Serenita

感情の消化。

【世界一周】#27 大好きな人たちに会いに行く旅 〜アルバ最終編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソーアルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

今回は最強に長くなってしまったが、あまり知られていないアルバのもう1つの側面を書いてみた。

 

ティーヴンとの別れ

アルバ最終日の朝。この日は12時の飛行機のため、そこそこゆっくりもしていられない。

朝ごはん

荷物をまとめ、エアビーのオーナーさんに挨拶をする。食べきれなかったパスタや調味料、100mlを超える液体系は全てエアビーに寄付した。

 

ティーヴンを呼び出すと、お決まりの「10分以内に行くぜい」というセリフ。車内では、昨日私たちが必死に「RED FISH」というレストランを探し、歩いても歩いてもなかった話をしていた。ママさんが「Red FishだかBlue Fishだか知らないけど、そんなレストランなかったわよ!!」と言うので、おもしろくて笑い転げた(笑)

 

ちなみに日本に帰国後、空港でもらえるアルバガイドを見ていると、RED FISHというレストランが載っていた。ガイドに載るほど有名だった件。

 

そういえば、空港で配っている無料ガイドはキュラソーでももらえたのだが、裏面が思いっきり寿司屋の宣伝だった。もはやキュラソー料理でもなんでもない…。世界の果てでも日本食が食べられていることに感動してしまったが。

その名も「KYOTO」(笑)

空港に着き、スティーヴンといよいよお別れ。専属運転手のように扱い、彼の結婚&離婚人生、コロンビア人の彼女の話、そしてもちろんアルバの話、いろいろな話を聞くことができて楽しかった。世界の果てで出会った、聞いたこともない国の人の人生の一部になることができて、素敵な8日間だった。これこそ旅の良さ。

 

最後だから割引が効くかと思ったが、しっかり17$。(^^)/

 

ティーヴン、いつかまた。

友達割引が効かずにがっかりのママさん。彼と4人で撮った写真もあるのだが、どうせ顔は隠すので載せる意味ない気がしてこっちにした(笑)

さよならアルバ。

今回は来た時と同じ、コパ航空のカウンターに並ぶ。ディビディビとは異なり、すでに多くの人が並んでいた。だからといってこの人たちが全員パナマ人という訳ではない。この中には他のラテンアメリカ人や、アメリカ人だけどコパの方が安いからこちらを選んでいる人もいると思う。現に、前に並んでいた人はコスタリカ人だったし、英語が聞こえ、白人が多い印象だった。

 

出国審査はどうでも良いが、あれだけ100mlの液体はないかと確認していたにも関わらず、荷物検査でママさんが引っかかる。何かと思えば、お土産に買ったアルバ名産のマンゴーホットソースだった。350ml×2本。(おいおいおい。)

 

しかしママさんは引き下がらない(もちろん)。絶対に持って帰る!!!と空港職員に頼み込んでいる。「持って帰れないなら、あなたたち食べてね!!!まだ未開封だから!絶対!!捨てないで!!」と叫ぶ始末。空港職員は苦笑いでホットソースをゴミ箱の前に置いた。(わんちゃんガチであの人たち持って帰ったと思う。)

 

ラテンアメリカの島の空港だし、最強ママさんだからいけるかも、と一瞬思ったが、呆気なく没収。意外とその辺は厳しい。ついでにホットソース事件のインパクトがでかかったので、ほぼ忘れかけていたが、この時私は、なぜかランダムの薬物取り締まり検査に当たってしまい、1人別室に連行された(笑)そのおかげで、ママさんと空港職員のやり取りは途中からしか見ていない。

 

幸せな島の闇な側面

話は変わるが、アルバを去る前にこの話だけは書いておきたい。

 

実はアルバがどこにあるかと聞かれた時、1番簡単な説明は「ベネズエラのわき」と言うことである。実際、ベネズエラの港からアルバは30kmほどしか離れていない。30kmは新潟と佐渡を結ぶ最短距離と同じくらい。それなのに船や空路で結ばれていないのはなぜなのか。これは私が1番最初に抱いた疑問だった。

 

日本にいるとラテンアメリカの国1つ1つの特徴を捉えることは難しく、いっしょくたにしてしまいがちなのだが、ベネズエララテンアメリカの中でも悪名高い…

 

ベネズエラは石油が発掘され、オイルマネーで1970年代まで繁栄した国だった。しかし1970年代後半からインフレなどで経済が厳しくなり始め、2000年代に入る頃には大統領が「21世紀の社会主義」や反米を掲げ始め、独裁政権が始まる。

 

2019年にはインフレ率が260万%を超えるハイパーインフレとなり、通貨である「ボリバル」の価値はもはやないに等しい。インフレ率260万%というのは簡単に言うと、100円の物が260万円になり、260万円の貯金が100円の価値しかなくなることである。そんな札束を持ち歩くのも大変なため、政府はこれまでに合わせて14桁も切り下げるデノミを行なっている。

 

国連などからの支援を拒否したこともあり、国際社会から孤立。国民は更なる貧困に陥った。難民と聞くと中東あたりをイメージするが、シリア、ウクライナアフガニスタンに次いで世界で4番目に難民を生み出しているのはベネズエラであり、これまでに540万人以上が国外に逃れている。以前コロンビアとベネズエラ犬猿の仲であると書いたが、隣の国は変えられない。コロンビアは世界で2番目に多い難民受入国となっている。

 

さて、そんな国からたった30km沖合に浮かぶ「One Happy Island」。UNHCRによれば、2021年の時点でアルバに逃れたベネズエラ人は1万7000人に及ぶと言われている。しかし、オランダ政府がこの難民を歓迎することはない。2019年にアルバで難民申請をしたベネズエラ人は2000人以上いたというが、そのほとんどが拒否されている。観光業だけで成り立つ、この小さな島の島民の「幸せ」を守らなければならない。それがオランダ政府の考えである。

 

しかし拒否されたところで彼らには帰る国がない。だから政府に見つからないよう、アルバで不法移民として働くのである。身分を偽って。特にアルバは建設ラッシュであり、建築関連の仕事につく難民が多い。

 

だが、言語の壁もある。アルバの人々は基本的にはマルチリンガルである。政権が破綻しているベネズエラでは教育を受けられない人も多く、スペイン語のみしか話すことができない。しかもアルバ人同士の会話はパピアメント語。アルバに逃れたとしても、英語もオランダ語もパピアメント語も話せないベネズエラ難民は、アルバ社会から孤立してしまうのだ。

 

アルバのあのきらびやかな建物、カジノ、リゾートホテル、夜も鳴り止まない音楽は楽園そのものだった。でもその裏には、強制送還を恐れながら働くベネズエラ人の苦しみがあることを忘れたくないと思った。「One Happy Island」はベネズエラ人にとって悪夢の始まりなのである。

 

そんなわけなので、ベネズエラ政府はアルバやキュラソーとの行き来を禁止しており、たとえアルバ近海で事故や事件が起こったとしても、助けないスタンスを取っている。ディビディビエアで事故にあっても、なかなか助けがこないと私が言っていたのは、そんな理由があったからである。

 

パナマへのフライト

話を戻そう。パナマ行きの機内は来る時と同じようにほぼ満席だった。アルバの空港は滑走路が1本しかないのだが、キュラソーの時にも書いた通り、貿易風に逆らって西から東に離陸する。ところがパナマは西の方向にあるため、離陸したらすぐに180度旋回しなければならない。これがまあ、ものすごい揺れを引き起こす。ドンっというすごい音(何か爆発したのでは?というレベル)と共に座席ごと突き上げられ、私はもう恐怖で思考回路停止状態(再)だった。何度乗ろうと、何航空だろうと、飛行機はやっぱり恐ろしい。何より、貿易風の威力はすごい。

なかなか見る機会がないであろうパナマのパスポート

するとママさんは呆れた顔をしながら、手を出してくれた。メラニンが少ないため、他の肌より白い、ピンク色の手の平。その手を握ると本当に不思議なくらい一瞬で、不安や恐怖が消えた。一緒にいて世界一安心できる人だと思った。

