Serenita

感情の消化。

【世界一周】#34 大好きな人たちに会いに行く旅 〜パナマ→アメリカ編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

パナマからヒューストンに向かっている途中から。

 

ストームの中着陸

この飛行機に乗る前、私はアメリカのステイ先の家族と連絡をとっていた。その時に「今日は天気が悪かったけど、良くなってきているわ。」と言われた。車社会なんだから、天気なんて関係ないよな〜と思ったくらいだったが、関係大有りだった。

 

この日、テキサスやルイジアナにはストーム(なんと訳すのだろう)が襲来していた。特に夕方以降竜巻や突風が観測され、雨もすごかったらしい。この影響で国内線は400便以上が欠航、州内の学校は午後から臨時休校となり、広い範囲で停電が発生した。…もちろん、これらは全て、後日知った話である。

edition.cnn.com

↑ニュースにもなっていた

 

メキシコ湾通過中すでに揺れが多い印象ではあったが、着陸前のアナウンスで、ヒューストン近郊が悪天候であること、着陸時に強い揺れが予測されるため、シートベルトをきつく締め、席を立たないことが呼びかけられた。私はここで初めてストームのことを知ったが、それでもピンときていなかった。しかしわりとすぐに現実的になる。暴風のため、着陸許可がおりず30分ほど旋回を繰り返した。その最中もわりと揺れる。そしていよいよ着陸という瞬間はもうもうもう(🐄)、風に煽られ左側に大きく傾きながらなんとか生還。

 

ディビディビ言うてる場合ちゃうわと思ったくらい、死ぬかと思った。

 

アメリカに入国

ここから国内線でダラス・フォートワース(以下DFW)へ行く。乗り換えの時間は2時間弱あったのだが、この着陸待ちのせいで遅延し、残りは1時間ちょっとになっていた。この後もユナイテッドエアを利用するのに、なぜか荷物のピックアップもしなければならないらしい。事前にダウンロードしておいたユナイテッドエアのアプリが乗り継ぎ時間をカウントダウンしてくれていた。

 

1番タイムロスだったのは入国審査。開いている窓口が少なかったのと、同じ飛行機に乗っていた外国人がほとんどラテンアメリカだったため、移民問題を抱えるアメリカでは審査が厳しい。あっちこっち色んな列をたらい回しにされ、ようやく私の番。久しぶりに英語圏のため、言語能力的に上に立つことができないもどかしさを感じながら、数個の質問をクリアし、荷物へダッシュ

 

再び荷物を預けるところは意外とすぐに見つかった。急いで荷物検査を受け、確かターミナルも移動したと思うが…詳しい記憶が残っていない。とにかくヒューストンの空港は巨大で近代的だった。日本料理を含めた様々な国のレストランがあり、1席に1台iPadが置かれている。ああ〜アメリカだな〜と思った。トイレに行くと、トイレットペーパーを捨てる用の巨大なゴミ箱がなくなり、ああ〜もう流せる世界か〜と思う。(ラテンアメリカは流せないので、ゴミ箱に捨てるのが普通。)

 

ゲートにたどり着くと同時に搭乗が始まった。間に合った〜〜〜(安心)。すぐに搭乗。機内は狭く、3列シートが2列のタイプだった。この日DFWへ向かう最終便だったが、ストームで欠航になった便の乗客も乗せていたため満席だった。私は通路側で、隣は南アジア系の男性だった。

地理関係はこんな感じ



恐ろしいフライト

着席後もなかなか動かないし、窓には雨が打ち付ける状況で、薄々勘付いてはいたが、この時ストームの影響で飛行機は離陸許可待ちの状態だった。機内はとても静かだったが、私の席の後ろに座っていた10代〜20代の女の子2人の会話から、不安なのが伝わってきた。みんな声に出さないだけで、かなり不安だったと思う。

 

そこに機長から早速アナウンスが入った。先に書いておくと、このアナウンスが非常におもしろく、とってもアメリカンだったことを私は一生忘れないと思う。

 

「みなさん、本日は悪天候による欠航や遅延、それに伴う空港の混乱にご理解いただきありがとうございます。さて、当便はストームを避けて飛行するため、航路を変更します。我々はまず北へ飛び、その後西へ行き、そして東へ飛んで、南に行きます。

 

ここで機内大爆笑。

 

「また、空港の混雑と航路の変更に伴い、通常より30分長いフライト時間を予定しております。客室乗務員の安全確保のため、いかなるサービスも行いません。離着陸時はひどい揺れが想定されます。特に着陸時はbumpyですから、みなさん楽しんでください!!

 

ここで機内再び大爆笑。

 

このアメリカ人の大らかさというか、ユーモア溢れる国民性というか、粋なところというか。本当に本当に素敵だなあと思った。特に今不安を抱いている乗客に対して、ものすごく安心させてくれるような、人間味のある声を臨機応変にかけてくれるところは、本当にアメリカ人の良さだと思う。きっと日本なら、業務的な放送があるのみで、声のトーンも真面目な感じだろう。ついでにラテンアメリカなら…乗客がわーきゃー騒ぐパターンだ。機長のアナウンスなんか聞こえない。()

 

とにかく、このアナウンスのおかげで、私はこの機長を信頼しようと思った。この人になら任せられる。

 

こうやって信頼は獲得されるんだな〜。

 

いざ、離陸。

結局90分も飛行機の中で待機させられ、離陸の順番が回ってきたのは23時すぎだったと思う。恐怖もあったが、睡魔もやばい。そんな中離陸した。離陸の揺れは凄まじく、右に揺れ左に揺れ、飛んだ後は機内後方で何かが落ちる音がしたり、カオスだった。隣の南アジア系の男性と目を合わせて怯えたほど。

 

同じ州内とはいえ、ヒューストンからDFWまでは1時間ほどかかる。日本で言ったら東京から大阪の距離感だ。ストーム迂回でプラス30分の飛行時間、睡魔と恐怖との戦いだった。

 

迂回したおかげか、安定しているところもあったのだが、安心したのはつかの間、着陸体勢に入った。機長は再びアナウンスで、着陸の揺れに気をつけるよう促す。もう私は手に汗を握っていたが、この機長なら信頼できた。ついでにヒューストンへの着陸で死にかけたので、この着陸はマシだったと思う。着陸した瞬間、後ろの女の子たちも安心したのか、笑い声が聞こえてきた。

 

私はすぐにママさんと、アメリカでステイする友達に連絡した。すでに日付を超えた24時半ごろだったと思うが、ママさんは私が連絡するまで起きていたらしい。「ラジオでストームが来てるって聞いたから心配してたよ!!」と言う。不安でカチコチだった心がやんわり溶けた。

 

すでに入国済みのため、DFWでは荷物をピックアップしてすぐにステイ先の友人と再会することができた。

 

ついにアメリカ編!!

ここからいよいよアメリカ編である。もう着いて早々にアメリカをたくさん感じた。

 

アメリカ本土に来るのは9年ぶり。この友人との再会も9年ぶり。その9年前に来たのがこのDFW。ちなみにDFWのDはダラス、FWはフォートワースであることはお分かりだろうが、この2つの都市の間にある空港なのでDFWと名付けられている。私がステイするのはFWの方。

 

テキサス州の最大都市はヒューストンで人口は230万人。日本で言ったら名古屋市くらいである。次いでサン・アントニオ。そして3番目に大きいのがダラス、4番目がオースティン、5番目がフォートワース(FW)となっている。後日会ったFW出身の友達によれば、テキサスではオースティンが若者が住むには1番楽しい街なんだとか。「ダラスも良いけど〜オースティンしか勝たん」的な言い方だった。FW在住者/出身者は皆口を揃えて、「FWは何もないからつまんない。」と言う。^ ^

 

そもそもテキサスなんもないじゃん〜という話だが、アメリカのGDPの内訳でいくと、カルフォルニアに次いで2番目の貢献をしているテキサス。まあ、カルフォルニアについでアメリカで人口が2番目に多い州ということでもある。約3000万人弱いるので、州の規模が半端ない。無論面積もぶっ飛んでいる。69万5000㎢というのは、日本の1.8倍。どんな数字を比べてもアメリカだなあと思う。

このサイズ。

 

ここからの方針

ここから先をどんな感じで書いていくかまだ悩み中なのだが、毎日の記録というよりかは、印象に残っている出来事をいくつかに分けて書いていこうと思っている。というのも、私はアメリカで特に何もしていない(笑)究極に暇だった。いや、良い意味で。旅の疲れを取り、日本で生きていくために良いリハビリ期間となった。

 

私は言語に興味があるから、私の気付きは言語に関することが多いと思うが、看護学部の授業に潜入した話や、テキサスで移民として暮らす家族の人生などおもしろいと思ったことをピックアップしようと思っている。

 

引き続きボチボチと書いていこうと思いますのでよろしくお願いします。(ぺこ)

 

 

 

【参考文献】

www.texas-demographics.com

www.mylifeelsewhere.com

www.tourtexas.com

【世界一周】#33 大好きな人たちに会いに行く旅 〜パナマ→アメリカ〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

今回はパナマからアメリカへ行く日の記録ですが、色々ありすぎてアメリカにはたどり着かない…あと泣きすぎてほとんど写真を撮っていない…

 

久しぶりの日本人!

