Serenita

感情の消化。

【世界一周】#24 大好きな人たちに会いに行く旅 〜キュラソー編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

さて、些細なことがきっかけで冷戦中の私とホストママである。

 

高校生の頃の思い出

ドーナおばさんがママさんに「彼女怒っているわよ。」と耳打ちをしていた。するとママさんが「トゥトゥが美味しくなかったんでしょう。」と答えていて、私はジンジャージュースを吹き出しかけた。トゥトゥが不味くて怒るって、そんな赤ちゃんみたいな理由で不機嫌になるわけないじゃん…と思った、心の中で、ネ。

 

ドーナおばさんは私に気を遣って何度も話しかけてくれたり、「何か食べる?」と聞いてくれた。でも私は冷たく首を振った。こういう状況で優しくしてくれる人に、なぜか冷たく当たってしまうところは私の直したいところ。

 

数年前も、当時付き合っていたアメリカ人彼氏の実家(コロンビア)に遊びに行き、大喧嘩を勃発させ、話を聞こうとしてくれた彼の母親の手を強く振り払う失態を犯している。世の中の女子は彼氏の母親に気に入られようと必死になるのに、私は一瞬で嫌われたと思う(苦笑)

 

今までの話を踏まえると、トゥトゥの事件が起きるまで、私とママさんはホストファミリーとホストスチューデントの関係を超え、本当の家族のようにすごく仲が良いと思われたかもしれない。だから先に書いておくが、事実は違う。実は私は留学中、何度もホストチェンジを試みたほど、(このぶっ飛んだ)ホストママと上手くいかなかった。

 

留学中私たちは何度も喧嘩した。ママさんも頑固だが、私も負けないくらいの頑固。ひどい時は1週間くらい目も合わせず、口をきかないこともあった。

 

原因は、「クラスの〇〇くんと私が付き合っている」という証拠もない噂をママさんが聞きつけてきたことだったり、私が部屋に閉じこもってママさんの知り合いに挨拶しなかったことだったり。でもとにかく一方的に怒られた。

 

ただ親しくしていた友達だったのに、噂とは尾びれがつくもので、ママさんの耳に入る頃には「彼氏」になっていたし、そのママさんの友達はとても意地悪なことを平気で言ってくる人だったので、私は会いたくなかっただけだったのに。ママさんは私の言い分を一回も聞いてくれなかったし、主張好きのラテンアメリカ人を前にして主張がもともと苦手な日本人の私が、外国語で話ができるわけもなかった。頑固な私は向こうが謝るまで絶対許さないと思っていたが、毎回私が折れてママさんに歩み寄った。

 

彼女と出会ってからの事件を書いていたら、それだけで1記事書けてしまうほど色んなことがあった。でも結果的に8年たった今、ようやく理解し合うことができ始めたかな、という頃だった。

 

はあ、今回もまた私から歩み寄らなきゃなんだよなあ。と思いながら大衆食堂を出た。頑固同士の喧嘩に巻き込まれたドーナおばさんは、今思い出してもこの件の1番の被害者だったと思う。

 

土砂降りのウィレムスタット

私たちは歩いて首都を散策した。しかし大雨が降ってきたため、雨宿りをしながら小雨になった時に少し進むといった具合。天気が悪くてイライラが増す。

マーケット

雨宿り中

ウィレムスタットは「ウィレムスタットの歴史地区」として世界遺産に登録されている。コロニアルでカラフルな建物が海沿いに並ぶが、レンガに切妻屋根の設計がアムステルダムを彷彿とさせる(らしい)。これらは17世紀にオランダ西インド会社によって築かれた。

世界遺産

可愛い景色を横目に、ママさんたちが永遠にお土産屋さんから出てこない。そこで私は勝手に1人で歴史地区を散策することにした。しかしネットはないし、車を止めた場所も思い出せない方向音痴でポンコツ女。勝手に散策して適度にママさんたちを心配させつつ、リアルガチではぐれないように気をつけなければならない。とはいえ、アルバで1時間以上私を待たせた2人だからしばらくは大丈夫だろう。

 

私は歴史地区をしばらく歩いて海沿いに出た。そこにクイーンエマブリッジという浅瀬の橋がかかっている。この橋は、船が通る時に動く可動開閉式の浮桟橋。浮桟橋ということは揺れていたのだろうか。雨が降っていたこともあり、残念すぎるほど記憶がない。が、そこから見た景色はカラフルで可愛かったのを覚えている。