大好きだ

途中のコロンビア上空は雪が積もっている山々や、広大な荒野が広がっていて、「世界は広すぎる」と思わずにはいられない。

こんなところが世界にはある…。

パナマ上空に来ると大きな船が何隻も見える。この光景こそパナマ。運河が一瞬見え、何度か旋回して着陸した。命は助かった。着陸後恒例の拍手がなかったので、やはり乗客のほとんどがパナマ人ではなかったのだと思う。(ラテンアメリカ人は着陸後に拍手しがち)

天気が良くないのだが、船舶がいくつも見える

パナマに帰国という名の再入国

ここでトイレに行きたすぎて膀胱の限界を迎えていた私は、飛行機を降りてトイレに猛ダッシュ。ママさんは今にも「道を開けてあげてください!!」と言わんばかりの表情だった。なんとかトイレにたどり着いたものの、パナマの空港は以前書いた通り発着便合同のため、トイレが大混雑。必死すぎて並んでいる時の記憶はない。

 

ちなみにトイレに行きたい時、よく英語では「I want to pee.」と言うが、スペイン語では「Quiero orinar.(キエロ オリナール)」と言う。音がかわいい。(私だけ?)まあ、よく使うセリフのため覚えておくと便利だと思う。

 

さて。ここからパナマ人のママさんたちと、私は別々の行動となる。私はもちろん外国人パスポートの方に案内されるのだが、これがまた行列だった。周りはいかにもバックパッカーな、巨大なリュックを背負っている白人ばかり。

 

私はアルバに行く前に一度、パナマに入国している記録があるわけで、そのせいで無駄に怪しまれた。「前回は何をしていたの?」「宿泊先は?」「知り合いがいる?その人の住所は?」「今回は何をしに?」「観光?観光ってどこに行くの?」と根掘り葉掘り聞かれ、なかなかスタンプを押してくれない。こちらもスペイン語で答えているため、ギリギリ通じているか通じていないか。職業を聞かれているところで、「Si(はい)」と答えて相手を混乱させた。私が永遠に出てこないのでママさんたちは心配していたらしい。

 

空港までドーナおばさんの、妹さんの、旦那さんが迎えに来ていた。日本で暮らしていたら、自分の兄弟の結婚相手を頼ることなんてなかなかない、というかできないと思うが、ラテンアメリカはそんなところが素敵だ。日本は相手に迷惑かどうかを考えるあまり、人を頼れない社会だと思う。大切な人はたくさんいたほうが幸せなんじゃないか。頼られるってそんなに嫌なことじゃないんじゃないか。ラテンアメリカに通い出してから、そんな風に思うようになった。

 

さよなら円。

この日私がさよならしたのはアルバだけではない。流石に現金がなさすぎるので、空港で換金することにした。再度みんなを待たせて換金屋に行く。ところがこの時のレートがめちゃくちゃ悪くて、本当に信じられなかった。

 

換金屋のお兄さんは優しい方で、「日本円は珍しいから、ここ以外換金できないよ。」と言ってくる。これが本当かどうか分からないが、誠実そうな彼を信じることにした。私はユーロを現金で沢山持っていたので、ユーロと円をドルにする。ユーロの方の記憶は全くないが、円は2万円出して、100$と少しにしかならなかった。確かにこの旅行中、かなりの円安だった。とはいえ、2万円で100$だと1ドル200円の計算になってしまう。溜息しか出ない。

 

その後空港のあるパナマシティから家があるコロンまで、ドーナおばさんの、妹さんの、旦那さんの運転で帰った。案の定私は爆睡していたが、これで旅が終わると思うと寂しかった。楽しかった思い出ばかり。ついでに早くブログを書きたくて、うずうずしていたのを覚えている。

 

長くなったので、この続きは次に書こう。

 

泊まっていたエアビー。すごくよかった。ただお湯が出ない。

 

【参考文献】

もしアルバに行く機会があったら、ぜひ1番最初の記事を読んでから行くと、違った側面からアルバを見ることができると思う…。

 

www.opendemocracy.net

www.jetro.go.jp

iti.or.jp

https://www.japanforunhcr.org/activity-areas/venezuela

↑UNHCRのベネズエラ難民に関するページのリンク

 

 

 

【世界一周】#26 大好きな人たちに会いに行く旅 〜アルバ(再)編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソーアルバパナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

アルバに戻って1日目。上記の旅程を見て分かる通り、私の大好きな人たちに会いに行く旅は、もう後半に差し掛かっている。

 

看護学生の私

さて、私が目を覚ますとそこは見慣れたキッチンだった。アルバに帰ってきた。朝ごはんに何を食べたか、正直もう思い出すことができない。だがこの日も、いつもの強烈スパイスココアを飲んだ記憶がある。朝食の後はママさんたちの恒例、パナマの人々との長電話も再開された。

 

特に予定がなかったので、首都に行き、最後のショッピングをするという。AGAIN?!現金ないんだよなあ〜と思いつつ、ママさんたちについて行く他選択肢はない。この日は徒歩。確か2kmほどの道のりだったと思う。(私は東京にいると3kmは徒歩圏内だと認識しているし、歩くのがそこまで苦だと思わない人間。)

ドーナおばさんは鍵を管理する役

この日もあまり天気が良くなかった気がする。歩いている途中で雨がポツポツ降っていたことと、うちの最強ママさんが貧血になった時の話だけはよく覚えている。

 

ママさんは若い頃、ひどい貧血に悩まされていたらしい。ある時失神してしまい、病院に運ばれたとか。彼女の母親は彼女を家に連れて帰ると、牛(だったか豚だったか)の腎臓をミキサーにかけて飲ませたらしく、今までの人生であの「腎臓ジュース」以上に不味いものを口にしたことがないと言っていた。(苦笑)

 

彼女の母親もまた、最強癖強めママさんだったのか。と、ある意味納得。ママさんはずっと母親と暮らしていたが、今から10年ほど前に亡くしている。その母親の部屋が空室になったので、留学生の受け入れをしていた。ママさんは母親のことをとっても愛していた。

 

そういえば、その貧血の話の流れでママさんが、「あなた看護学生なら採血とか注射とかできるわけ?」と聞いてきたので「もちろん」と言った。するとママさんもドーナおばさんも「絶対あなたには針を刺してもらいたくないわ」「あなたにだけは無理」と言い出す。運転同様、私の注射を恐れるのも世界共通案件らしい。えと。えと。👉👈

 

それと、この話は医療系学生以外全く興味ないことだと思うが、ママさんが「いっつも血管が見えなくて看護師が困るのよ〜」と言って腕を見せてきて初めて気付いたことがある。私のママさんやドーナおばさんは純粋な(というのが正しいのか分からないが)黒人である。すると当然肌が黒いため、静脈を目視で見つけることは困難なのだ。確かに、見えないじゃん…。日本で看護学生をしていると考えたこともないことだったからおもしろい。人種によって罹患しやすい疾患も異なる。多様な人種が住む国で医療従事者になるということはどういうことなのだろう。

 

※もちろん血管は目視だけでなく指先で触れて確認しているし、調べてみると経験を積めば見えなくても場所が分かるため、肌の色が問題になることはないらしい。ついでに私もわりと血管が出ない人間で、最低3回は針を刺されるから、いつも採血後は両腕に絆創膏の人種。と考えると肌の色がどうということではないのかもしれない。

 

日曜日のアルバ

さて、そんな話をしながら首都に到着した。が、この日の首都はまるで違った。ほとんど人はいないし、お店も開いていない。お土産屋さんもほとんどが閉じており、開いているのは数店のみ。どうやら日曜日は全力でお休みらしい。

 

アルバに行くなら日曜日は気をつけたほうが良い。

静かな海

お土産を買い終わり、お昼ごはんを食べようにもどこも開いていない。スティーヴンから以前「Red Fishというレストランが美味しい」と聞いていたため、その店に行きたかった。ネットがないため、エアビーでダウンロードしておいた地図を使う。

アルバの警察署。平和な島すぎて警察も暇そうと信じたい。

しかしこの日すでに2kmの道のりを歩いた我々。ドーナおばさんは足が悪いので限界がきている。それでも30分ほど歩いただろうか。時折日差しも強く、私も我慢できなくなってきた。ママさんに地図を見せてもらうと、残りなんと3km。3kmは徒歩で1時間弱。パナマ人は基本的に歩く習慣がないため、何kmと聞いてもイメージができない。

 