朝起きて、いつも通り電気ケトルで熱湯を沸かす。バケツにくんだ冷水に慎重に注ぎ、適温のお湯を作ってシャワー…というか、桶ですくいながらお湯を浴びる。この原始的な習慣ももう最後。これが最後。この不便さがなんだか名残惜しい。

 

と、リビングの方から騒がしい声がする。あ、もしかして。

 

ママさんは私の後に留学生を2人受け入れており、私のすぐ次の年にタイ人の女の子、そしてその次の年に日本人の女の子が、この家で暮らしていた。そのうち日本人の子が、同じように春休みを使ってパナマに遊びに来ているらしく、ママさんに会いに来ると言っていた。

 

私は慌ててお湯浴び(?)を終わらせ、テキトーに服を着て髪を乾かし、リビングに行くと、なぜか初日から会っているママさんのお友達のティルシアおばさんがいた。予想外の来客でおお〜と思っていると、その隣に日本人の子がいた!!その子について勝手に書くのはあれなので、Mちゃんとする。(匿名化がいかにも看護学生^ ^)

 

Mちゃんは私よりも数個年下で、ママさんから話を聞いたり、インスタで繋がってはいるものの、話したことはほぼない。実際に会ったことすらないので、このときが初対面。

 

けれども考えてみれば私は、2週間前にスペインでベスフレとばいばいして以降、日本語を発していない。日本語でインスタやヤフーニュースを読むし、日本語のYouTubeを見るし、日本語で日記を書き、もちろん日本語で考える。ただ、人を目の前にして日本語を話していない。すると2週間とはいえ、日本語でのコミュニケーション能力が衰え、Mちゃんを前に「はじめまして」という言葉が出てこない。

 

私:初対面〜!!!って時の言葉ってなんて言うんでしたっけ〜〜(汗汗汗)

 

という感じの第一声で、正直逆の立場なら「なんだこいつ」案件。

 

人見知りの私とは違い、Mちゃんはとても社交的で明るい子だった。ママさんと英語でしか話さない私とは違い、スペイン語でばんばん話しちゃうところもすごかった。ティルシアおばさんを前に2人で話が尽きず、おばさんの理解しない日本語で話続けることに罪悪感すら覚えた。

 

ママさんがダウンタウンに用事を済ませに行くと言って出て行ったので、私たちはエアコンが効いている部屋に移動し語り尽くす。最初は日本語での会話がぎこちなく、日本語で話していることが変な感じだった。

 

よく、日本語を忘れたり混ざったりしないのか聞かれるけど、忘れたり、混ざったりということ以上に、日本語で話していることに違和感を感じる。

 

Mちゃんはパワフルで、この日家まで、パナマ2日目あたりに紹介したあの治安の悪いバスに1人で乗ってきたらしい。しかも腕にApple Watchを付けたまま!!私には絶対できない(し、絶対真似しないほうが良い笑)。彼女は今友達の家にステイしているらしく、かなり長期でパナマに滞在すると言う。

 

私たちが1番盛り上がったのは、ぶっ飛び最強ママさんの話(笑)だが、それだけに限らず、経験した私たちにしか分からない気持ちってやっぱりあって、留学中も留学後も色々な話を人にしてきたが、いまいち上手く伝えることができなかった。それなのに、Mちゃんが言うこと全てを理解できて、私が言うこと全てに共感してもらえて、こんなに私の話を理解してくれる人がこの世界にいたのかと、本当に本当に嬉しかった。

 

あまりパーソナルな話はここには書かないが、例えば水道水について(笑)前にも書いた通り、パナマの水道水は飲めるのだが、泥の臭いがひどくて私は飲めない。ただ、それは私のわがままだと思っていた。しかしMちゃんが、「水道水臭すぎて飲めないですよね。パナマ人はみんな飲めるって言うけど、絶対飲めないからペットボトル買ってます。」と言うから本当に安心してしまった(笑)もう本当に、初めての理解者だった。

 

ママさんが用事を済ませて帰ってくると、私たちにお土産としてエンパナダス(餃子10倍のやつ)を買ってきてくれた。これに関しては前に書いた通り、中身が少なすぎて別にそこまで好きではない。するとMちゃんも全く同じことを言っていてもう…嬉しすぎた。

 

彼女もパナマでは私と同じ高校に通っていたので、初対面なのに次々と出てくる共通の話題で私たちは一瞬で仲良くなった。彼女以上に私の留学生活を理解してくれる人は誰もいないだろう。

両端がママさんの従姉妹、真ん中がママさん、左隣がMちゃんで右隣が私。パナマの家族。

そんなこんなで12時に私たちは家を出て、パナマシティの空港に向かった。Mちゃんも空港まで来てくれるらしい。空港への道中、彼女は私の肩で大爆睡だった。確かこの日、理由は忘れてしまったが、彼女はほぼ寝ていないと言っていた。とはいえ、初対面の年上の人の肩で爆睡できる彼女、めちゃくちゃぶっ飛んでいて、理解者云々の前に、似た者同士な気がした(笑)(ちなみにぶっ飛びエピソードを書いておくと、彼女は留学中パナマで虫歯になったり、カミソリでざっくり切って出血が止まらない手を、上に挙げて寝るという原始的な方法で止血したらしい笑)

 

追加ネタだが、パナマシティまでは高速道路を使った。パナマにも日本のETCのようなシステムがあり、その名も「panapass」と言う。しかしそいつが全然反応しないので、料金所近くの事務所に寄ることに。そんで判明したのは、パナパスは車に取り付ける側の機械が特別な電池式という不便さで(多分日本のは車から電源を取れる)、バッテリー切れだったらしい。交換25$也。ETCと同じようなシステムだと思ってたけど、後先考えずに導入しがちなのがパナマ…。

 

空港で

今回私はアメリカ・テキサス州ダラス・フォートワース(以下DFW)までユナイテッドエアを利用する。パナマからDFWまでの直行便はないので、同じくテキサス州のヒューストンで国内線に乗り換える予定。

 

ユナイテッドエアのカウンターでチェックインをし、滞在先の住所など詳しく聞かれた。あまりにも質問が多いのでママさんが、「アメリカはあなたの入国を歓迎してないわ。パナマにいなさい。」と言う(苦笑)私も、これからアメリカに行く実感が全く湧かない。

 

パナマの空港は拡張中で、近々T1には飲食店などができるらしい。私が知らない間にどんどん発展していくんだろうな。昔来た時、次来た時にはどこか分からないくらい発展しているのだろうと思った。それはある意味で正しかった。コロン県のスラムに住む人は、新しい土地に移動されたし、メトロは拡張されたし。でもこの8年間で思ったのは、国の発展には時間がかかるということ。1つの課題をクリアしたら、そこから新たな問題が生まれる。ロシアとウクライナの戦争や、ベネズエラ難民といった周りの国の情勢にも影響を受ける。便利で快適で魅力的な国を作るということや、貧困が減るということは、人生のスパンくらい大きな時間の流れの中で捉えなければいけないのだと思った。

 

しばらく写真を撮ったり、Mちゃんとおしゃべりをして過ごした。Mちゃんとママさんはこのあとも一緒に過ごす予定があるらしく、私の出発待ちということで、待たせているのも申し訳ないので中に入ることにした。

 

出国審査前のところでお別れなのだが、ここで私は涙が止まらず、この文章を書いている今も、思い出したら涙が出てくる。

 

…ママさんとはぶつかることもあるけれど、やっぱり私にとって特別な存在だった。ママさんのことが、心から好きだと思った。それからパナマのことも。

 

私は、ママさんが泣いているところを見たことがなかった。でもこの時ママさんも泣いていた。そして従姉妹の2人も、声を詰まらせて「元気でね、また来なよ」と言っている。ああどうしよう、どうしてこんなに遠いところに大切な人たちがいるんだろう。

 

Mちゃんだけは(もちろん)冷静で(笑)、早く行った方が良いと思い、私は出国審査を受けて荷物検査のエリアに進んだ。号泣している私を不思議がりながら、パナマの空港職員は優しく接してくれた。そこを抜けると、ガラス張りの2階部分からみんなが見える。ここでも涙が止まらず、ずっと私は泣いていた。Mちゃんだけは笑顔で手を振っていた。いつまでもこうしているわけにはいかないから、前に進もう。

 

バイバイ。

 

だいすきだよ。

 

ばいばい❤︎

向こう視点だとこんな感じ。

搭乗口前でも

パナマの空港はどういう訳か、アメリカ行きの便だけ搭乗口前でも荷物検査を受けなければならない。ここでも受けるならさっきの検査はなんだったのだろう。

 

私が号泣しながら検査を受けていると、保安官の女性が「どうして泣いているの?何があったの?」と聞いてきた。「あ〜彼氏とお別れね??すぐに会えるじゃないまた〜!」と言ってくるので、彼氏との別れではないのと、日本に住んでいることを伝えると、「え?あなたパナマに住んでないの?」となぜか半信半疑。パスポートを見てようやく、「日本人なの?わ〜そっかそっか〜。それは辛いね。」と。

 

先ほどの検査は余裕で通過した私の荷物に何かがあったらしく、「中身を全部出すわね」と、お姉さんは隣の検査スペースに連れていく。私の荷物を漁りながら、前日に会った友人が、ピンクのテディベアをくれたのだが、それを見つけると「やっぱり〜彼氏がテディベアくれたのね?彼氏はパナマ人なのね?」と勝手に妄想が膨らむお姉さん。違うってば!!!!!!