キュラソーといえばここ。天気はかなり悪そうだが。

「これぞキュラソー!!」と思った。でもアムステルダムではなかった。聞こえてくるのは母音多めで喉から声を出しているような、ベタッとしたスペイン語だし、肌に当たるのは少しジメッとした温かい風、通り過ぎる人々はふくよかな体型をしている。もしかしたら数週間前に本物のアムステルダムを見たばかりだったからかもしれないが、キュラソーキュラソーだった。

 

ところでキュラソーに来て1回もアジア人と遭遇していない(アルバに帰るまで一回も遭遇しなかった)。周りは欧米の家族やカップル観光客ばかりだったため、アジア人の私が1人で歩いているのはあまり安全ではない気がした。昔パナマで財布をスラれて最悪な思いをしたので、以来ふらっと生きているように見えて危機管理だけは結構ガチ。雨も強くなってきたので、一旦ママさんたちのいるお店に戻る。

表示を見ると、上から英語、スペイン語、パピアメント語で書かれていることが分かる。パピアメント語がスペイン語に似ていることがお分かりだろうか…

もともといたお店に彼女たちがいなかったので、若干不安になり、色々なお店を覗いてようやく発見した。ママさんはまだお土産を選んでいたが、ドーナおばさんは私を見るなり「どこ行ってたの!!心配してたよ!!」と言ってくれた。「そっちこそ…うちも探したよ…。」ママさんは一回も私を見なかったし、声もかけてこなかった。

 

その後、ママさんたちを連れて先ほどの橋のところに行き、車に戻った。3人とも車の場所が全く記憶にないが、陽ky…(略)のママさんが一緒にいれば何の心配もない。いつも通り街の人に聞きながら車にたどり着いた。

クルーズ船が常にいるのがABC諸島の光景。

仲直り?

部屋に戻るとすぐにビーチに行った。ビーチというか、ホテルが持っているプールのような場所。雨上がりの夕方は流石に寒すぎたため、私は水に入ることを遠慮した。喧嘩中だったおかげでママさんに無理やり入れられることもなかった。

海と繋がってはいないよく分からないプール(?)おそらく崖だったのでわざわざ人工的にビーチを作ったのだと思う。

ビーチサイドのチェアに寝転がって、私は何がいけなかったんだろうと考えた。そもそもラテンアメリカ人はたまに本人を目の前にして、直接的すぎてあり得ないことを言ってくるが、傷つける意図なく言っているのだろうか。そういう文化??しかも、ママさんのようなもともと強い口調の話し方だと、ただ言っただけの言葉も怒られているように感じてしまう。でもこれもそれも全て、私が自分の気持ちを伝えようとしないからいけない??

 

昔付き合っていた例のアメリカ人と喧嘩になった時、上手く自分の思っていることを伝えることができなくて、そのもどかしさがさらに自分のイライラをヒートアップさせていたことがあった。元彼もママさんも、私がなぜイライラしているのか分からなかったんだろうなあ。それは多分私が「察してほしい文化」で育っているからだと思う。元彼が「何で怒っているんだい?」と普通の顔で聞いてきて殴りかけ、ママさんが「トゥトゥが美味しくなかったんでしょう。」と言ってきてジンジャージュースを吹き出しかけた私だが、気持ちを伝えることは難しい。「言わなくても分かるでしょ文化」の人と、「伝えることを大切にする文化」の人はたぶん一緒にいてはいけない。

 

だから他文化の人と共に生きていくことは簡単ではない。このモヤモヤを何度感じたら良いのだろう。

夕日…

キュラソーで綺麗な夕焼けは1回も見られなかった。天気が悪かった。空に浮かぶ三日月を見ながら、いつか分かり合える日が来たらな、と思う。

 

近くのホテルのテラスでピアノの生演奏が始まり、ママさんとドーナおばさんはその音楽につられて、大声で歌いながら誰よりも本気でダンスをし始めた。その陽キャっぷりを見て笑ってしまった。強いなあ〜ラテンアメリカ人(笑)その場にいたアメリカ人たちも流石にびびっていた(笑)

三日月

そんなこんなで私はママさんと肩を組み、ホテルの方向に歩かせる。そうしないと永遠に踊っているつもりだろう。もうこの時にはトゥトゥをめぐる苛立ちそのものも消えていた。

喧嘩している時間ももったいないくらい時間は過ぎてしまう

むらさきが可愛いという世界一不純な動機で牛乳を買った

ぷんぷんしている時に1人で発見して1人でびびった。でっか。