「3kmは1時間だよ?分かってる?」と伝えると「本当に言ってる??」と驚く2人。私は2人を説得し、引き返すことにした。そのままエアビーまで1時間以上歩き続け、この日の体力を全て消耗した。

綺麗なレストランも日曜日はお休み

歩いているときに車が通るとママさんは、「この国の人たちは観光客が路頭に迷って歩いているにもかかわらず、助けようともしないのね?私なら絶対に声をかけるわ!!!」と言っていたが、まあ…あなたはコミュ力おばけですからねえ…。

誰もいない首都。車や人が少ないので映え写真を撮るなら日曜日がおすすめ。

初めてのおつかい in アルバ

さて、私たちはアルバに来て初日、スーパーフェンウェイで、Mac and Cheeseを購入していた。多分日本でも有名だと思うが、マカロニとチーズという間違いない組み合わせのあの食べ物。パナマでもよく食べるのだが、私は久しぶりにあれが食べたい気分だった。

 

作り始めるとバターが必要だとママさんが言う。バターを買いにひとりでフェンウェイにおつかいに出された。もう足はボロボロだし太陽は暑いしお腹はペコペコだし。フェンウェイに着くと冷蔵庫に直行し、日本だったら400円くらいしそうなバターのスティックを、1本たった1$で購入した。

 

アルバで恋に落ちた話

バタースティックといっても、ただワックスペーパーで包まれているだけなので、溶けたら手がベトベトになりそう。急いで帰ろうと入り口の扉を押すが、押しても押してもビーサンが滑るだけで扉がびくともしない。(「引く」の扉を押し続ける私はかなり滑稽だったと思う。)

 

すると突然扉が手前に引かれる感覚があり、扉が開く。後ろを振り返ると、そこには超イケメンのアルバ人と思われし男性がいた。(韓ドラならスローモーションで花が舞うシーン。)イケメンすぎて思考回路停止。

 

えっ。わっ。セ、Thank you!

 

慌ててスーパーを飛び出す。

 

どうしようイケメンすぎるどうしよう!!!

 

お店の前には普段なら交通量がわりとある道路があり、エアビーに戻るにはそこを渡らなければならない。だがこの日は日曜日。交通量もゼロですぐに渡れてしまった。それでももう一度顔が見たくて、私は後ろを振り返った。

 

そしたら!!!!

 

店を出た彼が手を降ってくれていた。

 

(韓ドラなら再びスローモーション+音楽。)

 

はあ〜〜〜もう無理だ。イケメンすぎる!!!

 

韓ドラならこれで恋に落ちて20話くらいのストーリーが始まるだろうが、残念ながら韓ドラではないのでこのストーリーはこれで終わり。連絡先も知らないし、もう一生会えない。現実は儚い…。

 

エアビーに帰りながら妄想が止まらない。もし付き合ったら、アルバ人の彼氏は色々大変そうだ。アルバは世界の果てだと思ったくらい遠い場所。遠距離恋愛が永遠に続くことになる。しかも友達や家族に「アルバ人の彼氏」なんて言った日には、アルバってどこ?から始まる。そのくだりを何百回も繰り返すのはめんどくさい。そのうちオランダ人ということにするだろう。いや〜めんどくさいめんどくさい。…妄想は止まらないが、別に彼に告白されたわけでも、話しかけられたわけでもない。ただの妄想❤︎

 

現実

何事もなかったかのようにエアビーに帰り、Mac and Cheeseを完成させる。幸せすぎるくらい美味しかったのは彼のおかげだと思う。(絶対違う)

美味しすぎた。スパム&ビーンズもよくママさんが作るものの1つ。

その後3人で仲良くベッドでお昼寝。2人の真ん中でスマホをいじりながら、涙が出てくるのを必死に堪えていた。もうこの旅が終わってしまう。楽しかったというのもあるが、ママさんといろんな話をしたこと、8年たってもここには私の居場所があること、何度周りの人に不思議がられようと、肌の色が違おうと「She is my daughter.」と言ってくれること、全部がすごくあたたかかった。心の傷が全部癒されて、なんというか、守られている気がした。

とっっってもだいすき❤︎

この次の日の便でパナマに帰国した。その話は次回書く。ついでにアルバについて書きたい話がもう一つあるので、次回にぶっ込みたいところ。実はパナマの後に行ったアメリカの話は、ほとんど書くことがないので、この調子なら6月中に旅行記を完結させられそう(拍手)

 

 

 

 

【世界一周】#25 大好きな人たちに会いに行く旅 〜キュラソー編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバパナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

キュラソー最終日。特に面白いことはないのでサクサク書こう。

 

キュラソーで迎える最後の朝

キュラソー2日目の朝も清々しい風が吹き、鳥のさえずりが聞こえてくる。私たちはこの日の午後4時の便でアルバに帰る予定である。昨日のようにテラスで朝食を取り、出発の時間まで時間を潰した。連日の疲れもあったので、ホテルでゆっくり過ごすのも悪くない。ついでにアルバに再入国するため、再度オンラインでビジター登録を行わなければならない。その作業も終わらせた。

 

お湯の出る生活ともお別れだと思うと涙が出てくる。(泣き泣き)

 

お昼頃、私たちは素敵すぎたホテルを後にした。

このホテル最高だった

アイラヴ ピザハット

レンタカーで空港に向かっている途中にピザハットがあり、ママさんはそれが私の大好物であることを知っているため、お昼ごはんはピザハットに決まった。書きながら思ったけど、これはもしかしたら昨日のトゥトゥの件のママさんなりの「お詫び」だったのかもしれない。

 

私は留学中、パナマピザハットのピザが大好きだった。是非全日本人に知っていただきたいのだが、パナマピザハットは本当に本当に本当に、美味。超健康に悪そうな味(?)がするけれど、これ以上のピザはこの地球上にはないと確信している。(大袈裟)

 

しかし、コロナ禍で経営状況が悪化したピザハットパナマから撤退したらしい。私はパナマにくる前にこの話を聞きつけ、絶望していた。そんな時、世界の果てだと思っていたキュラソーで見つけた希望の星。

 

食べた瞬間、これよこれ!!!!と叫びたくなった。日本のピザハットとは全然違う。たぶん健康に悪いものがたくさん入っている、もはや禁断の味。(大袈裟)他にもドミノピザや、パナマ独自のピザチェーンなどあるのだが、ピザハットは比べ物にならない美味しさだった。

 

何が言いたいかって、結論:ラテンアメリカに来たら是非ピザハットを。

 

ママさんは絶賛ダイエット中だったため、この健康に良くない食べ物に懸念の表情だったが。

アイラヴアルバのリストバンドを付けながらキュラソーで食べるピザハット

レンタカーを返す前に、ガソリンを入れる。洗車もしたかったのだが、洗車のサービスがないキュラソー。そこでママさんはペットボトルに水をくんで1人で手動で洗車をしていた。さすがとしか言いようがない。

洗車するママさんとそれを面白がって動画を撮るドーナおばさん

ハト国際空港

昨日の今頃とは打って変わって、私はとても幸せだった。空港で出国審査を受ける時、ママさんたちと一緒に受けたら、「You are an adult!!(大人でしょう!)」となぜか怒られ、荷物検査はわんちゃん、つーちゃんくらい、大英博物館に入る時に受けたものよりもクオリティの低そうな機械だったが、誰がこの平和な島で事件を起こそうとするだろう。世界の果ての空港で、ディビディビの時間を待った。

にしても綺麗な外観の空港である

キュラソーの空港はハト国際空港(Hato International Airport)と言う(…🐦)。アメリカやコロンビアなど23都市と結ばれており、最長は本国のオランダ、アムステルダムからのKLMで9時間のフライト。主要国とのフライトがあるため、我々が思うほどアクセスが悪いわけではないのだが、少なくとも私はもう一生来ないかもしれない…。ばいばい、キュラソー

 

もはやアトラクション

またバスに乗せられ、ディビディビに搭乗する。コックピットが丸見えだと前回書いたが、離陸の順番待ち中、パイロットの2人は、なんと永遠にスマホをいじっていた。さらに、昨日に続きこの日もABC諸島周辺は天気が悪く、スコールのような大雨の中の離陸だった。使えなそうなワイパーが必死になって動いていた。(こちとらもう死ぬ覚悟。)

またこの機体。この時はまだ雨は降っていなかった

普段飛行機に乗るときは、横からの景色しか見ることができない。だが、コックピットが丸見えのおかげで、ディビディビでは操縦席からの景色、つまり進行方向の景色が見えるのだが、それがいかに恐怖かということをお伝えしておきたい。目の前に分厚い雲があると、その雲に突っ込んでいく感覚。いくら雲は空気中の水分であると知っていても、真正面からぶつかっていくあの瞬間はかなり怖い。さらに雲に入ると視界はゼロで、雨雲の中は雨が降っているため、ワイパーが今にも壊れそうな勢いで必死に動く。気流が悪く、突き上げられるように上昇したり、フリーホールのアトラクションのごとく下降したり…飛行機というか、あれはほぼジェットコースターだった。それか…リアルストームライダー(?)