 

事情を話すも、「テディベアはなによ?」と信じてくれない。そしてただただ荷物を全部出しただけで検査終了。このお姉さんの興味だったとしか思えないのだが。

 

お姉さんは最後に笑顔でこう言った。

 

「また会えるから、大丈夫。また戻ってくればいいじゃない、パナマに。」

 

またね、パナマ

搭乗時間まで私は泣いていた。涙が止まらなくて止まらなくて、自然に溢れてきてしまう。周りはすでに英語ネイティブの人ばかりだった。ほとんどがアメリカ人のようだ。私が泣いていても話しかけてくる人がいない。もうすでにアメリカだった。

 

こんなところからヒューストンに飛ぶ日本人は私だけかと思っていたが、驚くことにあと2人日本人が乗っていた。なぜ分かったかと言うと、その2人が呼び出されていたからだ。アナウンスで呼ばれている名前が日本人だったので、え?と思ったら、日本のパスポートを持ったビジネスマンっぽい男性が2人、私の前を通って行った。こんなところで泣いている日本人の20代女子がいると知ったら、きっと向こうの方が驚いたと思うが、彼らと関わることはなかった。

 

メッセージ

飛行機に乗る前に、ママさんにメッセージを送った。

 

「もう隣の人は私の手を握って(hold)くれないね。」

(彼女はアルバからパナマに帰る飛行機の中で、揺れがひどくて怯えている私の手を握ってくれた。)

 

すると彼女はこう返してくれた。

 

「私はあなたの心をずっと掴んで(hold)るよ。」

 

こんなことを言える女性に、私もなりたい。

 

機体はかなり大きく、3列シート×3列くらいの席数だったと思うが、泣きすぎていて記憶がほとんどない。窓際にアジア系の年配の女性が座っており、真ん中が空席で通路側が私の席だった。その女性に、「あの…息子にメッセージを送ってくれませんか?」と英語で声をかけられ、私は驚いた。聞くと彼女はスマホを持っていないので、息子に無事を伝えたいのだと言う。言われた通り私は彼の番号にメッセージを送った。…帰国後にこれが送れていなかったことに気づいたので(苦笑)申し訳ない。みんな色々な事情を抱えて、今この飛行機に乗っているんだろうな。

 

私は飛行中も涙が止まらず、何度も思い出しては泣いていた。ヒューストンまでは4時間ちょっとのフライト。呆然としながら、スマホにママさん宛のメッセージを打っていた。何行にもわたるメッセージには、思い出と感謝と愛を詰め込んだ。

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ずっとパナマ気分でいたくてキャミソール姿だったが、流石に寒いのと、周りがほぼみんな冬の格好をしていたので、私もトレーナーを着た。精神的にも、物理的にも、パナマがどんどん遠くなっていく。

 

4時間の国際線にも関わらず、食事の提供はなかった気がする。私はエンパナダスを昼に食べただけで空腹だった。さらにこの後、このフライトが人生で1番怖かったと明言できる案件が起きたのだが、その話は次回書こう。そのせいで、あんなにドラマチックに書いておきながら、実はアルバの揺れも、ディビディビのことも私の中ではインパクトが薄れてしまった。

 

 

P.S

Mちゃん、また会おうね❤︎

【世界一周】#32 大好きな人たちに会いに行く旅 〜再びパナマ編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

前回の続き。パナマ最終日編です。

 

パナマの薬局

私は東京で暮らしているので、普段車に乗らない生活だからか、今回の旅では乗り物酔いがひどい。酔い止めは持ってきているが、ここまでひどいとは思わず、足りなくなってしまった。これから車社会の国(アメリカ)に行くのに、薬なしではしんどいかもと思い、酔い止めを買いたいことを友人に伝えた。「酔い止め」というスペイン語が分からないので、「車に乗ると気分が悪くなるんだけど…その薬ってある?」と友人に尋ねると「Mareoの薬?」と言う。スペイン語で「乗り物酔い」は「Mareo(マレオ)」と言うらしい。車に酔いやすい私にとって、この単語は頻出重要単語すぎる。ありがとう親友ちゃん。

 

モールに入っている薬局の薬剤師が出してきたのは、ラテンアメリカ全体で売られている酔い止め「VIAJESAN」。スペイン語が分かる人はピンとくるかもしれないが、「Viaje」とはスペイン語で「旅行」を指す。上手く文字った商品名をつけるのは万国共通なのか(?)ちなみに私が買ったやつは「Hecho en Costa Rica」、つまりメイドイン・コスタリカだった。

 

パナマでは薬を1錠から販売してくれる。箱売りにしてしまうと、まとまったお金が必要になるが、1錠から売ることで、貧困層も必要なときに必要な分を買うことができる。1錠0.12$なので、日本円で15円くらいだろうか。非常に安い。何錠いるか聞かれたが、こういう買い方をしたことがないので迷う。とりあえず10錠買い、たった1.20$。錠剤をそのまま渡されるので、飲み方などの説明書がついてこないのは少し不安かもしれない。(まあ、付いてきたところでスペイン語なので読まないだろう。)

 

安すぎたので本当に効くのか半信半疑だったが、普通によく効いた。次にパナマに行ったらこの薬を爆買いする予定だ。値段だけでなく、飲みやすさもよかった。私はいつも酔い止めに「トラベルミン」を飲んでいるのだが、粒が大きすぎて飲むだけで吐きそうになる(誰か共感して)。それに比べてこのパナマの薬は本当に小さくて(直径5mmくらい)、飲みやすい。パナマ3回目にして1番役立つ発見。

比較。トラベルミンでかい…。

 

パナマのスーパー探索

続いてスーパーに行った。何度か行く機会はあったが、毎回ママさんかママさんのいとこと一緒で、お目当の物を買ったらすぐに出てしまうので、考えてみるとあまり詳しくスーパーを巡ったことがない。ただ各国のスーパーを見るのは海外で楽しいことの1つ。ここからは写真とキャプションでどうぞ。

こちらが私の嫌いなジュカ(キャッサバ)さん。右にあるのが緑のバナナ、スペイン語では「Platanos(プラタノス)」と言う。

パパイヤ。1kg1.49$だけど、1つ1つが重そう。大体パナマの野菜やフルーツは量り売り。

オレンジは輸入品だからか値段が高め(?)アボカドは立派だし安い。

これはもやしとか。輸入商品はどうしても高い。

パナマではこんな感じの袋が売っていて、これでジュースを作ることが多い。

おまけ。謎すぎる「片付け」。何を翻訳したらこうなった…その下の「暗い魂」もワロタ

このスーパーで私はサンコチョの素を買った。素が売られていることを知らなかったが、これで日本でもサンコチョを作れる。ちょうど夏ですから。

それから配るお土産に調理用バナナチップスも買った。エクアドル産なのでパナマのものではないのだが、パナマでもよく食べるので…。パナマは国の規模が小さく、自国で生産しているものはほとんどないと思う。

美味しかったので中南米土産に迷ったらこれです。

 

ちなみに何度か登場したダイソン製のハンドドライヤーはこれです。超良い。

 

最初に待ち合わせしていたアルタ・プラザ・モール。比較的新しい。

 

あっという間の別れ

こうしてあっという間に1日が過ぎてしまった。そういえば最後に、留学していた高校の時の同級生2人(男子と女子)と偶然ばったり会い、パナマはなんて狭いのだろうと思った。特に男子の方は、私たちがわりと仲良くしていた子だったので、驚きと嬉しさとでハグして写真を撮った。

 

