歓迎してないわ。パナマにいなさい。」と言う(苦笑)私も、これからアメリカに行く実感が全く湧かない。

 

パナマの空港は拡張中で、近々T1には飲食店などができるらしい。私が知らない間にどんどん発展していくんだろうな。昔来た時、次来た時にはどこか分からないくらい発展しているのだろうと思った。それはある意味で正しかった。コロン県のスラムに住む人は、新しい土地に移動されたし、メトロは拡張されたし。でもこの8年間で思ったのは、国の発展には時間がかかるということ。1つの課題をクリアしたら、そこから新たな問題が生まれる。ロシアとウクライナの戦争や、ベネズエラ難民といった周りの国の情勢にも影響を受ける。便利で快適で魅力的な国を作るということや、貧困が減るということは、人生のスパンくらい大きな時間の流れの中で捉えなければいけないのだと思った。

 

しばらく写真を撮ったり、Mちゃんとおしゃべりをして過ごした。Mちゃんとママさんはこのあとも一緒に過ごす予定があるらしく、私の出発待ちということで、待たせているのも申し訳ないので中に入ることにした。

 

出国審査前のところでお別れなのだが、ここで私は涙が止まらず、この文章を書いている今も、思い出したら涙が出てくる。

 

…ママさんとはぶつかることもあるけれど、やっぱり私にとって特別な存在だった。ママさんのことが、心から好きだと思った。それからパナマのことも。

 

私は、ママさんが泣いているところを見たことがなかった。でもこの時ママさんも泣いていた。そして従姉妹の2人も、声を詰まらせて「元気でね、また来なよ」と言っている。ああどうしよう、どうしてこんなに遠いところに大切な人たちがいるんだろう。

 

Mちゃんだけは(もちろん)冷静で(笑)、早く行った方が良いと思い、私は出国審査を受けて荷物検査のエリアに進んだ。号泣している私を不思議がりながら、パナマの空港職員は優しく接してくれた。そこを抜けると、ガラス張りの2階部分からみんなが見える。ここでも涙が止まらず、ずっと私は泣いていた。Mちゃんだけは笑顔で手を振っていた。いつまでもこうしているわけにはいかないから、前に進もう。

 

バイバイ。

 

だいすきだよ。

 

ばいばい❤︎

向こう視点だとこんな感じ。

搭乗口前でも

パナマの空港はどういう訳か、アメリカ行きの便だけ搭乗口前でも荷物検査を受けなければならない。ここでも受けるならさっきの検査はなんだったのだろう。

 

私が号泣しながら検査を受けていると、保安官の女性が「どうして泣いているの?何があったの?」と聞いてきた。「あ〜彼氏とお別れね??すぐに会えるじゃないまた〜!」と言ってくるので、彼氏との別れではないのと、日本に住んでいることを伝えると、「え?あなたパナマに住んでないの?」となぜか半信半疑。パスポートを見てようやく、「日本人なの?わ〜そっかそっか〜。それは辛いね。」と。

 

先ほどの検査は余裕で通過した私の荷物に何かがあったらしく、「中身を全部出すわね」と、お姉さんは隣の検査スペースに連れていく。私の荷物を漁りながら、前日に会った友人が、ピンクのテディベアをくれたのだが、それを見つけると「やっぱり〜彼氏がテディベアくれたのね?彼氏はパナマ人なのね?」と勝手に妄想が膨らむお姉さん。違うってば!!!!!!

 

事情を話すも、「テディベアはなによ?」と信じてくれない。そしてただただ荷物を全部出しただけで検査終了。このお姉さんの興味だったとしか思えないのだが。

 

お姉さんは最後に笑顔でこう言った。

 

「また会えるから、大丈夫。また戻ってくればいいじゃない、パナマに。」

 

またね、パナマ

搭乗時間まで私は泣いていた。涙が止まらなくて止まらなくて、自然に溢れてきてしまう。周りはすでに英語ネイティブの人ばかりだった。ほとんどがアメリカ人のようだ。私が泣いていても話しかけてくる人がいない。もうすでにアメリカだった。

 

こんなところからヒューストンに飛ぶ日本人は私だけかと思っていたが、驚くことにあと2人日本人が乗っていた。なぜ分かったかと言うと、その2人が呼び出されていたからだ。アナウンスで呼ばれている名前が日本人だったので、え?と思ったら、日本のパスポートを持ったビジネスマンっぽい男性が2人、私の前を通って行った。こんなところで泣いている日本人の20代女子がいると知ったら、きっと向こうの方が驚いたと思うが、彼らと関わることはなかった。

 

メッセージ

飛行機に乗る前に、ママさんにメッセージを送った。

 

「もう隣の人は私の手を握って(hold)くれないね。」

(彼女はアルバからパナマに帰る飛行機の中で、揺れがひどくて怯えている私の手を握ってくれた。)

 

すると彼女はこう返してくれた。

 

「私はあなたの心をずっと掴んで(hold)るよ。」

 

こんなことを言える女性に、私もなりたい。

 

機体はかなり大きく、3列シート×3列くらいの席数だったと思うが、泣きすぎていて記憶がほとんどない。窓際にアジア系の年配の女性が座っており、真ん中が空席で通路側が私の席だった。その女性に、「あの…息子にメッセージを送ってくれませんか?」と英語で声をかけられ、私は驚いた。聞くと彼女はスマホを持っていないので、息子に無事を伝えたいのだと言う。言われた通り私は彼の番号にメッセージを送った。…帰国後にこれが送れていなかったことに気づいたので(苦笑)申し訳ない。みんな色々な事情を抱えて、今この飛行機に乗っているんだろうな。

 

私は飛行中も涙が止まらず、何度も思い出しては泣いていた。ヒューストンまでは4時間ちょっとのフライト。呆然としながら、スマホにママさん宛のメッセージを打っていた。何行にもわたるメッセージには、思い出と感謝と愛を詰め込んだ。

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ずっとパナマ気分でいたくてキャミソール姿だったが、流石に寒いのと、周りがほぼみんな冬の格好をしていたので、私もトレーナーを着た。精神的にも、物理的にも、パナマがどんどん遠くなっていく。

 

4時間の国際線にも関わらず、食事の提供はなかった気がする。私はエンパナダスを昼に食べただけで空腹だった。さらにこの後、このフライトが人生で1番怖かったと明言できる案件が起きたのだが、その話は次回書こう。そのせいで、あんなにドラマチックに書いておきながら、実はアルバの揺れも、ディビディビのことも私の中ではインパクトが薄れてしまった。

 

 

P.S

Mちゃん、また会おうね❤︎