天気が良くないので窓の外も霞んで見える

アルバに着陸した時には何もしていないのにヘトヘトだった。もうディビディビは勘弁。

 

私たちはまたスティーブンを呼び出した。「10分以内に行くぜ」と返事があり、スティーブンと再会。「私たちがいなくて寂しかったでしょ〜!!!」とママさんがハグ。「チャイニーズガール笑顔じゃん〜」とお決まりの突っ込みがあった。

 

ハドソン川の奇跡

エアビーに着き、疲れ切った3人は、ベッドの上でテレビを見て過ごした。ママさんの大好きな、テレビで映画タイム。しかもようやく白黒テレビから解放されたのである。

 

この日は「Sully(2016)」という映画をやっていた。邦題は「ハドソン川の奇跡」。2009年1月にニューヨークでUSエアウェイズの航空機がハドソン川に不時着し、全員が生還した奇跡を描いたもの。見たことはなくても全世界がなんとなく知っている話だ。

 

これを見ながらママさんが、「これ見るの昨日じゃなくて良かったわね〜。昨日見てたら誰かさん、ディビディビエアーに乗る恐怖が倍増してたネ。」と言う。TRUEEEEEEEE。

 

この映画、1番最後に裁判官(?)が機長に、「もしもこれがもう一度起きたら、同じ行動を取りますか?」と聞くのだが、それに対して機長が「7月にね。(I'd have done it in July.)」と答え、会場が笑いに包まれて映画が終わる(うる覚えなので、少し違った言い回しかもしれないが)。

 

アメリカ人っぽいなあ〜(笑)と思いながら私は見ていたのだが、これがパナマ人にとって不可解。ドーナおばさんもママさんも「え、なぜ7月?」「7月にってどういう意味??」「なんで笑ってたの?」と大混乱。

 

もちろん、事故が起きたのは1月で、ニューヨークは凍える寒さだったということから、7月なら暖かいので川で救助を待っても寒い思いはしなくて済むという意味だとすぐに分かるが、常夏のパナマに住んでいる2人は、英語ネイティブで映画を全て理解していても、7月と1月の気候が違うという概念がない。前にも書いたかもしれないが、パナマ人に「夏」や「冬」と言っても「夏っていつ?10月?」と言われたりする。実際、私がこのセリフの意味を解説しても、「Ohhhh, なるほど〜7月って夏なのね?」という感じである。

 

世界の見方というか、文化の違いというか、改めておもしろいなあと思う出来事だった。私たち日本人からすると、各月にはイメージがある。でもそれが常夏の国の人には全くないし、南半球の人からすると逆だったりするのだろう。ただ日本で生活してこの映画を見るのとは違う、「Extra」な面白さがあるから楽しいんだよなあ〜と思う。

 

このアルバ旅ももう終盤。1日1日があっという間に過ぎて行く現実に、私は心が苦しくなってくる。ママさんが「あなたもここで寝たら?」とベッドで3人で寝ることを提案してくれたが、私はダニ問題とエアコン問題(ママさんとドーナおばさんは暑がりで、エアコンを20度に設定するので寒すぎる)があるので、キッチンのソファに虫除けスプレーを撒き散らしてシーツを巻きつけて寝た。

 

キュラソーの可愛いおうちたち。

ハト国際空港

キュラソーの空港。最後の最後で全く持ってないコンセントの形がきて充電できずもはやわろた😑

 

【世界一周】#24 大好きな人たちに会いに行く旅 〜キュラソー編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

さて、些細なことがきっかけで冷戦中の私とホストママである。

 

高校生の頃の思い出

ドーナおばさんがママさんに「彼女怒っているわよ。」と耳打ちをしていた。するとママさんが「トゥトゥが美味しくなかったんでしょう。」と答えていて、私はジンジャージュースを吹き出しかけた。トゥトゥが不味くて怒るって、そんな赤ちゃんみたいな理由で不機嫌になるわけないじゃん…と思った、心の中で、ネ。

 

ドーナおばさんは私に気を遣って何度も話しかけてくれたり、「何か食べる?」と聞いてくれた。でも私は冷たく首を振った。こういう状況で優しくしてくれる人に、なぜか冷たく当たってしまうところは私の直したいところ。

 

数年前も、当時付き合っていたアメリカ人彼氏の実家(コロンビア)に遊びに行き、大喧嘩を勃発させ、話を聞こうとしてくれた彼の母親の手を強く振り払う失態を犯している。世の中の女子は彼氏の母親に気に入られようと必死になるのに、私は一瞬で嫌われたと思う(苦笑)

 

今までの話を踏まえると、トゥトゥの事件が起きるまで、私とママさんはホストファミリーとホストスチューデントの関係を超え、本当の家族のようにすごく仲が良いと思われたかもしれない。だから先に書いておくが、事実は違う。実は私は留学中、何度もホストチェンジを試みたほど、(このぶっ飛んだ)ホストママと上手くいかなかった。

 

留学中私たちは何度も喧嘩した。ママさんも頑固だが、私も負けないくらいの頑固。ひどい時は1週間くらい目も合わせず、口をきかないこともあった。

 

原因は、「クラスの〇〇くんと私が付き合っている」という証拠もない噂をママさんが聞きつけてきたことだったり、私が部屋に閉じこもってママさんの知り合いに挨拶しなかったことだったり。でもとにかく一方的に怒られた。

 

ただ親しくしていた友達だったのに、噂とは尾びれがつくもので、ママさんの耳に入る頃には「彼氏」になっていたし、そのママさんの友達はとても意地悪なことを平気で言ってくる人だったので、私は会いたくなかっただけだったのに。ママさんは私の言い分を一回も聞いてくれなかったし、主張好きのラテンアメリカ人を前にして主張がもともと苦手な日本人の私が、外国語で話ができるわけもなかった。頑固な私は向こうが謝るまで絶対許さないと思っていたが、毎回私が折れてママさんに歩み寄った。

 

彼女と出会ってからの事件を書いていたら、それだけで1記事書けてしまうほど色んなことがあった。でも結果的に8年たった今、ようやく理解し合うことができ始めたかな、という頃だった。

 

はあ、今回もまた私から歩み寄らなきゃなんだよなあ。と思いながら大衆食堂を出た。頑固同士の喧嘩に巻き込まれたドーナおばさんは、今思い出してもこの件の1番の被害者だったと思う。

 

土砂降りのウィレムスタット

私たちは歩いて首都を散策した。しかし大雨が降ってきたため、雨宿りをしながら小雨になった時に少し進むといった具合。天気が悪くてイライラが増す。

マーケット

雨宿り中

ウィレムスタットは「ウィレムスタットの歴史地区」として世界遺産に登録されている。コロニアルでカラフルな建物が海沿いに並ぶが、レンガに切妻屋根の設計がアムステルダムを彷彿とさせる(らしい)。これらは17世紀にオランダ西インド会社によって築かれた。

世界遺産

可愛い景色を横目に、ママさんたちが永遠にお土産屋さんから出てこない。そこで私は勝手に1人で歴史地区を散策することにした。しかしネットはないし、車を止めた場所も思い出せない方向音痴でポンコツ女。勝手に散策して適度にママさんたちを心配させつつ、リアルガチではぐれないように気をつけなければならない。とはいえ、アルバで1時間以上私を待たせた2人だからしばらくは大丈夫だろう。

 

私は歴史地区をしばらく歩いて海沿いに出た。そこにクイーンエマブリッジという浅瀬の橋がかかっている。この橋は、船が通る時に動く可動開閉式の浮桟橋。浮桟橋ということは揺れていたのだろうか。雨が降っていたこともあり、残念すぎるほど記憶がない。が、そこから見た景色はカラフルで可愛かったのを覚えている。