そういえば2年ほど前、ひょんなことからこの男子と私は数ヶ月に渡ってメッセージをやりとりしていた。てっきり好かれているのかと思っていたけど、しばらくして会話は自然消滅した。この女子との関係は(???)(この女子は同じクラスではなかったので、私は話したことがない。)とりあえずデート(??)の邪魔はしないでおこう。(苦笑)

偶然の再会。左から私の親友ちゃん、私、クラス違った子、仲良くしてた男子

友人との別れはしんどい。涙がお互いに止まらなかった。3年間も会えなかったのに、せっかくこれだけの距離を移動してきても会えたのは1日だけ。次パナマにはいつ来れるだろうか。また会えない期間を思うと、どうしても彼女のそばを離れたくなかった。20分くらいグダグダし、ママさんが待つ車へと向かった。ジュリアーニ姉妹が「泣かないで」と言って励ましてくれた。

一生友達でいたい。

そしてコロン県に帰ると、ジュリアーニたちとも別れた。夜遅かったこともあり、彼女たちの住むエリアは昼間に増して治安が悪く、車の外に出ることも少し怖かったが、外でハグをして別れた。ジュリアーニ姉妹がうちに転がりこんできたことに若干疲れていた私だけど、2日間一緒に遊べてよかったと思う。

ジュリアーニの妹。今でもメッセージをやり取りしている。そして治安が悪いのが分かるだろうか…。

今までずっと私は、パナマには留学時代の友人や家族に会いに行くものだと思っていた。パナマを訪れるたびに、私の「パナマ留学」という物語の続きを上書きしていくような、そんな感じ。でもジュリアーニたちに出会って気づいた。過去を訪ねる旅でなくても良い。新しい人と出会い、新しい関係を築いたり、新しいものを見て新しいパナマの良さを発見する。物語の続きを書くのではなく、物語自体を新しくする。そんな旅でも良いんだと。あの時から止まっていた時計が、動き出した気がする。パナマはまだまだ私にとって未知の国。それを少しずつ知っていきたい、そんな風に思った。

 

ラテンアメリカは…

家に帰ると21時を過ぎていたが、近所の中学生が最後に話したいと言うので、彼女を家に呼んだ。ママさんはまた嫌そうな顔をしていたけど、最後に彼女に会えるのならなんでも良い。

 

彼女はまだ中学1年生なのだが、本当に大人で頭が良くて、話していてびっくりする。8年前に出会ったときからずっとそう、彼女はとっても大人。

 

この時もまた、日本に留学したいという話になり、「日本に黒人はあんまりいないでしょう?黒人でも差別されないかな?」と心配そうに聞いてきた。まだ13歳の子がそんなことを心配しなければならない世界って…。

 

そして彼女は私に、ラテンアメリカのどこが好きなのか聞いてくる代わりに、こんなことを言っていた。

 

「日本では全てが整っていると思うし、困ることもないでしょ。でもラテンアメリカは人がみんなCrazyだからね、意味もなく叫んだりするじゃん。家にいれば水が止まるし、電気もなくなったりするし…とにかくCrazy。だけど、毎日楽しいよね。あり得ないようなことが毎日起きて、何もない日はないの、毎日何かおかしいことが起きる。だからつまんない日はない。」

 

ああ。その通りだ。今度聞かれたらこれをそのまま答えよう。

 

やっぱりラテンアメリカマジックリアリズムの世界なのかもしれない。ラテンアメリカ文学は異常な長さのイメージなのだが、帰国したら今年こそは読みたいなと思った。

 

この次の日(3月2日)からパナマでは新学期がスタートする。ラテンアメリカの学校は朝が早いので、「もう寝なきゃ!」と言って彼女が帰る。最後に写真を撮りまくり、ハグをして別れた。

 

近所に住むとはいえ、1人は危険なので猛ダッシュで帰る彼女が家に入るのを確認し、部屋に戻る。ママさんがシャワーを浴びている間、私は大号泣していた。こんなにあたたかい国にいつまでもいたい。帰る場所がある、この国には私の居場所がある。そう思えることは日本で就活やら進路やらに悩む私にとって、何よりも必要なことだったと思う。ああ…辛い。そして明日ママさんと別れるのは1番想像したくない。

 

涙は溢れるばかりなのだが、この日私は前日の日焼けがひどすぎて、頰と肩が大火傷状態だった。手で顔を拭きたくても頰が痛い、長袖のスウェットを着て寝ようにも、肌に衣類が触れるだけで痛いので着られない。かなり重症。でもこの日焼けと痛みが、常夏の国にいるという夢のような現実を繋ぎ止めている気がした。

 

明日、午後4時の便でアメリカに渡る。荷物は…明日まとめればいっか。()

 

パナマの妹。大好きすぎる。



 

【世界一周】#31 大好きな人たちに会いに行く旅 〜再びパナマ編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

6月が終わりましたネ^ ^こうなるともはや焦りもありません。

 

さて、この日はパナマ最終日になります。長くなりすぎたので、中途半端なところで切られてます^ ^(アセアセ)

 

好きなパナマ料理②

※①をまだ読んでいない方は1つ前のブログに書いてあるので、そちらを読んでから…と思いましたが、別にどっちから読んでも問題ないですね。()

 

普通のダブルベッドで3人で寝ることは不可能に近く、疲れているのに私は全然眠れなかった。正直なところ、ジュリアーニ姉妹はいつ家に帰るのだろうという疑問すら湧いてきている。

 

昨日、私の好きなパナマ料理を、ジュリアーニが勝手にママさんに伝えたおかげで、私が起きるとママさんはすでにキッチンで白い生地をこねている最中だった。何を作っているのか尋ねると、「Harina(アリーナ)だよ」と言われる。

 

え!!!!!!

ヤターーーーー!!!!!!!

 

いつもは辛口なことしか書かない私ですが、このアリーナは本当に本当に大好きなので信じてください。

 

アリーナとは、小麦粉を水で練り、砂糖、水、バターを入れた生地を油で揚げたパナマの伝統的な朝ごはん。「Harina」はスペイン語で「小麦粉」を指し、この料理を「小麦粉」と同じ「アリーナ」と呼ぶのは私の住んでいる地域だけで、一般的には「Hojaldres(オハルドレス)」と呼ぶ。

 

これ単体で食べることもないわけではないが、「Salchichas Guisadas(サルチーチャス・ギサーダス)」というソーセージのトマト煮込みが隣についていることが多い。これも簡単で絶品。ソーセージと野菜(玉ねぎやピーマン)をトマトソースで煮込むだけ。

🍅🍅🍅

ママさんがサルチーチャの方を用意している間、私は次から次へとアリーナを揚げてゆく。揚げ物が朝ごはんに出てくることの多い中南米。揚げながらちょっとだけ罪悪感を感じた。そして暑い、熱い。この熱帯雨林気候の国の郷土料理は、なぜいつも暑さを増すものなのだろう。

アリーナとサルチーチャ。

久しぶりに食べたアリーナとサルチーチャスは美味しすぎて感動。アリーナはモサモサするので、サルチーチャスの汁につけて食べると、これがまたちょうど良い。甘いとしょっぱいの完璧な組み合わせで病みつきになる。私的、パナマで好きな料理ナンバー2(1位は緑のバナナを揚げたパタコネス。)ただ意外と重く感じたのは歳のせいなのか、疲労のせいなのか。しかもジュリアーニ姉妹はアリーナが好きではないらしい。気付いたら私の皿の上に食べきれないアリーナが2枚も乗っていた。(おい。)

 

ついでにママさんはこの日、お得意のシナモン大量ココアを鍋で作っていたのだが、ジュリアーニ姉妹は味がきつくて飲めないと言い、ほぼ水道に流していた。

 

あーそれな。

 

あのスパイスぷんぷんの味がパナマ人も苦手で安心してしまった。ママさんは基本的に自分の部屋で朝食を取るので、このアリーナからココアまでの一部始終を全く知らない。(安心)

 

www.recetaspanama.com

(↑サルチーチャのレシピ。自分用。)

 

パナマ人の時間感覚

この話題に関しては何度書いても飽きない。

 

この日私は留学時代の友人に会う約束をしていた。その子も同じコロン県に住んでいるが、ここではやることもないので、パナマシティの最近できたばかりのモールに12時に集合ということになった。5人乗りの車にママさんと私、ジュリアーニ姉妹、ママさんのいとこ2人の計6人で乗り、後部座席で潰されそうになりながら、1時間ほどで到着。

 

少し早く着いたので、ジュリアーニ姉妹と色々見て回った。パナマには昔FOREVER21がなかったのだが、このモールにはパナマ2号店が入っている。(今は逆に日本にないのか。)まあ、パナマのモールには基本的にアメリカのブランドが揃い、植民地だった関係かスペインのブランドも意外と多い。ただ私はこの後アメリカに行くため、わざわざパナマ価格でアメリカブランドを買う気はない。

 

一周し、ソファでくつろぐママさんとどうでも良いことを話しながら彼女を待つが、まあ来ない。待ち合わせ時間の12時にメッセージを送ると、今家を出たという返事が来た。さすが(笑)結局、彼女は1時間半遅れの13時半に笑顔でやって来た。焦るそぶりもない。こちらも大体予測していたのでただ笑う^ ^それがここでの「普通」なので、もう慣れてしまった。

待ち合わせ場所の「DASSAI」。ダサい?謎。

パナマでタピる!