キュラソーといえばここ。天気はかなり悪そうだが。

「これぞキュラソー!!」と思った。でもアムステルダムではなかった。聞こえてくるのは母音多めで喉から声を出しているような、ベタッとしたスペイン語だし、肌に当たるのは少しジメッとした温かい風、通り過ぎる人々はふくよかな体型をしている。もしかしたら数週間前に本物のアムステルダムを見たばかりだったからかもしれないが、キュラソーキュラソーだった。

 

ところでキュラソーに来て1回もアジア人と遭遇していない(アルバに帰るまで一回も遭遇しなかった)。周りは欧米の家族やカップル観光客ばかりだったため、アジア人の私が1人で歩いているのはあまり安全ではない気がした。昔パナマで財布をスラれて最悪な思いをしたので、以来ふらっと生きているように見えて危機管理だけは結構ガチ。雨も強くなってきたので、一旦ママさんたちのいるお店に戻る。

表示を見ると、上から英語、スペイン語、パピアメント語で書かれていることが分かる。パピアメント語がスペイン語に似ていることがお分かりだろうか…

もともといたお店に彼女たちがいなかったので、若干不安になり、色々なお店を覗いてようやく発見した。ママさんはまだお土産を選んでいたが、ドーナおばさんは私を見るなり「どこ行ってたの!!心配してたよ!!」と言ってくれた。「そっちこそ…うちも探したよ…。」ママさんは一回も私を見なかったし、声もかけてこなかった。

 

その後、ママさんたちを連れて先ほどの橋のところに行き、車に戻った。3人とも車の場所が全く記憶にないが、陽ky…(略)のママさんが一緒にいれば何の心配もない。いつも通り街の人に聞きながら車にたどり着いた。

クルーズ船が常にいるのがABC諸島の光景。

仲直り?

部屋に戻るとすぐにビーチに行った。ビーチというか、ホテルが持っているプールのような場所。雨上がりの夕方は流石に寒すぎたため、私は水に入ることを遠慮した。喧嘩中だったおかげでママさんに無理やり入れられることもなかった。

海と繋がってはいないよく分からないプール(?)おそらく崖だったのでわざわざ人工的にビーチを作ったのだと思う。

ビーチサイドのチェアに寝転がって、私は何がいけなかったんだろうと考えた。そもそもラテンアメリカ人はたまに本人を目の前にして、直接的すぎてあり得ないことを言ってくるが、傷つける意図なく言っているのだろうか。そういう文化??しかも、ママさんのようなもともと強い口調の話し方だと、ただ言っただけの言葉も怒られているように感じてしまう。でもこれもそれも全て、私が自分の気持ちを伝えようとしないからいけない??

 

昔付き合っていた例のアメリカ人と喧嘩になった時、上手く自分の思っていることを伝えることができなくて、そのもどかしさがさらに自分のイライラをヒートアップさせていたことがあった。元彼もママさんも、私がなぜイライラしているのか分からなかったんだろうなあ。それは多分私が「察してほしい文化」で育っているからだと思う。元彼が「何で怒っているんだい?」と普通の顔で聞いてきて殴りかけ、ママさんが「トゥトゥが美味しくなかったんでしょう。」と言ってきてジンジャージュースを吹き出しかけた私だが、気持ちを伝えることは難しい。「言わなくても分かるでしょ文化」の人と、「伝えることを大切にする文化」の人はたぶん一緒にいてはいけない。

 

だから他文化の人と共に生きていくことは簡単ではない。このモヤモヤを何度感じたら良いのだろう。

夕日…

キュラソーで綺麗な夕焼けは1回も見られなかった。天気が悪かった。空に浮かぶ三日月を見ながら、いつか分かり合える日が来たらな、と思う。

 

近くのホテルのテラスでピアノの生演奏が始まり、ママさんとドーナおばさんはその音楽につられて、大声で歌いながら誰よりも本気でダンスをし始めた。その陽キャっぷりを見て笑ってしまった。強いなあ〜ラテンアメリカ人(笑)その場にいたアメリカ人たちも流石にびびっていた(笑)

三日月

そんなこんなで私はママさんと肩を組み、ホテルの方向に歩かせる。そうしないと永遠に踊っているつもりだろう。もうこの時にはトゥトゥをめぐる苛立ちそのものも消えていた。

喧嘩している時間ももったいないくらい時間は過ぎてしまう

むらさきが可愛いという世界一不純な動機で牛乳を買った

ぷんぷんしている時に1人で発見して1人でびびった。でっか。

 

 

 

【世界一周】#23 大好きな人たちに会いに行く旅 〜キュラソー編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

キュラソー2日目。この日はキュラソー観光がメイン。のはずがママさんとの喧嘩がメインとなりました。

 

嵐の前の静けさ

テラスで朝ごはんを食べた。スーパーで買ってきたレーズンパンにチーズを挟み、しぼりたてのオレンジジュースを飲む。久しぶりにあのスパイス効きすぎココアから解放された。心地よい風を感じながら食べた朝ごはんは、思い出すだけで今でも私を幸せにさせてくれる。

テラス

パンを狙って黄色の鳥や黒い鳥など、見たことがない珍しそうな鳥が集まってくる。優雅すぎる…。ママさんが手の平でパンをあげようと必死だったのが面白かった。

可愛い…キンノジコという南米原産の鳥らしい。

極寒のプール

Wi-Fiが弱いおかげでママさんたちの長電話がなくなったため、ホテルに併設されているプールに行くことになった。

 

だがこの日からキュラソーは天気が良くなかった。朝から厚い灰色の雲に覆われ、プールは予測通り凍える寒さ。とてもじゃないけど泳げない。が、安定にママさんに引っ張られ、気付けばプールの中。小学生の時、水泳部か野球部という究極の選択しかできなかったど田舎の小学校で、私は水泳部に入り、極寒の6月に大雨の中練習させられたことを思い出す。あの時より全然マシだったが。

 

他にも白人の家族やおじさん方がいたが、誰もプールに入らない。だって寒いもん。

 

1時間ほど泳ぎ、部屋でシャワーを浴びた後、首都の方にレンタカーを走らせた。

 

キュラソー観光(のはず)

キュラソーはオランダ領なので、道の構造がヨーロッパに似ており、環状交差点(Roundabout)が多い。パナマには環状交差点がない(多分)ので、抜け方が分からずぐるぐるしたり(笑)(日本には140ヶ所ほどあるらしい。)そんなこんなで首都についたらお昼だった。車を止めてお土産屋さんや、マーケットが並ぶ大きな建物に入った。ここでもママさんとドーナおばさんは非常に長い時間をかけてお土産を選んでいた。私は手持ちの現金がゼロなので何も買わなかったが、今後悔するなら、キュラソーのマグネットを買わなかったことかもしれない。もう一生行かないかもしれないのに。

お土産屋さん

マーケット。緑のバナナをたくさん売っている。

カラフルで情報量がえぐい。

そしておひるご飯を食べに、大衆食堂に入った。大衆食堂に入った理由は、いつも通り陽ky(略)のママさんが、その辺のおじさんに声をかけたらオススメ(というか案内)された場所だった。しかもこのおじさんはキュラソー生まれキュラソー育ちだが、コロンビアで生活をしていたらしい。しかし離婚後お金がなく、キュラソーに戻ってきたという。キュラソー人、他国に移住しがちな件。

 

大衆食堂は、例えるならローカル版のフードコート?だろうか…。色々なお店が入っているが、グローバルなチェーン店はなく、すべて個人経営のお店だった。天井にファンがついていたが、かなり湿度が高い中、大衆食堂の居心地があまり良くなかったことが私のイライラポイントだった。

大衆食堂

注)ここから私とママさんのガチ喧嘩が勃発する。

 

席にテキトーに座ると、その席担当のお店の人がオーダーを取りにくるシステムで、この店員のおばさんがかなり私をイラつかせた。私は無難にレモネードとフィッシュ&チャーハンを選択したのだが、ママさんが「チャーハンじゃなくて新しいものに挑戦しなさいよ」と言ってきて、それに便乗する店員。「チャーハンなんて、あなたの国に帰ってからいくらでも食べられるじゃない。」と言われた。

 