日本ではパナマに関することを知る機会はほとんどないと思うし、東京に住んでいてもパナマ料理店を見たことがない。(人口が少なすぎてマイナーな国なのだと思う。)一方パナマ人は日本文化に触れる機会がたくさんある。

 

まず私と友人は、パナマで最近ブームというタピオカを飲みに行く。「Misawa Bakery」という日本人な名前のこちらのカフェは、パナマに4店舗を展開するチェーン店。…たぶん日本人は一切関わっていないと思われる。中国語っぽい字体で「高級な焙煎店」と書かれていたが、本物の「高級な焙煎店」はたぶんタピオカを売らない…。

謎の「Hokkaido」というメニュー。あと「Taro」ってタロ芋?!

友人が抹茶、私がアールグレイのタピオカを注文した。抹茶もアールグレイも意外と日本と同じ味で美味しかった。でもタピオカは独特だった…。正直アムステルダムで飲んだタピオカがタピオカじゃなさすぎて、あれよりは全然マシだったけど…

撮りたくなるやつ

ちなみに「ゴンチャ」発見!って思ったけどあのゴンチャじゃなくてテンション爆下。

パナマの「ゴンチャ」のメニュー…

パナマの寿司

続いてパナマ最大のモールであるアルブルックモールに移動し、そこで寿司を食べることにした。アルブルックモールは庶民向けのモールだが、えぐ巨大なので1日いても飽きない。

 

パナマには「寿司屋」がたくさんある。パナマシティのモールに行けば、フードコートの1つ2つは必ず寿司屋。寿司に限らずアルブルックモールにはたぶん5店鋪くらい、日本食屋が入っている。パナマの「寿司」はとても独特で、緑のバナナで巻いたロールだったり、揚げてあったり、アレンジがなんともパナマすぎるのだが、これがとても美味しい。パナマに行ったら「お寿司」を頼むことをオススメする。(前にパナマの寿司屋に関して、1つの記事にまとめて書いた気が。)

 

私たちは「SUSHI HANA」という店で「WAKANA」というメニューを注文した。寿司30ピースにLサイズくらいのコーラが3つ付いて20.50$パナマも物価高騰の影響で、決して安くないが、3人前だと思えばわりと安い…?

こちらがSUSHI HANA。とりあえず色んな意味で迷ってしまう。

できあがるまでに30分くらい待った。

ただこれがまあ、正直微妙だった。私はパナマの寿司が好きなのだが、たぶん以前食べたのは大手チェーンのもので、この「SUSHI HANA」という店は初めてだし、あまり見ない気がする。

これ。めかぶらしきものが謎すぎたし、カニカマ?のオンパレード。1番左が1番マシだった気がする。

MINISOとMUMUSO

気を取り直し、続いて海外お馴染みの「MINISO」へ行く。ロゴはユニクロ、名前はダイソーを文字った中国のブランドだが、日本企業を装っている雑貨屋。全世界で5000店舗以上あるらしいが、日本ではほとんど知られていない。ただ最近「MINISO」は、ブランドを拡大する中で反日の中国人から批判されるようになり、日系企業を装っていた過去の戦略を謝罪し、2023年3月までに「脱日本化」を完了させると発表していた。

 

変貌ぶりを楽しみに歩いたのに…このモールの中にMINISOは入っていなかった。(3年前はあった気がした…)

 

そこで「日本のお店もう一個あるよ」と言う友人に連れて行かれたのが「MUMUSO」。

 

…いやいやいや。

 

しかもこの最後の「O」の中に「KR」と書かれていて、誰が見ても韓国感…。「脱日本化」を発表する店がある一方で、韓国偽装のお店ができるという。

 

店内はもちろん日本語や韓国語が溢れるが、肝心なところは中国語なので、日本人や韓国人はこれが中国のものだとすぐに分かる…。東アジアは似ているようで、それぞれの国の「かわいい」って違う…。

「のんびり」。「ミルクティー」。

著作権とは。


とか言っておきながらここでヘアバンドを購入した私。本当にタイプなかわいいやつを発見してしまって…。3$くらいだったと思う。

 

とにかく、このような雑貨店や日本食レストラン、紹介はしていないがアニメグッズ屋さんなどが地球の裏側のパナマにもたくさんあり、それらを通してパナマ人は日本や東アジアの文化に触れている。以前は専ら日本のものばかりだったが、近年はKPOPや韓ドラの影響で、韓国が大好きなパナマ人も多い。

 

とはいえ、日本食レストランも雑貨屋も、「パクリ」か「エセ」なので、ユニクロ無印良品の本物が出店してくれたらとても嬉しい…。(切実)

 

…長くなりすぎたのでこの続きは次の記事にしました。次回も引き続きパナマ最終日です。

 

 

【世界一周】#30 大好きな人たちに会いに行く旅 〜再びパナマ編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

6月も終わりそうで焦ってます^ ^ええーっと、秘境ビーチからの帰りの話です。

 

 

バイリンガルであること

帰り道、ジュリアーニスマホアメリカンポップを流していた。ジュリアーニは英語が分からないので、ママさんに翻訳してほしいと言う。ママさんは、流れてくる英語を同時通訳のようにスペイン語に翻訳してあげていた。

 

この場面を文字で伝えることは難しいが、とにかく鳥肌が立つくらいかっこよかった。

 

いつもママさんはスペイン語と英語を場面によって使い分け、家ではごちゃ混ぜで話している。どれだけ自分がそうなりたいと思っても、スペイン語と英語のバイリンガルにはなれないから余計、憧れと尊敬の気持ちで感動した。やっぱ私のママさんは最っっっ強だわ。

 

海外で鶏肉を買う難しさ

途中「Super 99」というパナマ大手のスーパーマーケットがある。そこで買い物をしてから帰る。

 

というのも、ママさんが日本食を作って欲しいと以前から言っており、私は今回そのために日本から調味料などを持参した。昔付き合っていたアメリカ人(頻回の登場)が、日本食の中でも特に唐揚げが好きだったので、外国人ウケが確定している唐揚げを作ろうと思う

 

唐揚げということは…鳥もも肉。早速肉売り場に行くが、ここで重大なことに気付いた。

 

鳥もも肉って、スペイン語でなんて言うんだろう。というか、英語でも知らないなあ。

 

しかもパナマのスーパーの肉は量り売りで、1リブラからしか買うことができない。リブラ…?

 

この時点でかなりめんどくさくなっている私。こうならないようにしっかり下調べしてから行くべきです(当然)。

 

ということで一生忘れないようにメモメモ。

【英語】

Chiken Breast =鶏むね肉

Chiken Thigh 鶏もも肉

 

スペイン語

Pechuga =ムネ肉

Muslo =モモ肉

 

ということです。ただ、私は日本でも料理をするので、当然どれがムネ肉でどれがモモ肉か、見れば分かる。しかしここで厄介なのが、値段なのです。日本では圧倒的にムネ肉が安く、パサパサしていて節約飯イメージ。モモ肉はムネ肉よりも高く、何にでも使えて美味しいイメージ。

 

ところがパナマを含めて欧米では、パサパサのムネ肉の方が人気で、値段も高く、モモ肉は油っぽいイメージから好まれない。そのためムネ肉の方が値段が安いという逆転現象が起きている。(例の頻回登場のアメリカ人くんも、ムネ肉を好んで食べていた。)

 

この時上記の件を知らない私は大混乱。さらにそこにママさんがやって来る。私がもも肉(見た目で判断)を指差して、「これを買おうと思う」と言うと「え?!本当に言ってるの?!こっち(むね肉)にしましょ、絶対美味しいから。こっちが普通に使う方よ。」と言う。

 

そんなこともあり、結局どう見てもむね肉にしか見えない肉を、もも肉だと祈って購入した。しかも、「どのくらい欲しいの?」と聞かれ、「300gくらいで十分。」と言ったにも関わらず、「グラム?その単位知らないわ。2リブラくらいかしら。」と言われ、私こそリブラを知らないので、どう見ても1kgはありそうな量を袋に入れてもらった。

 

ちなみにリブラ(Libra)とは、英語ではPound(ポンド)と呼ばれる単位で、英語でも書くときは1lbと、Libraの省略型で書かれる。肝心な重さはというと、1lb=約0.45kg。つまりリブラはkgの半分くらいと記憶しておくと良い。