違う。ラテンアメリカのチャーハンは日本のものとは全然違って、「醤油焼きごはん」という感じで、私はそれはそれで好きだった。それが食べたかっただけ。

 

なのにママさんはカリブ地域で食べられている「Tutu(トゥトゥ)」という主食をゴリ押ししてくる。しかしこれがトウモロコシの粉でできており、私は絶対苦手だと確信した。だが、ママさんと店員がうるさいため、「じゃあトゥトゥにするよ(怒)」と言った。すると「そんなに嫌ならチャーハンで良いよ。」と言い始めたが、私は「トゥトゥでいい!!!」とガチギレ。

 

その上、レモネードを頼むも、レモネードは生憎切らしていると言われ、生姜ジュースかタマリンドジュースしか選択肢がなかった。これは私にとったら究極の選択。生姜は別に嫌いではないのだが、ラテンアメリカでは生の生姜と水をミキサーにかけただけのジンジャージュースがよくあり、これが私はかーなーり苦手。(別に美味しくないから。)一方タマリンドは日本ではあまり見たことがなかったが、パナマについて初日に「暑い暑い」言いまくっていたら、近所のおばさんが作ったというタマリンドジュースを凍らせたものが出てきた。これが美味しくなかったので、そっちは頼むものかと、消去法でジンジャーになったが、今思えば無難に水を頼めばよかった…。

 

しかもイライラしたのは、後から座った隣の人たちにはレモネードが運ばれていたからだ。あんじゃん。(怒)

 

そして問題の品、トゥトゥが運ばれてくるやいなやママさんが「え、この子チャーハンにしたのよ?」と店員に言い始める。「え???結局トゥトゥってなったじゃん。」と反論すると、店員のおばさんが「ちゃんとしてもらわないと、私が間違えたって上司に怒られるの。トゥトゥでいいのよね!!!」とキレ始める。「そう。」と頷き、皿をもらったが、私の怒りは収まらない。

 

なんで私が怒られなきゃいけないの?私はチャーハンが良くて、それなのにあなたたちに邪魔され、トゥトゥで良いって言ったのに、なんでここでまたそれをぶり返すのこの人?最低!!!!(心の中。)

 

ムカつきすぎて無言で食べたが、トゥトゥはやっぱり無理だった。イライラしていたせいで余計不味かった。巨大なトゥトゥを10口くらい食べて残した。お口直しのはずの飲み物もジンジャージュース。息を止めて飲んだが、生姜なので喉がスースーする上に、暑くなってくるので飲むのをやめた。私が何をしたというのだろう。付け合わせの魚とサラダだけは全部食べた。

 

こういう時に泣きたいくらい孤独を感じる。ラテンアメリカの人、というかママさんというか、彼らは些細なことなのに直接的で、言い方がきつい時がある。私はラテンアメリカが大好きで、ラテンアメリカの人も大好きだから、心を通わせたいといつも思っている。文化を理解しようとしているつもりだし、食べ物だって色々挑戦してきた。でもたまに些細なことで突然突き放されるように感じることもあって、好きな人に裏切られたみたいで、ただ辛くて悲しい。

この黄色いものがトゥトゥ。多分この喧嘩の1番の被害者はドーナおばさん(笑)必死に私のことをなぐさめようとしてくれた。

トゥトゥ

※私を苦しめたトゥトゥとは…

キュラソーは黒人奴隷が多く連れてこられた場所のため、アフリカの料理を基礎としている。トウモロコシの粉をお湯で練ったものを「Funchi フンチ(現地の発音的には「フンチー」)(💩)」と言い、ほぼ同じものだがこれに黒目豆が入ったものをトゥトゥと呼ぶ。フンチはドーナおばさんが頼んでいたが、見た目はそっくりで同じような味がした。

 

私はトウモロコシは好きだし、トルティーヤも好きだが、それ以外のトウモロコシの粉を使った系の料理が結構苦手だと自覚している。コロンビアに行った際、アレパというトウモロコシの粉をお湯で練り、フライパンで焼いたものを食べ、「うーーーん。」となった記憶がある。(多分前のブログを読んでくれている方はわかる。)しかもその後自宅でもアレパを作り、やっぱり微妙だったと記憶している。

 

トゥトゥやフンチはお湯で練った生地を蒸している(?)ため、蒸しパンのような食感で、チーズと共に食べるアレパとは違い、味がない。その上蒸された勢いで巨大化するのか知らないが、すごい大きさでお腹にたまる。

 

トウモロコシの粉ってそんなに不味い??と半信半疑の方は是非作って欲しい。トウモロコシの粉は日本ではレアキャラだが、紀伊国屋などおしゃれめな輸入食品店にある。(カルディーにはない。)ただお湯で練ってひとつまみくらい塩を入れて蒸すか、アレパなら平たくしてフライパンで焼くだけ☆

 

フンチのレシピはこちら↓

wanderlustandlipstick.com

 

キュラソー

実はこの喧嘩が勃発している中、陽ky(略)のママさんは食堂の目の前の席に座っていた女性と友達になっていた。(もちろん)

 

彼女はキュラソー生まれキュラソー育ちだが、今はオランダで生活をしており、バケーションを利用して「帰省」していた。まさに私たちのホテルの部屋のお隣さんと全く同じ状況。キュラソーには仕事がないから、休暇に遊びに来るくらいがちょうど良いの。」と言っていた。キュラソー料理が恋しかったらしく、食堂でトゥトゥを食べながら「幸せ」と。

 

ママさんはフンチを相当気に入り、その女性にフンチのレシピを教えて欲しいと頼み込んでいた。ラテンアメリカの人にとってトウモロコシの粉の料理は、小麦粉を使う料理よりも馴染みが深いのかもしれない。

 

にしてもキュラソー人は他国で生活しがち。特にオランダ領ということを利用できるため、他のラテンアメリカ人よりも簡単に先進国での生活を手にすることができる。キュラソーとオランダは直行便があるため、行き来もしやすい。もしかしたら私が数週間前にオランダに行った時、キュラソーで生まれた人とすれ違っていたかもしれない。世界は広いようで狭いような。いずれにしろ「カリブ海の楽園」と呼ばれる島のダークサイドを知ってしまった。(この話はまたそのうち書く。)

 

この後も観光をしたので次回に続く…

 

何橋って名前だったけ。

 

 

【世界一周】#22 大好きな人たちに会いに行く旅 〜キュラソー編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

キュラソーに着いた夜の続きから。

 

キュラソーのスーパー

私たちの宿泊しているホテルは、そこまで大きくはないが欧米っぽい(近代的な)スーパーが隣接していたため、そこに買い出しに行く。「Van den Tweel」という名のスーパーは、アルバの愛想の悪い「スーパーフェンウェイ」とは違い、バーコードのスキャンができるし、ベルトコンベアで商品が流れていく。その近代感に島っぽさがなくて残念だったり。

至って普通のスーパー。Tony's chocolonelyはオランダのチョコのため、ちゃんと売られていた。あとハイネケンもたくさん売られており、その辺はオランダを感じる。

パンやオレンジジュースなどを購入してホテルに戻った。ママさんとドーナおばさんは、キュラソーのビールにすごい度数のお酒(興味なくてなんだったか記憶にない笑)を買い、ホテルで飲み会が始まる。2人ともすごい酔って大変だった(汗)ママさんが酔っているところをあまり見たことがなかったのだが、酔うと人に絡むめんどくっさいタイプだった…(苦笑)

PUNDAとはキュラソーの中心部の地名を指している

地球の裏側で聞こえた日本語

ママさんがふとテレビをつけた。ママさんはテレビが大好き。ラテンアメリカでは毎日24時間、何かしらの映画を流しているチャンネルがあり、それをパナマでも見ている。

 

その時、日本語が聞こえた。まさかね。こんな世界の果てで日本語が聞こえるわけがない。「空耳日本語」だと思った。でもちゃんと聞こえてくる。えっ。まさか、まさか、邦画?