 

…ということは、買った2リブラの鳥肉は思った通り1kg…。

 

常に行き当たりばったりな人生を生きていると、1kgのむね肉で唐揚げ大量生産をする日もくるんダナ^ ^(人生タノシイ)

あとついでに言うと、肉の種類が豊富で、モモ肉とムネ肉が分かったところで…という感じでもある。

好きなパナマ料理①

ようやく帰宅。ママさんはネイルをやってもらいに行くと言ってすぐに出かけ、ついでにジュリアーニ姉妹も一旦家に帰り、荷物を取ってくるらしい。彼女たちは今夜家に帰りたくないので、うちに泊まるとか。みんなが不在の間に唐揚げ大量生産しよかー!と思ったら、そうはいかなかった。

 

海で遊んでいる時に、ジュリアーニ「Serenitaはパナマ料理で何が一番好き?」と聞かれた。基本的に料理名を記憶していない且つ、ママさんの家では大してパナマ感ある料理を食べないので、この質問は本当に厄介。あとそれで言ったら「パナマのどこが好き?」もやめて欲しい。日本語でも上手く説明できないのに、スペイン語で愛は語れない。

 

そこで私は「好き」とまではいかなくても、「美味しい」と思った料理をできる限りあげた。(それを「好き」というのか?)

 

パタコネス(緑のバナナを潰して揚げた王道の方)、エンパナダ(前に書いた餃子10倍の彼。特別に好きではないと書いておきながら。)、サンコチョ(これから書く)、アリーナ(次で書く)」

 

すると、わざわざジュリアーニ姉妹は、お母さんに頼んでサンコチョを作ってもらうと言う。なんかすごく申し訳なかった。サンコチョは別に好きだけど、「どうしても食べたい!!!」ってほどではない。とりあえず思いついたから言っただけ…。なんなら今すごく食べたいのはお好み焼き…。

 

まあそういうことで。夕飯のサンコチョが到着するまで私は一眠り。

 

サンコチョ(Sancocho)とは、前にコロンビアに行ったときにも書いたお馴染みのスープ。パナマだけでなく、中南米全域で食べられていると思っていたが、「全域」というと言い過ぎ説。メキシコでは食べないとか。

前にこんなことを書いていたが。

具材は、キャッサバ、トウモロコシ、緑のバナナ、パクチー、にんじんなどで、国やその家庭によってそれぞれ。日本で言う…お正月のお雑煮(?)ただ、どのレシピでも共通なのは、骨つきの鳥肉を入れた鍋で煮るところ。これは共通事項なので、サンコチョとは何かを聞かれたら、「野菜を鳥肉ベースで煮込んだスープ」と答える。(と思って調べていたら、コロンビアでは魚を入れることもあるらしいので、もう知らん^ ^)

 

パナマにいて本当に思うのは、なぜこんなに暑い地域の郷土料理がスープなのか。永遠の謎です。

 

さて。部屋で爆睡していると、ジュリアーニ姉妹とママさんが帰宅した。手には巨大なバケツを持って。

 

朝からクラッカーしか食べていなかったので、どうしても食べたいわけではないと書いておきながら、空腹すぎて今にも食べたい私。ジュリアーニ姉妹にお礼を言って、みんなの分のサンコチョを盛る。めっちゃくちゃ美味しそう。いただきます。

 

あ、そうそう、この味この味。サンコチョって結構美味しいネ。

 

これが3年ぶりに食べた感想。ジュリアーニ姉妹のお母さんの味が美味しかったのか、サンコチョ自体美味しいのか分からないが、前者にしてしまうとこれまでサンコチョを作ってくれた方々に申し訳なくなるので、後者ということにしましょう。サンコチョは美味しいのです。(説得力)

 

食べながら気付いたが、ジュリアーニ姉妹のママのサンコチョには、白くて細長い短いものが入っていた。私は最初えのきだと思い、パナマにもえのきがあるのね!と感動したのだが、これは翌日パスタだと判明した。えのきを3cm間隔で切ったようなパスタがあるらしい。

 

あとトウモロコシ。真冬の日本から来た私は、2月に食べるトウモロコシ、いいね〜♪と思っていたのだが、これがとても不味かった。確かにパナマでは、トウモロコシを日本のように茹でてそのまま食べることがない。それは多分不味いからだ。日本の食べ物がやっぱり恋しいような気がした。

 

不味いついでのキャッサバ。スペイン語では「Yuca」と書いて「ユカ」や「ジュカ」と呼ばれるのだが、まーあこれがあまり美味しくない。私は自分の分を盛る時に、密かにYucaを避けて盛り付けた。(確信犯)

 

え、なんか、私の嗜好と偏見に満ちたブログで本当に申し訳ない(笑)日本でも嫌いな食べ物が多めの女なので、はい。すみません。

サンコチョ。背景の大量のお菓子については、この先に書いてあります。

居候増殖

アルバから昨日帰ったばかりの私とママさんは、正直疲れていた。だがそこにジュリアーニ姉妹が来たことで、4人でルームシェアをしなければならないというストレスが舞い込んだ。1つだけエアマットレスがあるので、そこにジュリアーニが寝て、ダブルベッドにジュリアーニの妹、ママさん、私の3人で寝ることに。しかもジュリアーニの妹はまだ幼いので、好奇心旺盛かつおしゃべりで、少々手がかかる。スペイン語での意思疎通は疲れるし、1人でゆっくりしたかったが、私はジュリアーニの妹の相手係。

 

私は留学中こそママさんのことをあまりよく思ったことがなかったが、この旅を通して本当に良い人なのだと思った。そもそもなぜママさんは、ジュリアーニ姉妹をビーチに連れて行ったのか。それは、彼女たちが貧しいからだった。私が訪れた2月は、パナマでは夏休みなのだが、貧困層の子どもたちは家でスマホをして過ごす。だからママさんは、彼女たちにいろいろな経験をさせてあげたいと言っていた。

 

それだけでなく、スーパーに行った時、2人はあれもこれも大量のお菓子を買い込み、朝食のシリアルまでカートに入れていた。正直「人に買ってもらうのに強欲すぎんか?」と思ったのだが、ママさんは何も言わずに全て買ってあげていた。優しいというか、…素敵な人だと思った。

 

そんなわけで、ママさんがお泊まりにOKしたのなら、私も文句を言わずに彼女たちの夏休みに、少しでも思い出を作ってあげたいと思った。日本から持って来たグミをあげ、一緒に夜中までお菓子を食べながら映画を見た。

 

こんな感じで、この日は本当にとんだ1日だったと言っても過言ではない^ ^

【世界一周】#29 大好きな人たちに会いに行く旅 〜再びパナマ編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

この日は計算外の日だった。本当に。

 

パナマの社会問題①

朝起きるとママさんに、ビーチ行くから早く支度しなさい〜!と言われ、まだ8時なのに急かされる。ねむねむモードでシャワーを浴びると、水が冷たすぎて流石に目が覚めた。水着を着て朝ごはんにクラッカーを食べ、ビニール袋にバスタオルとスマホの防水ケースを入れる。のんびり準備していたら、もう行くよ!と言われ、とりあえず日焼け止めを塗りながら車に乗り込む。

 

ママさんは知り合いを迎えに行くと言い、3年前にできたばかりのコミュニティ「Altos de Los Lagos(アルトス・デ・ロス・ラゴス」に車を走らせた。このコミュニティについて再度説明をすると長くなるが、私の住んでいるコロン県は治安が悪く、特にコロンシティやダウンタウンと呼ばれる街の中心部一帯は、歩くのも危険なスラム街だった。しかし3年ほど前に行政が再開発を行うため、そこに住む数百世帯が強制退去となった。彼らの移動先として建設された新しいコミュニティが「Altos de Los Lagos」なのである。日本でいう市営住宅に似ていて、同じような見た目の集合住宅が何棟も並んでいる。

 

これについて3年前に行った時のブログに、以下のように書いている。

この日図らずも、このコミュニティのその後を見ることができたのだが、私の3年前の懸念は当たってしまっていた。

 

当時スラム街には多くのギャング(反社会組織)が住んでいたのだが、行政は移住時に、このギャンググループを無視して適当に住宅を割り振った。そのため、異なるグループ同士がごちゃ混ぜの状態で住むことになり、グループ間の縄張り争いが絶えない。毎日のように銃殺事件が起き、道路はゴミで溢れ、結局スラム街がそっくりそのままここに移ったとしか思えない。

 

コミュニティに入る前に警察の検問に引っかかる。コロン県に限らず、パナマは検問がそこら中であり、珍しいことではない。ママさんに「黒人がアジア人連れてると誘拐とか怪しまれるから、笑顔でいてよ。」と言われた。これは最強ママさんなりのジョークだったのか…?

 

パナマを訪れるということは、このような現実と向き合わなければならないということでもある。

 

姉妹との出会い

検問を抜け、その知り合いが住む建物の前で車を止める。

 

ママさんだけでなく、パナマの人(というか、多分ラテンアメリカの人)は、人の家に着いても、車を降りてピンポンを押すなんてことはしない。車のクラクションを連打し、中にいる人を呼び出す。究極のめんどくさがり屋というか…(苦笑)ここは集合住宅なので、近所迷惑もいいところだが、そんな概念がないのがラテンアメリカ

 

しばらくして車に近づいてきたのは、子どもの黒人姉妹だった。寝ぼけててふにゃ〜っとしていた私は、この時初めてこの子たちとビーチに行くと知った。

 

お姉ちゃんの方はジュリアーニといい、15歳で、妹はシャイリエリスといい、10歳だったかそのくらいだったと記憶している。ちなみに「ジュリアーニ(Yuliani)」はよくある名前だが、「シャイリエリス」はとても珍しい名前だと思う。私も覚えるのに苦労したが、ママさんも彼女の名前を発音できないので、中南米スペイン語で「女の子」を表す「Nena(ネーナ)」と呼んでいた。彼女たちは6人兄弟で、上は20代後半で1番下は2歳になる赤ちゃんがいるらしい。

 

彼女たちはママさんと同じ教会に通っている。私が留学していた時にも何度か会ったことがあるが、記憶が曖昧な上に、8年もたてばかなり成長しており、面影もなくなる。ただ彼女たちについて1つ確実に言えるのは、3年前に強制移住させられるまで、スラム街に住んでおり、今も貧しい生活をしているということ。留学中、何度かママさんと教会の子どもたちを家まで送ったことがあったのだが、家とも呼べないボロボロで窓や屋根がない建物に住んでいた姉妹がいた。それがこの子たち…?まあ、教会には貧しい子がたくさんいたので、確信は持てないが…。

 

パナマの社会問題②

車の中でジュリアーニは、近所に住む13歳の子が妊娠した話をママさんにしていた。ママさんはおこだったが、ラテンアメリカでは結構聞く話だと思う。

 

パナマでは、生まれてくる赤ちゃんの6人に1人の母親はティーンであり、全妊娠件数の26.3%が10代だという。この数値は中南米の平均値を上回り、状況はかなり深刻。実際に街を歩いていても、子どもが子どもを連れていたり、高校生くらいの子が大きいお腹を抱えている様子はよく見かける。

 

パナマの中でも特に10代の妊娠件数が多いのはノベ・ブグレ自治区と呼ばれる先住民族の住むエリアであり、実に全妊娠件数の40%以上が10代だというから驚きである。が、自治権のあるエリアかつ、先住民族であることから文化的な価値観の違いもあり、介入するのは難しいのかもしれない。

 

また、パナマの場合は単なる性教育の欠如だけでなく、家庭内暴力や虐待、犯罪による妊娠も多いと言われており、その根本的な原因は貧困であるから単純な話ではない。

 

秘境のビーチ

さて、私たちは1時間ほど熱帯雨林の中を走り、船着場の隣にようやく車を停める。ビーチに行くと聞かされていたが、こんなに遠いとは思わない。(調べたら、家の辺りから60kmもあった。そりゃ遠いわけだ…。)私は車酔いによる吐き気で死んでいた。しかし目指すビーチは、さらにボートに乗って行くらしい。想像しただけで吐く。ボートで行くが島ではない。この先は道が整備されていないため、陸路ではたどり着けないのだ。

 

ただこのボートの旅はわりと楽しかった。ボートを所有しているリナさんという女性は、ママさんの知り合いだとか。リナさんは普段欧米の観光客をボートで案内することを仕事としている。普通に頼めば高額なツアー代だと思うが、ママさんが友達のおかげで全員で60$くらいだった。ママさんが払ってくれたのであまり覚えていない。

 

ボートはスピードを出すので、それこそジェットコースターみたいな感覚で、波に乗ったり落ちたりするのが楽しい。空気も新鮮で開放感があり、ジュリアーニ姉妹と叫んだりして、気分はむしろ良くなった。

 

1つ目のビーチは船着場からボートで20分くらいのところにある。水は透き通る水色で、正直アルバになんか行かなくてもここで十分。水は相変わらず冷たかったが。先客の先住民の子どもたち以外に誰もいない。電波はあったかもしれないが、道がないので車では来ることができない、まさに秘境のビーチ。

秘境、多分。

大きな木があり、そこから飛び降りたり鬼ごっこをして遊んだ。ママさんは以前このビーチで1泊のキャンプをしたらしい。この何もない地で1泊するには勇気がいりそう…。

アルバになんて行かなくても…

そのビーチからさらに20分ほど行くと、「Venas Azules(ヴェナス・アスーレス)」と呼ばれるエリアがある。「Venas」は「静脈」、「Azules」は「青」を意味し、文字通りマングローブが静脈のように道を作っており、その間をボートで行く。ここは隠れた人気スポットで、欧米の観光客が乗ったボート何隻かとすれ違った。

www.youtube.com

↑このサムネの景色

 

小さな砂浜にボートを停め、ジュリアーニと私はマングローブのそばまで泳いだ。足がつかないくらい深く、穏やかとはいえ流れもあるため細心の注意を払って。ディビディビから生還したにも関わらず、こんなところで死ぬわけにはいかない^ ^

 

マングローブを手に触れる近さで見たことがなかったので、すごーいと感動しながらも、虫が多くてすぐに撤退。

 

✔️マングローブ:熱帯地域で満潮になると潮が満ちてくる場所に生える植物

ボートから見るとこんな感じ

私とジュリアーニは、流されないようにお互いの足を引っ掛け合い、ただただ透明な海で仰向けに浮かんだ。水の中では自分の心臓の音しか聞こえない、目を開けると青空に太陽が眩しいくらいに照っているだけ。平和すぎて永遠に浮かんでいられた。ジュリアーニと足で繋がっているので、1人じゃない安心感もよかった。30分以上浮遊した。やっぱりパナマに来ると心の傷が癒える。

 

あと日本にいると、海で泳ぐことってあんまりない気がする。年齢を重ねるとなおさら。大自然の中で両手両足を思いっきり動かすだけで解放感を感じられて、生きてることを実感する。あの感覚は久しぶりで、最高に気持ち良い。

 

ボートに腰をかけてお昼ごはんのクラッカーを食べた。水の外からでも浅瀬に魚がたくさん泳いでいるのが見える。今日会ったばかりなのに、ジュリアーニ姉妹と私はもうすでに仲良しになっていた。

ジュリアーニ

時刻はすっかり14時をすぎ、ボートで船着場まで戻る。この帰りの30分のボートライドが、この先1週間の悲劇をもたらした。ちょうど日が1日の中で最も強い時間帯で、ボートには日を避けるものが何もない。生粋の文系なので原理を知る気はないが、地球上では低緯度の地域(赤道に近い)ほど日差しは強くなるので、北緯8度に位置するパナマの日光は、日本のとは比べものにならない。肩がジリジリと焦げている気がした。ボートに乗せておいた私のiPhoneは、高音すぎて使えなくなっていた。

 

水が冷たくて気持ち良いので、ジュリアーニ姉妹と一緒に、透明な水に手を入れ、ボートのしぶきを感じた。

 

世界遺産

船着場につきリナさんとお別れ。このすぐ近くに、ポルトベーロ(Portobelo)と呼ばれる要塞の遺跡があり、そこに寄ってから帰った。ここに来るのはもう3回目とか?だと思う。大砲に触ったり登ったりやりたい放題できる要塞は、何の管理もされていないし、入場料もかからない。だがこれが一応、世界遺産

入り江なので攻略が難しく、天然の要塞だったらしい。

ポルトベーロは「美しい港」という意味で、コロンブスによって命名された。大航海時代にはスペインが銀を本国に運び出す港として栄え、海賊の襲撃から守る要塞が建設された。現在の平和すぎるカリブ海を眺めていると、なんか不釣り合いな光景だなと思う。

大砲に座って4人で撮った写真もあるのだけど、なにせみんなビーチ後で露出多すぎて(笑)日本人には刺激的すぎたのでカット。()

かわいいジュリアーニ。将来はCAになりたいらしい。

ところでこの前日、このポルトベーロ近くで男性が銃殺されたため、この付近にはこの日多くの警察官がいた。パナマではテレビのニュースよりも先に、知り合いから事件や事故の情報を聞くことが多い。ワッツアップでママさんに送られてきた話には遺体の写真もついていた。「あなたは看護師になるんだから、こういうの見れるよね。」とママさんに見せられる。やっぱりコロン県は恐ろしい。1人では絶対に出歩けないと思うので精一杯だった。

 

…!またっ。4000字超え…っ。この日はこの後も色々あったが、長くなってしまったのでとりあえずここまでにしよう…!