 

と言いたいところだが、邦画ではなく「Bullet Train(2022)」。ブラッドピッドが主演で話題になった、新幹線が舞台の作品だった。一部日本語だが基本的には英語。たまたま日本語の部分が聞こえただけだった。それでも地球の裏で聞く日本語は少しだけ私をホームシックにさせた。

 

スペインでベスフレとバイバイしてから、日本語を一言も発していない。インスタは日本語でキャプションを書くし、Yahoo!ニュースを読むし、日本語に触れない生活をしているわけではない。ただ日本語を聞いたり、話したりしていないだけなのだが、変な感じがしてしまう。(これについてはそのうちまた書く。)

 

…そんな話はどうでも良くて、そういえば、なぜかキュラソーのホテルのテレビは白黒だった。一瞬その映画が白黒なのかと思ったが、そんなことはなかった。カラーがない世界に慣れるのに時間がかかった。

 

キュラソー問題

キュラソーのホテルはお湯が使えたので私は感動である(拍手喝采)。久しぶりに文明に触れ、これだけで私のQOLは爆上がり。さすがブッキングドットコムで星7.5のホテル。

 

さて。るんるんでシャワーから上がり、ドライヤーで髪を乾かそうと電圧を調べたが、ろくな情報が出てこない。110Vという情報もあれば、220Vという話もあり、「まあアルバと一緒やろ」とテキトー女発動。アルバが110Vで使えていたため、110Vにして使用した瞬間、

 

火が出た。

 

ワラワラワラ

 

髪の毛に引火していたら大騒動だったと思う。昨日刺さったサンゴの小枝よりやばい。怖かった。…今後ドライヤーの電圧は一生テキトーに設定しません!!!分からない時は大きい電圧で使ってみて、威力が弱かったり音がいつもと違えば小さい方に変えれば良い話。皆様もお気を付けください…。

 

テレビが白黒で、電圧に関する情報が混在(実際にバラバラなのだと思う)している以外にも、思い返せばキュラソーは電気系に関して問題だらけだった。

 

まず、Wi-Fiが非常に弱い件。私たちのホテルに限らず、空港もWi-Fiが弱く、インスタで他人の投稿を見たりすることができなかった。まあ、Wi-Fiが弱いおかげでママさんとドーナおばさんの恒例、「パナマの知り合いと長電話」が短縮された(喜)

 

また、電源プラグのタイプが混在している。電源プラグ(コンセントの形)は国の中で統一されていると普通考えるが、調べてみると、キュラソーのように統一されていない国も世界にはあるらしい。キュラソーでは私が見ただけで3タイプ使われていたため、全ての形に変形できるマルチなやつを持っていった方が良い。空港では様々なタイプの電源プラグがあったが、私たちのホテルは1タイプしかなく、それがヨーロッパと同じBタイプだった。世界一周中の私は偶然変換プラグを持ち合わせていたが、ママさんたちは持っていなかったため大変だった。

 

キュラソー電気屋に行ったら、Aタイプの掃除機、Bタイプの掃除機などコンセントのタイプ別に家電が売られているのだろうか…。ただただ不便でしかない。

 

取り急ぎ、キュラソーに来て数時間で分かったこの国の現状である。

白黒のテレビ。てかちっさ。

キュラソーとは

さて、せっかくなのでキュラソーについて紹介しようと思う。

アルバの時のリメイク版。

キュラソー。アルバと同じくオランダ領でABC諸島の「C」を構成する。

 

首都はウィレムスタット。面積は444㎢で種子島とほぼ同じくらい。人口は15万人で面積が大きい分人口もアルバより多い。言語はアルバと同じで、通貨はアンティルギルダーという話だが、実際はアルバのフロリンが使われており(謎)、アルバと同じくドルでの支払いも可能。

 

大航海時代以降、ヨーロッパ人は新大陸へ航海するようになったが、当時はビタミンC不足で壊血病になり、航海中に亡くなる人も多かった。しかし、キュラソーに寄ると、ビタミンCを含む果実を食べることで病気が治ったため、スペイン人が「治癒の島」という意味の「Isla de la Curación」と呼んだことからキュラソーと名付けられたとされている。(英語でも「治す」は「Cure」)

 

私はオランダ語を知らないので、オランダ語の発音が「キュラソー」に近いのかよく知らないが、英語では「Curacao」、スペイン語では「Curazao」と書き、両者とも「クラサオ」と読む。(とはいえ、私は永遠に「キュラソー」と発音していたが、ママさんは理解してくれたので、文脈があれば「キュラソー」で通じる。)

 

本当のスペルは「Curaçao」で、フランス語に使う「ç(セディーユ)」が使われる。(ニョロっとしたのがないと、カ行の音になってしまう。)昔はスペイン語にもセディーユがあったため、その名残だと思うが、現在この文字を使うのはフランス語以外にポルトガル語カタルーニャ語だけらしい。

 

キュラソーはこの日1時間ほどドライブした印象として、アルバよりも活気がないことが分かった。観光客も少なく、島自体が大きいため、荒野の部分も多い。全体的にアルバのような華やかさや、先進的な感じはなく、田舎…というか、寂れた街という感じだった。

 

隣の部屋のお姉さんが言っていたことを思い出す。

 

キュラソーには仕事がない。」

 

調べてみるとキュラソーの失業率は13%にも上る。これはラテンアメリカで最も高い値の1つ。

 

しかし名前的にはアルバよりもキュラソーの方が有名だと思う。その理由の1つが、野球のバレンティン選手がキュラソー出身ということ。こんな地球の裏側からはるばる日本に来てプレイしていたのね…。

 

それから、お酒の産地として知られている。キュラソー酒はラム酒キュラソー産のオレンジを用いたリキュールである。お酒は別にそこまで興味ないが、コナンが好きで、黒の組織のコードネームにお酒の名前を使用しているので、それで知っている。(確か、キュラソーは数年前の映画に出てきたっきり、死んでしまったのだと記憶している。)

 

この次の日にキュラソーの中心地を観光したため、次のブログで詳しく書こうと思う。

 

書きながら…

この調子だと6月中に書き切ることができない気がしている…(泣)学校は休みだが、毎日やることだらけ。そんな日々に思う。この、旅行している時に戻りたいと。遠くに行きたい。現実逃避したい。本当にやりたいことが何かわからず、「とりあえず」で進んでいる気がして、そんな中途半端な気持ちを、ウソが苦手な私は隠せなくて。「とりあえず」と「みんながそうしているから」で選んだ道は、私には絶対耐えられないとこれまでの人生ですでに学んでいるのに。それでも他の道に進む勇気が私にはないからどうしたものか、と悩む6月です。

 

キュラソーとアルバの旅はこれまでの人生の中で、最もワクワクした瞬間の1つだったな、と思う。

 

【世界一周】#21 大好きな人たちに会いに行く旅 〜アルバ&キュラソー編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマアルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

アルバ4日目後編

 

アルバ出国

ディビディビのカウンターでチェックインをする。アルバの空港はいくつかのパートに分かれて建物があるため、チェックインをしたら一度建物を出て隣の建物で出国審査を受ける。出国に大した審査はなく、これまた世界一ゆとりのある(ひまそうな)仕事だった。

 

その後の荷物検査は大行列。これは個人的な感覚だが、私的にアルバの空港は若干差別的だと思う。出発ターミナルが2つあり、1つは私が今日まで何度も来ている建物「Non-USA」ターミナル。そしてもう1つが「USA」ターミナル。つまりアルバの空港は、アメリカ人(もしくはアメリカ経由の人々)とそれ以外でターミナルが異なる。

 

「第1世界の人たちと、それ以外=ファストパスと、それ以外」という式を勝手に成り立たせてしまうのは私の問題。アメリカからの観光客がほとんどのため、人数が多いということを考えれば別に差別でもなんでもないのだと思う。その「USA」ターミナルを使う人々と、それ以外が交わるのが、この荷物検査所。おかげで大混雑。

 

そこを通り抜けるとゲートがあり、キュラソー行きの前にはすでに数人の客が待っていた。無事に到着しますように以外の思考回路が停止している私(笑)

ゲートAが普通の国際線。ゲートBはキュラソーやボネール線。

搭乗時間はボーディングパスに印刷されているが、あってないようなもん。飛行機の出発時間30分前に(ふらっと現れた)職員がゲートを開け、乗客をバスに乗せて行く。このバスは、キュラソーからアルバに今到着した人々が乗っているので、ちょうど入れ違いになる形。

 

ディビディビフライト

どんな小さい飛行機かと覚悟はしていたが、実際は想像の1/5。ほぼプライベートジェットのような大きさで、乗客は10人もいなかった。(この時点で恐怖120%。)数段しかない階段を登りながらチケットで席を確認したら、まさかの「Seat: Free」。自由席の飛行機は初めてすぎる。客室乗務員もいない。もちろん機内サービスもなし。

このサイズ。

この飛行機は天井が低いので屈んで進む。ほぼ身動きは取れない。15人くらいは乗れる機体だったため、空席があり、私とママさんは2人席を1人で使った。通路を挟んで隣の1人席にはヘッドホンをしてスマホをしている青年が座った。慣れている様子だったので現地の人だと思う。

 

パイロット(操縦士と副操縦士)は普通の飛行機と同じく2人だが、コックピットが客席から丸見え。出発の前にギリギリ聞こえないアナウンスがあり、滑走路へと移動。パイロットが天井に着いているレバーを2人で引き始め、「こんなおもちゃみたいな仕組みで飛ぶのか?」と不安になるが、飛行機はちゃんとスピードをあげる。普通の飛行機は滑走距離がかなり長く、浮くときも頑張って(?)浮いている感じがするが、このミニ飛行機は滑走時間が本当に短く、頑張って浮くというよりも、軽すぎてふわっと浮いてしまうような感覚で飛べる。一瞬で高度を上げてゆく感じ、一周まわって怖くないかもしれない。

機内。思い出してみるとこの金髪のお姉さんめちゃくちゃビビリで悲鳴やばかったし、一番前のカップルは飛行中永遠にキスしてた🔞

何度も書くように、この辺りの貿易風は常に東から西へと吹いている。飛行機は向かい風で揚力を得やすいため、アルバの空港の滑走路はもちろん西から東に向かって離着陸が行われる。キュラソーはアルバから見て東に位置するため、離陸後は旋回する必要もなく、ただ真っ直ぐ飛ぶだけ。

 

飛行機が小さい分、風の影響を受けやすく、気流によっては数メートル落下する感覚を味わう。その度に乗客が悲鳴をあげ、飛行機が安定すると笑いが起きる機内は、さすがラテンアメリカという感じがした。もはやディズニーのアトラクション(タワテラ)。私たち以外の乗客はほとんどが観光客のカップルで、ビビったり笑ったり情緒不安定。逆サイドに座るドーナおばさんも恐怖で顔が引きつっていたので、何度か2人でアイコンタクトを取り合った。さて、そんな中衝撃だったのは、もちろんうちのママさん。この揺れの中爆睡。あの人、人生何周目??^ ^

心配性ガチ勢の私。

たった30分のフライトが2時間くらいに感じた。こんな大海原で、こんな世界の果てで、こんな小さい飛行機が墜落しても絶対助けは来ない。搭乗名簿もちゃんと管理してるのか怪しいし、日本人が乗っていたなんていう噂が日本に届くのは1週間後かもしれない。日本政府が把握したところで、こんな最果ての島まで捜索隊は来ないし。だからお願い死にたくないから無事に着いて。

 

ようやくキュラソーが見えてくる。海岸がターコイズブルーというか、なにブルーというか、「地球の青」というか、とにかく綺麗すぎた。

加工とか一切なしです。

Google Mapを見るのが好きで、指一本で世界中の旅気分を味わっていたが、カリブ海には人工色?と思うほど美しい色の海がたくさんあった。上空から見てこんなに綺麗な色のことはないだろうと、まともに信じていなかったが本当にあの色をしていた。空の上から。えぐいえぐいと思いつつ脳内の大部分は「早く降ろして」^ ^

キュラソー全体(これも加工なし)

ゆっくりと降下してゆく。離陸の時飛びやすく感じた分、着陸時は浮いてしまうのかなかなか地面に着かない。でももう救助される確率が高まったので安心だ。着陸すると拍手が起きる。「ちゃんと着いてしまった、」

 

ウェルカムトゥーキュラソー

バスで空港に入り、入国審査を受ける。キュラソーも入国にはオンラインの事前登録が必要だが、アルバの時の反省を活かして終わらせておいた私たち。すぐにレンタカー屋に向かう。アルバの時の反省を活かしてこちらもすでに予約済みだ。

 

予約していた割に手続きにかなり時間を取った。私はお金がないのでATM探し。空港のお姉さんにATMの場所を聞くと、「あっちの方だけど…分かりにくいから一緒に行くわ。」と言ってついて来てくれた。どこから来たのか聞かれて「ジャパン」と言うと本気で驚かれた。なんかキュラソーの人優しい気がする。

 

キュラソーの通貨である「なんちゃらギルダー」はいらないので、ドルが欲しいのだが、ATMが言うことを聞かない。諦めて現金なしで生活しよ〜っ。

 

さて、ママさんの車の運転がある意味で神っている話はどこかでしただろうか…。うちのママさんはパナマで高速道路だろうとどこだろうと、160km /hくらいで爆走する。それでいて罰金はあるが(流石に)、交通事故にはあったことがないから運転が上手いということにしてる。

 

ところがママさんは肝心の運転免許をパナマに置いて来たらしく、運転はドーナおばさんが任された。(私も日本の運転免許証を取り出したが、2人から静かに断られた^ ^)(私の運転を怖がるのは世界共通案件なのナニ?^ ^)

※ちなみにキュラソーやアルバで日本人(アルファベットを使用しない国の人)が運転する場合、国際免許は不要だが、オフィシャルに免許を翻訳した書類が必要らしい。パナマスペイン語のため、自国の免許があれば運転することができる。

 

ホテルは島の反対側にあるため、空港から1時間ほどのドライブ。ナビなし、ネットなしで頼れるのはレンタカー屋でもらった紙の地図…と言いたいところだが、そんなものよりも頼れるのは陽キャおばけのラテンアメリカ人。車の窓をせこせこと開け、通行人に次から次へと質問。なんて効率の良いこと(感心)。

キュラソードライブ

ドライブ中、中国人のお店であろう看板をいくつか見つけた。こんな世界の果てまで進出している中国人て…。ここに日本人が住んでいたら、辺鄙な場所に住む日本人を訪ねる某番組で取り上げられるだろうな〜。しかも調査員は絶対最初オランダに飛ばされて、「キュラソー?それはカリブ海の島だよ?」と言われるオチまで予測しちゃう。(分かる人には分かる話。)(よく友達に「いつか出演するっしょ。」と言われていたけど、出演する前にコロナであの番組自体見なくなったなあ。)

とかなんとか言ってるけど結局爆睡してた人。

宿泊施設に着いたのは夜6時半。キュラソーではリゾートホテルに泊まる。外観で分かる、良き良きなクオリティ。1つの建物ではなく、コテージのような小さな家がいくつもあり、そのうちの1部屋を貸し切れるようなタイプのホテルをなんて言うんだっけ、と思い調べたら、「villa」、日本語でも「ヴィラ」と言うらしい。全くピンと来なかったのでそういうタイプのホテルでした、ということで。

つまりこういうこと。

鍵をもらってコテージの前にレンタカーを泊める。1つのコテージに4部屋付いており、私たちは2階の部屋だった。アナログな鍵をさしてガチャガチャするが全然開かない。「フロントの人、鍵間違えたよね。」「絶対間違えたわこれ」となった私たちは、なぜか隣の部屋に鍵をさしてガチャガチャ。すると中から黒人のお姉さんが出てきた。「何してるのよあなたたち?!」と若干おこ。

 

考えてみると自分の部屋の鍵が何者かに勝手に開けられそうになったら恐怖なわけで(苦笑)事情を説明すると安心したお姉さん。鍵のさし方を教えてくれた(案外スッと開いたので、さっきまでの苦労はなんだったのかとこちらもびっくり)。聞けばお姉さんはキュラソー生まれキュラソー育ちのオランダ住み。今はバケーションでキュラソーに「帰省」しているらしい。「キュラソーには仕事がないから。それよりあなたたちが今日から私のお隣さんね。よろしく。」と。ドラマのような展開はないが(勝手にエミリーインパリスな世界線を妄想した私)、キュラソー生まれでオランダ住みは興味深い。

 

この後近くのスーパーに行ったが、その話とキュラソー紹介は次の記事に書こうと思う。

キュラソーで借りた車。日本はナンバーにJAPANって入れないけど、南北アメリカのナンバーには国名が絶対入っている。(多分)

これが例のボーディングパス。デザインは可愛い。自由席は衝撃。