家があるのもすごい

 

 

【参考文献】

www.miviot.gob.pa

lawebdelasalud.com

【世界一周】#28 大好きな人たちに会いに行く旅 〜再びパナマ編〜

今回の記事の大枠(大文字部分)

羽田→シンガポール→ロンドン→ブリュッセルアムステルダムブリュッセル→ロンドン→バルセロナマドリードパナマ→アルバ→キュラソー→アルバ→パナマ→ヒューストン→ダラス・フォートワース→ロサンゼルス→成田

 

いよいよブログも終盤。

 

誕生日会

8日ぶりにパナマの家に帰ってきて、1番最初にすることは、バスルームで水が出るかの確認だった。今回4日間断水が続いたらしい。信じられない。

 

さて、この日はママさんが一緒に暮らしているカローラおばさんの70歳の誕生日だった。カローラおばさんはママさんのいとこにあたり、ママさんは人生のほとんどを、このいとこの姉妹2人と一緒に暮らしている。日本にいるとこれも珍しい感覚だが、ラテンアメリカでは「家族」の単位は大きいし、両親、その子ども以外の人と一緒に住むこともよくある。(たとえばドーナおばさんも、妹夫婦の家に住んでいる。)これは血が繋がっていなくても、信頼できる相手であればよくある普通のこと。

 

そしてラテンアメリカでは、何歳になろうと誕生日パーティーは盛大に行う。日本でおばあちゃんくらいの年齢で、毎年ケーキのろうそくを吹き消し、歌を歌い、友達を呼ぶ人はなかなかいないのではないか。まあ、パーティー好きという国民性もあるかもしれない。(汗)

 

私たちが到着して2時間後にはたくさんの来客があった。ハッピーバースデーの歌を歌い、お願い事をし、ケーキのろうそくを吹き消し、ケーキをみんなで食べて談笑する。ラテンアメリカってあったかいな、と改めて感じる時間だった。…うん、あたたかいどころではない。エアコンがない上に人の密度が高すぎて、部屋の温度がリアルに暑かった。

 

バースデーソング

ところでパナマでは、誕生日ソングに色々なバージョンがある。

 

まずあの、日本でもお馴染みの「ハッピバースデートゥーユー」の曲。あれをスペイン語で歌うが、その歌詞が2節目あたりから全員バラッバラな件。まともに全員揃った歌詞で、最後まで歌い切っているところに出くわしたことがない。

 

揃うのは一番最初の「Cumpleaños Feliz(誕生日おめでとう。)」の部分のみ。※全員陽キャだから最後まで自分の歌詞で歌い切る。(強すぎる。)一応リンクをつけたが、このバージョンの歌詞を私は聞いたことがない(笑)

www.youtube.com

その後にスペイン語の誕生日ソングが入る。これは歌詞は統一しており、よく知らないが神が登場するのでキリスト教徒の歌だと思う(テキトー)。結構ノリノリでわりと好き。この動画は4番くらいまであるのだが、基本1番だけを歌う。

www.youtube.com

そんで最後に最初のハッピーバースデーの曲の英語バージョンを歌う。毎回1人は変調する奴がいたり、リズムを変えたりする陽キャ中の陽キャがいるため、アレンジのきいた曲となり、楽しいし盛り上がるし。

 

とにかくそんな感じがパナマの誕生日ソング。歌の後に手を繋いでお祈りをする時もあるし、ろうそくを吹き消して大盛り上がりの時もあるし。

本当にこの空間が幸せだった。

近所の子

その時、ちょうど近所の例の子とその妹が家に遊びに来た。ママさんからすれば「招かざる客」であるが、ママさんは他人に嫌なことをすることは絶対にない。ケーキを切り分け、ジュースをあげていた。

 

私たちはしばらく暑苦しい会場にいたのだが、暑すぎるので彼女たちの家に行くことにした。そっと鉄格子の扉を開け、脱走。「あーあとでママさんに殺されるかも。」と思いながら(汗)

 

彼女の家には両親がいた。留学中この両親は私にすごく良くしてくれたので、久しぶりに会えてすっごく嬉しかった。彼女のお母さんは「誕生日会、大人たちの話でつまんないでしょ。」と私が思っていたことを言葉にしてくれた。そう。留学中も思った。ママさんの家は基本50代〜の大人が出入りするため、私と同じくらいの年代の人と関わることができない。それが嫌だったのは事実かもしれない。

 

彼女のお部屋に案内され、チェキで写真を撮ったり、「約束のネバーランド」のコレクションを見せてもらったりした後、彼女の大好きな大好きな板垣李光人くんにお手紙を書くことに。彼女がスペイン語で書くので、私はその翻訳をした。「何書いたら良いかな?」と聞いてくる彼女はティーンな女子だった。この子と出会った時、まだ6歳だった彼女がもう13歳になったというのも納得すぎる。その後、彼に送る手紙に入れるプレゼントとして、パナマのビーチで拾った貝殻を選んだ。ピュアできらきらなその心を、一生大切にして欲しいと思った。

必死に手紙を書く彼女

ちなみにこの手紙、帰国後すぐに郵送したが、返事は今のところない…。パナマ人のファンって珍しいから目立つと思ったんだけど…やっぱりその辺は他のファンと同じ扱いなのね。でも読んでくれたら嬉しい。

妹が邪魔してきて大変だった(笑)

彼女は私が留学したのと同じ、16歳になったら日本に留学したいらしい。それって本当にすごいことだと思う。6歳の時の彼女は、ローラースケートが大好きで、家の外で自転車に乗る練習をいつもしていて、私にいっつも「なんでスペイン語が分からないの?」と聞いていた。彼女の世界はラテンアメリカだけだったから。なのにすっかり大人になった彼女は今、海外に興味を持っている。日本語を勉強したいと言い、インスタの名前にカタカナを取り入れたり。

 

私の留学プログラムはもともと世界が平和になることを願って始められた。世界のことを全く知らなかった彼女が、日本に興味を持ってくれたなら、私がパナマに留学したことに意味があったのではないかと思う。というより、そう思いたい。

日本語英語スペイン語約束のネバーランドと、私があげた板垣李光人くんのアルバム

当時、彼女の小学校と私の高校は同じ敷地内にあったので、私を見かけるといっつも「SERENIIIIIIIITAAAAAAA!!!」と叫んで飛びついてくれた。彼女もその家族も、私の留学生活をかけがえのないものにしてくれた。彼女のお母さんが、「うちの子が日本に行きたいって言ったら、面倒見てくれる?」と聞いてくるのだが、もちろん以外の答えが見つからない。私にとって彼女は大切な大切な妹。

 

これはよく分からない話だが、コロナ渦で彼女のお母さんは石鹸作りにハマり、新たなビジネスを始めたらしい。それで商品の石鹸をたくさんお土産に持たせてくれた。まあ、確かに私はこのお母さんのために、日本から重い急須と湯のみを運んで来たので、多少お礼があっても良いかな、と受け取る。ただのラップに包まれた石鹸は、見た目こそ手作り感満載だったが、使ってみると意外とすごく良かった。(笑)

 

時刻は21時を過ぎており、そろっと帰らないとママさんがガチギレかも。と思い、最後に家族全員でハグをした。それが本当に本当に寂しくて寂しくて、私は号泣してしまった。ようやく会えたという気持ちと、また離れ離れになるという気持ちで心が苦しかった。またいつ会えるか分からない日々を過ごさなければならない。それを想像するだけで辛かった。パナマにいたい…。

 

家に帰ると門が閉まっていたので、慌ててドアを開けて欲しいと叫ぶ。留学中は大声で呼んで開けてもらっていたが、声を出すのも恥ずかしくなっている自分がいた。ママさんに電話をするが全く出ない。これガチギレしてる???かーなーり不安になった。

 

しばらくしていとこが開けてくれたので、ママさんとシェアしている部屋に行く。彼女はシャワー中だった。ふう。怖すぎる。

 

ところで明日はビーチに行くらしい。今日アルバから帰ってきたばかりなのに?と思いつつ、寒すぎる真冬の日本から来た私にとって、真夏を楽しむことは得をしている気分。嬉しい。

 

とは言え、もうパナマで私に残された時間はわずか。悲しくて涙が溢れた。ママさんがシャワーから上がってきても、ベッドの上でひとり、寝ているフリをしながらずっと泣いていた。涙が止まらなかった。どうしてだろう。大切な人はどうして私のすぐそばにいないんだろう。

大切な大切な家族

いつかラテンアメリカに住みたいと確信した。パナマは暑すぎるので、コロンビアあたりが狙い…結局コロンビアンボーイを見つけるしか…(笑)